台湾は戦前の日本の建物や施設をできるだけ残そうとしてくれている。
今回は旧日本海軍→中華民国軍が使用していた軍事施設の跡地を見学。
廃墟好きにはたまらない施設なんです。はい。
台湾は戦前日本であったのはご存じの通り。当然、軍が駐屯していたわけです。当然軍事施設が多数あったわけで、高雄にも旧日本軍時代の軍事施設跡地が残っています。
ここは当時「船橋無線電信所」に匹敵するような大きさの無線電信所だったとのこと。千葉の船橋、長崎の針尾、高雄の鳳山が当時の日本の三大無線電信所だった。戦後は中華民国軍の施設となり、無線電信所の機能も残しつつ、政治犯や思想犯の拘禁、取り調べ(というなの拷問?)を行っていた施設(鳳山招待所)となる。そして、その後海軍の訓練施設(明徳訓練班・落ちこぼれ再教育施設)となって、それもなくなり保存公開されて今に至る。
現在は月曜日を除く毎日9時から17時まで見学することができる。
鳳山國中駅から歩くことしばし、門が見えてくる。
中華民国旗が掲揚されているね。
この極めてやばそうな施設そうで入りづらいけど、ずんずん進もう。
右側を見ると受付があるので、そこで受付をする。確か名前書いたんだっけな。パスポートが必要だったかどうかは忘れた。ここでパンフレットももらえる。中日版という中国語&日本語パンフレットがあるので忘れずにもらおう。
まずは正面に見える大きな施設へGO!
テンション上がってくるぜ!
ここら辺は中には入れないけれど、中には入れるところもある。
おおー、このあんまり修復しないで古いままの状態で保存されてるのが、めちゃめちゃそそられる。
ここは日本海軍時代→事務所、招待所時代→普通と優待とされる犯人の拘束場所、訓練班時代→教室および事務所として活用されていた模様。
これがこの場所の一番大きな施設。大要塞と名前が付いている。
日本海軍時代は第一送信所とされたところ。ここからではそんな風に見えないけれど、土が深く盛ってあって爆撃に耐えられるような構造になっている(いた?)らしい。
中はこんな感じ。
外は暑くても、中は不思議とひんやりとする。訓練班時代はここが寝室になっていたらしい。中は巨大なトンネルというのが正しいかもしれない。柱の太さなども考えるとかなり頑丈に作られている。
裏から出るとこんな感じ。
いいねぇ。ぐっとくる。
小要塞もある。
あー南国っぽい木の下にあるのがいいねぇ。
この要塞はホントに小さくて、防空壕レベル。
こちらは第二通信所だったところ。
ホントに建物が上から見ると十字の形をしている。
扉を見てもらえば分かるとおりめちゃくちゃ分厚い。船とかの防水扉と同じような構造をしている。
窓という窓も分厚い扉が付いてる。
そして、コンクリートも分厚い。
これはすべて爆風とかから建物内部を守るため。
入ろうとすると、錨のマークのタイルになっていた。
これは中華民国海軍のマークなのかな?海軍のマークであることは間違い無いけど、時代は不明。
中に入ると薄暗い中に遺構が残っている。
立ち入り禁止の地下への入口。入っちゃダメなのに無粋なロープとかがなくて好印象。
いかに窓がないかというのが分かってもらえるかと思う。
もちろん中の小さい部屋にも入れちゃう。
結構危ないので注意して歩いた方がいい。
ガラスも割れたままだったりね。
でも、それが廃墟感を増幅してくれる。
今回紹介したのは一部だけ。他にもいくつか古い建物が残っている。それと、まだまだ公開されていない部分もあるので、今後公開されるのが楽しみだ。公開するのかどうかしらんけど。
台湾は古い建物を残すのが流行りなので、こういった施設がたくさんある。
元を徹底的にリスペクトして復原するのと、最小限のみ手を加えているのと二つの保存方針があるように思える。もちろんここは後者。前者の代表としては台南の林百貨かな。そちらも決していい加減な修復ではなく、きちんと調査して修復している。こうやって残してくれているのがうれしい。
この時は丁度高雄の市議会選挙だった。
帰り道に選挙運動中の候補者に遭遇。
なんか隊列を組んで何台も走ってた。荷台で手を振る候補。
すげーな。金がかかりそうだ。台湾は選挙に関する規定が緩いのか、運動が激しいよね。選挙近くなると、候補者の広告ばかりになるし。どんだけ金がかかってるんだか。
今回は旧日本海軍→中華民国軍が使用していた軍事施設の跡地を見学。
廃墟好きにはたまらない施設なんです。はい。
鳳山無線電信所とは
台湾は戦前日本であったのはご存じの通り。当然、軍が駐屯していたわけです。当然軍事施設が多数あったわけで、高雄にも旧日本軍時代の軍事施設跡地が残っています。
ここは当時「船橋無線電信所」に匹敵するような大きさの無線電信所だったとのこと。千葉の船橋、長崎の針尾、高雄の鳳山が当時の日本の三大無線電信所だった。戦後は中華民国軍の施設となり、無線電信所の機能も残しつつ、政治犯や思想犯の拘禁、取り調べ(というなの拷問?)を行っていた施設(鳳山招待所)となる。そして、その後海軍の訓練施設(明徳訓練班・落ちこぼれ再教育施設)となって、それもなくなり保存公開されて今に至る。
現在は月曜日を除く毎日9時から17時まで見学することができる。
というわけで行ってみた
鳳山國中駅から歩くことしばし、門が見えてくる。
中華民国旗が掲揚されているね。
この極めてやばそうな施設そうで入りづらいけど、ずんずん進もう。
右側を見ると受付があるので、そこで受付をする。確か名前書いたんだっけな。パスポートが必要だったかどうかは忘れた。ここでパンフレットももらえる。中日版という中国語&日本語パンフレットがあるので忘れずにもらおう。
辦公廳舎及教室(事務所庁舎と教室)
まずは正面に見える大きな施設へGO!
テンション上がってくるぜ!
ここら辺は中には入れないけれど、中には入れるところもある。
おおー、このあんまり修復しないで古いままの状態で保存されてるのが、めちゃめちゃそそられる。
ここは日本海軍時代→事務所、招待所時代→普通と優待とされる犯人の拘束場所、訓練班時代→教室および事務所として活用されていた模様。
大碉堡(大要塞)
これがこの場所の一番大きな施設。大要塞と名前が付いている。
日本海軍時代は第一送信所とされたところ。ここからではそんな風に見えないけれど、土が深く盛ってあって爆撃に耐えられるような構造になっている(いた?)らしい。
中はこんな感じ。
外は暑くても、中は不思議とひんやりとする。訓練班時代はここが寝室になっていたらしい。中は巨大なトンネルというのが正しいかもしれない。柱の太さなども考えるとかなり頑丈に作られている。
裏から出るとこんな感じ。
いいねぇ。ぐっとくる。
小碉堡(小要塞)
小要塞もある。
あー南国っぽい木の下にあるのがいいねぇ。
この要塞はホントに小さくて、防空壕レベル。
十字電台
こちらは第二通信所だったところ。
ホントに建物が上から見ると十字の形をしている。
扉を見てもらえば分かるとおりめちゃくちゃ分厚い。船とかの防水扉と同じような構造をしている。
窓という窓も分厚い扉が付いてる。
そして、コンクリートも分厚い。
これはすべて爆風とかから建物内部を守るため。
入ろうとすると、錨のマークのタイルになっていた。
これは中華民国海軍のマークなのかな?海軍のマークであることは間違い無いけど、時代は不明。
中に入ると薄暗い中に遺構が残っている。
立ち入り禁止の地下への入口。入っちゃダメなのに無粋なロープとかがなくて好印象。
いかに窓がないかというのが分かってもらえるかと思う。
もちろん中の小さい部屋にも入れちゃう。
結構危ないので注意して歩いた方がいい。
ガラスも割れたままだったりね。
でも、それが廃墟感を増幅してくれる。
というわけで
今回紹介したのは一部だけ。他にもいくつか古い建物が残っている。それと、まだまだ公開されていない部分もあるので、今後公開されるのが楽しみだ。公開するのかどうかしらんけど。
台湾は古い建物を残すのが流行りなので、こういった施設がたくさんある。
元を徹底的にリスペクトして復原するのと、最小限のみ手を加えているのと二つの保存方針があるように思える。もちろんここは後者。前者の代表としては台南の林百貨かな。そちらも決していい加減な修復ではなく、きちんと調査して修復している。こうやって残してくれているのがうれしい。
選挙運動に遭遇
この時は丁度高雄の市議会選挙だった。
帰り道に選挙運動中の候補者に遭遇。
なんか隊列を組んで何台も走ってた。荷台で手を振る候補。
すげーな。金がかかりそうだ。台湾は選挙に関する規定が緩いのか、運動が激しいよね。選挙近くなると、候補者の広告ばかりになるし。どんだけ金がかかってるんだか。