ベタだけど一度は行っておいた方がいいと思うよ。


久々の雪道ドライブ

 さて、女満別空港で車を借りてドライブ。
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 いつもながら、この風景はいいなぁ。
 毎年毎年2月に女満別空港に来ているけれど、ほとんど雪が降っていたことはない。
 いつも、雪は軽く積もっているけど、降らないんだよね。ちょっとだけ降っても絶対に溶けない気温っていうこともあるのだろうか。いつまでも残る雪みたいな。
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 というわけでやってきたのは網走監獄。


網走刑務所と博物館網走監獄

 なんか、凶悪犯が入れられるところみたいなイメージだよね。
 網走と言えば、刑務所!みたいな。映画などの舞台になることも多かったのでそういうイメージがついたのかもしれない。以前の網走刑務所は、「犯罪傾向の進んだ長期刑(執行刑期10年以上)の者を収容する施設」だったとのこと。現在はちょっと変わって、「犯罪傾向の進んだ者であって、執行刑期10年以下の受刑者を収容する施設」となっている。いずれにせよ、「犯罪傾向の進んだ者」=暴力団がらみ・累犯ということだろうから、凶悪犯ってことにはなるのかな。
 そんな網走刑務所で昭和50年代まで使用されていた建物を移築・復原して後悔しているのが「博物館網走監獄」である。
 というわけで、収容されてみよう。
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 まずは、受刑者達が収容されるとき、出所者が出所するとき、必ず通ったという鏡橋(再現)を渡る。
 以前来たときとは橋の形が変わってる気がする。

 変わってたわ。
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 立派な門がある横に入場券売り場があるので、チケット購入。
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 そしていよいよ、監獄の壁の中に入る。
 この門には面会室などもあり、受刑者が家族と面会したという。
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 できれば、一生、リアルに入りたくないもんだね。


過酷な環境

 日本最北に位置する網走刑務所。
 もともとは旭川~網走間の道路を作るために、囚人達が派遣されてきたのが刑務所の始まり。小さな寒村だった網走に刑務所ができて、それにより職員とその家族が移住してきたことにより街が発展してきた。網走と他の都市を結ぶ道路も鉄道も空港も、広大な農地も、漁港も全て当初は網走刑務所の囚人達によって作られたものだった。
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 刑務所施設(五翼放射状平屋舎房)の中。中央の監視台から房がある各方向を見たもの。これが5つあったので五翼。少ない人数で効率よく、そして死角がないように設計されている。
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 冬になると、このようなストーブが中央の廊下に設置されるが、どう考えても寒い。
 真冬に氷点下2ケタが普通のこの土地でコレは寒い。
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 あ、脱走犯!
 昭和の脱獄王白鳥由栄が網走監獄から脱走した時を再現したもの。
 頑丈な手錠と監視口を味噌汁の塩分で錆びさせて壊し脱獄。
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 独房の中はこんな感じだったらしい。
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 お風呂もあったよ!もちろん監視付の入浴だし、毎日は入れない。
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 これは明治45年に建てられて、昭和58年(!)まで使用された職員官舎。
 職員官舎ということは刑務官とその家族が住んだ家ってこと。これ寒くね?絶対寒くね?囚人達の環境も過酷だけど、職員の環境も過酷だな。刑務官の中でも網走送りとか言われていたのだろうか。


現代の刑務所

 一応、展示施設の中に現代の刑務所の様子もあった。
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 これは相部屋だね。
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 こちらは独房。
 非常に人間的な生活になったといえば、なったと思う。


裁判所もあるよ

 旧釧路地方裁判所網走支部の建物内部を実際に使っていたもので復原したもの。
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 外観は明治33年から昭和27年まで使われた旧網走区裁判所を再現しているとのこと。
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 これらが実際に平成3年まで使われていたらしい(人形を除く)。
 重厚感あるよねー。


というわけで

 今回紹介した建物はごく一部。
 網走監獄には網走刑務所に関する様々な建物が移築復原されており、またそれに関する展示物も充実しているよ。北海道の開拓と切っても切れない関係だった網走刑務所について学べるので、一度は行ってみると楽しいと思うよ。