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飛行機と食事とホテルとたまに観光地を淡々とアップするブログにおこしいただきありがとうございます。
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タグ:歴史的建造物

 ベタだけど一度は行っておいた方がいいと思うよ。


久々の雪道ドライブ

 さて、女満別空港で車を借りてドライブ。
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 いつもながら、この風景はいいなぁ。
 毎年毎年2月に女満別空港に来ているけれど、ほとんど雪が降っていたことはない。
 いつも、雪は軽く積もっているけど、降らないんだよね。ちょっとだけ降っても絶対に溶けない気温っていうこともあるのだろうか。いつまでも残る雪みたいな。
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 というわけでやってきたのは網走監獄。


網走刑務所と博物館網走監獄

 なんか、凶悪犯が入れられるところみたいなイメージだよね。
 網走と言えば、刑務所!みたいな。映画などの舞台になることも多かったのでそういうイメージがついたのかもしれない。以前の網走刑務所は、「犯罪傾向の進んだ長期刑(執行刑期10年以上)の者を収容する施設」だったとのこと。現在はちょっと変わって、「犯罪傾向の進んだ者であって、執行刑期10年以下の受刑者を収容する施設」となっている。いずれにせよ、「犯罪傾向の進んだ者」=暴力団がらみ・累犯ということだろうから、凶悪犯ってことにはなるのかな。
 そんな網走刑務所で昭和50年代まで使用されていた建物を移築・復原して後悔しているのが「博物館網走監獄」である。
 というわけで、収容されてみよう。
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 まずは、受刑者達が収容されるとき、出所者が出所するとき、必ず通ったという鏡橋(再現)を渡る。
 以前来たときとは橋の形が変わってる気がする。

 変わってたわ。
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 立派な門がある横に入場券売り場があるので、チケット購入。
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 そしていよいよ、監獄の壁の中に入る。
 この門には面会室などもあり、受刑者が家族と面会したという。
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 できれば、一生、リアルに入りたくないもんだね。


過酷な環境

 日本最北に位置する網走刑務所。
 もともとは旭川~網走間の道路を作るために、囚人達が派遣されてきたのが刑務所の始まり。小さな寒村だった網走に刑務所ができて、それにより職員とその家族が移住してきたことにより街が発展してきた。網走と他の都市を結ぶ道路も鉄道も空港も、広大な農地も、漁港も全て当初は網走刑務所の囚人達によって作られたものだった。
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 刑務所施設(五翼放射状平屋舎房)の中。中央の監視台から房がある各方向を見たもの。これが5つあったので五翼。少ない人数で効率よく、そして死角がないように設計されている。
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 冬になると、このようなストーブが中央の廊下に設置されるが、どう考えても寒い。
 真冬に氷点下2ケタが普通のこの土地でコレは寒い。
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 あ、脱走犯!
 昭和の脱獄王白鳥由栄が網走監獄から脱走した時を再現したもの。
 頑丈な手錠と監視口を味噌汁の塩分で錆びさせて壊し脱獄。
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 独房の中はこんな感じだったらしい。
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 お風呂もあったよ!もちろん監視付の入浴だし、毎日は入れない。
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 これは明治45年に建てられて、昭和58年(!)まで使用された職員官舎。
 職員官舎ということは刑務官とその家族が住んだ家ってこと。これ寒くね?絶対寒くね?囚人達の環境も過酷だけど、職員の環境も過酷だな。刑務官の中でも網走送りとか言われていたのだろうか。


現代の刑務所

 一応、展示施設の中に現代の刑務所の様子もあった。
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 これは相部屋だね。
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 こちらは独房。
 非常に人間的な生活になったといえば、なったと思う。


裁判所もあるよ

 旧釧路地方裁判所網走支部の建物内部を実際に使っていたもので復原したもの。
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 外観は明治33年から昭和27年まで使われた旧網走区裁判所を再現しているとのこと。
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 これらが実際に平成3年まで使われていたらしい(人形を除く)。
 重厚感あるよねー。


というわけで

 今回紹介した建物はごく一部。
 網走監獄には網走刑務所に関する様々な建物が移築復原されており、またそれに関する展示物も充実しているよ。北海道の開拓と切っても切れない関係だった網走刑務所について学べるので、一度は行ってみると楽しいと思うよ。
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 大連には日本租借時代に建築されたものを中心とした、近代建築物が集まっているところがある。


近代建築物が一堂に会する中山広場

 この街の歴史を語る上では、どうしても外せない場所がある。
 大連市内の中山広場だ。
Zhongshan_Square,_Dalian
   画像出典:Wikimedia commons 作者:MR+G この画像のライセンス:CC BY 2.0
 中山広場は、10本の道が交わる巨大なラウンドアバウトである。この広場時代は帝政ロシアが統治する時代に建設された。現在では、広場の地下には地下鉄1号線の「中山広場駅」がある。上記の写真はちょっと古いが、いまでも大きくは変わっていない。
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 ちなみに写真を拡大して、下のQRコードを読み込ませると中国語だけど古い写真とか見られるよ(音が出るので注意)。
 この広場に接する建物の多くは日本租借時代に建築された建物が今でも現役で使用されている。10棟の建物の内日本租借時代に建築されたのが8棟、そのうち日本人が設計したのが7棟である。2001年に中国の全国重点文物保護単位に指定されており、近現代重要史跡及代表建築に分類された。


旧・朝鮮銀行大連支店

 それでは西側から一つずつ紹介していこう。
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 道路標識と車がクソ邪魔。
 まずは旧・朝鮮銀行大連支店。1920年建築で柱がドーンドーンドーンとある(コリント式オーダー)ルネサンス様式の建物。
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 柱がかなり凝った作りになっている。
 朝鮮銀行は日本統治時代の朝鮮における中央銀行だった。中央銀行でありながら、民間の普通銀行の業務も扱っているという、今から考えれば謎の銀行。この銀行の日本国内にあった資産を元に日本不動産銀行が設立されて、これが今のあおぞら銀行につながる。
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 夜は結構いい感じにライトアップされるよ。
 戦後は一貫して銀行として使用されて、現在は中国工商銀行の大連中山広場支行(支店?)となっている。 


旧・大連民政署→大連警察署

 隣にある赤い建物は、元々関東都督府民生部の行政機関である大連民政署の庁舎として建てられた。
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 この中山広場の建物の中で最も古い、1908年建築。
 時計塔があって、レンガ造りでゴシック様式の建物となっている。日本租借時代の大連で最初に建てられた官庁建築物。当時の空気がわからないけれど、なかなか意欲的な建物に見える。
 1922年からは大連警察署として使用された。
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 ライトアップすると、右側のLEDがうるせぇ。
 戦後も警察署や軍施設として使用されたが、現在は遼陽銀行大連支店となっている。


旧・英国領事館(現存せず)

 1995年にぶっ壊したので、現存せず。
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 まぁ、一応、景観に配慮した感じで落ち着いた建物が新しく2000年に建った。
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 が、古い建築物でないことをいいことにライトアップは中国オーラ全開。いや、マジでホントこれはひどい。ちなみに青くなったり赤くなったりする。実はこの広場にもう一つもっとひどい建物があるんだけどね(後述)。


旧・大連ヤマトホテル

 大連ヤマトホテルは南満州鉄道が経営していたホテルである。
 当時、欧亜連絡鉄道と上海航路の接続地であり、日本と満州を結ぶ拠点でもあった大連には、欧米の一流ホテル並みの西洋式ホテルの整備は必要であった。
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 この広場の中の建物でも一際風格がある。
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 なので、写真いっぱい撮っちゃった。
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 着工から建築まで5年を要し、1914年にオープン。
 内部を見学するツアーがあるとかないとか。
 イオニア式オーダーが並ぶルネサンス様式。
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 夜はかなり抑えめにライトアップされている。
 現在も大連賓館というホテルとして営業中のはず……なんだけど、空室情報がでてこないな。
 値段的にはそれほど高くないので、泊まってみるのもいいかも。


旧・大連市役所

 お次は元大連市役所。1919年建築。
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 なんだろうね。
 うまく言えないんだけどそこはかとなく市役所なんだよ。
 旧高雄市役所とか名古屋市役所となんか似てるんだよ。
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 写真を見比べてみるとあんまり似てなかったりするんだけど。
 でも、そこはかとない市役所風味がある。
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 こいつはライトアップされてないね。
 戦後は市政府関係施設だった。現在は中国工商銀行大連市分行(支社?)になっている。あれ?旧朝鮮銀行も中国工商銀行だったけど、ここも中国工商銀行なのか。まぁ、分行と支行で違うので営業部と支店ぐらい役割が違うんだろうけど。


旧・東洋拓殖株式会社大連支店

 やっと半分すぎた。
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 東洋拓殖株式会社大連支店のビルだったもの。
 東洋拓殖株式会社とは日露戦争後に設立され、日本の植民地投資に大きな役割を果たした会社である。朝鮮半島の農地の買収を進め、地主として朝鮮人小作人を雇って農地経営をするところからスタートしている。最終的には南洋諸島も含む日本の植民地において開発投資をガンガンやる会社として存在していた。南満州鉄道とこの東洋拓殖は戦前の日本において二大国策会社と呼ばれている。
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 これもライトアップしてないね。
 低層階のアーチ型の窓が特徴的。
 戦後は中国共産党の施設、その後市政府庁舎となった。現在は交通銀行大連市分行となっている。


旧・中国銀行大連支店

 次は旧・中国銀行大連支店。
 1910年建築。この広場の建物で唯一中国人による設計である。
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 清の時代に大清銀行大連支店として建てられて、その後名称や国が変わって国有化されたりしたけれど、一応現在の中国銀行につながっている。読者の界隈だと「中国銀行(香港)」の方が有名か。
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 ライトアップの仕方は、まぁいいんじゃないかな。できれば建物上部にも当てて欲しいね。
 戦後は大連市教育局庁舎として使われたというので、中国銀行でも資産は没収されたのだろうか。現在は中信銀行中山支行となっている。
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 ちなみにこの旧・中国銀行の右奥にもう一つ建物がある。
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 こちらは旧・台湾銀行大連支店の建物。1910年建築。
 なんか角が丸いのが特徴。
 現在は大連銀行中山支店として使われている。


大連人民文化倶楽部

 大連人民文化倶楽部は中山広場の建物で数少ない戦後に建てられたものである。
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 戦後の1950年に当時駐留していたソ連によって設計・建設された。
 現在も当初の目的のまま、大連人民文化倶楽部という劇場として現役である。
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 ちらっと中を見学。うむ。洋風だ。
 日本が大連を租借している間にはこのような大規模な劇場は作られておらず、これが大連における初めての大規模劇場となる。
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 夜のライトアップも美しい。


旧・横浜正金銀行大連支店

 横浜正金銀行とは、当時日本唯一の外国為替管理銀行である。貿易金融・外国為替に特化した業務内容であり、日本を国際金融で面で支え、香港上海銀行などと並ぶ外国為替銀行だった。戦後はGHQにより解散させられ、東京銀行に事業を継承、現在の三菱UFJ銀行にあたる。
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 この広場ではあまり車や木などに邪魔をされずに見ることができる数少ない建物。
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 3連のバロックドームを持つタイル張りの建物で1909年建築。
 東京駅とかにも通じるようなデザイン(あっちはレンガだけど)。
 建物としての美しさはこの広場で一等賞だと思う。
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 夜になると背後に建つ中国銀行が電飾全開。
 戦後はソ連の極東銀行として使用されて、現在は中国銀行遼寧省分行となってるとはいえ、この取扱は中国銀行ひでぇ。
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 ちなみに後ろのビルはスローガンが流れたりもする。
 いや、本当にひどいよ、これ。このぶち壊し感が半端ねぇ。


旧・関東逓信局

 そして最後は関東逓信局だった建物。1917年建築。
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 関東逓信局は所謂今の郵便局(郵便・為替・貯金)に関することや、電信電話、電気ガスなどの業務監督を行っていたところである。
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 まぁ、他の建物に比べれば華がないっちゃーないかな。設計者は大連市役所と同じ。
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 華がないと言ったけど、ライトアップは落ち着いた感じでなされていて、これはこれでいいと思う。
 戦後はソ連軍の司令部になった後、大連市郵政局になった。あの結局、戦前の建物が終戦によって用途がなくなった後、結局同じ用途で使われるのってなんでなんだろ?結局、居抜きで使いやすいから?


というわけで

 大連中山広場は古い建物好きは行くの必須!
 意外と広場を一周するだけで(広場が巨大なので)、結構歩くよ!
 地下鉄駅の真上でアクセスがいいので行くといいと思うよ!
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 高雄で古い建物巡りをしてみる。
 もうね、(;´Д`)ハァハァしまくりなわけですよ。(;´Д`)ハァハァ


高雄MRTの終点西子湾駅

 高雄MRTの橙線(オレンジライン)の終点西子湾駅。
 このあたりは哈瑪星と呼ばれるところ。本来西子湾はもうちょっと西側の国立中山大学のあたりのハズ。哈瑪星とは「はましぇん」と読む。元々は高雄港までの鉄道があってそれが日本統治時代に「浜線」と呼ばれていたことが語源。
 旗津へのフェリー乗り場に行くための乗継でよく行くんだけど、よくよく考えたらこの街をちゃんと歩いてないので歩いてみた。


舊打狗驛故事館

 哈瑪星の語源となった浜線の高雄港駅。
 その旧駅舎が簡単な記念館になっている。
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 舊打狗驛故事館。
 元々このあたりは高雄の中心街で、高雄港駅も元々は高雄駅だった。門司港駅が元々門司駅だったみたいな感じ。打狗は高雄の旧地名で、「たーかう」と読む。日本統治になって「犬を打つ」という字はちょっとなぁ……ってなったらしく、音を活かして「高雄」に解明。戦後は漢字が残って「カオシュン」と呼ばれるようになっている。そんなわけなので、旧打狗驛故事館って名前になっている。鉄道が開業したときは打狗駅だったからね。
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 台鐵にありがちなLEDが置かれてたよ。
 内部にそれほど展示物があるわけではないので、外に行く。
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 保線用のディーゼル機関車?
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 古い客車や電源車も。
 なんか、ただ置いてあるって感じ。
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 こちらはDT609。日本で言うところの9600型。
 台湾のSLは基本的に日本統治時代のもの。
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 こちらはCT259。日本で言うところのC55。
 線路規格が低くても入線できたので、重宝されたヤツ。
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 そんな保存車両の中に高雄捷運環状軽軌の哈瑪星駅があるので、最新鋭の車両と並んで写真が撮れたりする。


哈瑪星貿易商大樓

 高雄港駅跡地の道路挟んで反対側には市街地が広がる。
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 哈瑪星貿易商大樓という建物。
 修復がなされて、2018年9月にオープン。
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 あー。床の感じとかいいよねー。
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 とりあえずエレベーターで最上階へ。
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 あぁ、この曲線がいい感じ。
 四角いビルばかりの現世で、このカーブって貴重だし、美しい。
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 降りるときは階段で。
 私、階段フェチなんです。特に古い建物の階段って意匠があって興味深い。
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 道路挟んだ向かいには旧山形屋書店。
 ここはカフェになっているっぽい。


武德殿

 台湾各所に限らず戦前の日本各地に武道鍛錬の場として武德殿というものが作られた。
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 台湾にもいくつか武德殿だった建物が残っているが、本来の用途で復元され使用されているのは高雄市の武德殿が唯一である。
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 正面に立つガジュマルが印象的。
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 武道場なのにレンガ造りというのが意外。
 窓が多く設置されており風通しが良く、涼しそうだ。
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 内部では剣道の稽古が行われていた。
 現在は社團法人高雄市劍道文化促進會が管理を行っており、道場として使われている。
 台湾でも剣道ってあるんだなー。


登山35哈瑪星再生基地

 武德殿のすぐそばにある登山35哈瑪星再生基地。
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 こちらは日本統治時代の建物ではなく、戦後初期の建物。
 とはいえ、モザイクタイルと角の曲線が美しい。
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 内部から見た姿。
 中は、昔の生活用品や地図、写真などが展示されている。
 大学生のバイトっぽい子がたどたどしい英語で案内してくれた。感謝。

 他にもたくさん古い建物が残っているので回ってみるといいと思うよ。
 哈瑪星貿易商大樓とかだと、このあたりの古い建物地図を配っているのでそれを参考に歩いてみよう。


旗津には行かない

 この日の旗津行きフェリーは大混雑。
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 下のテントに向かって列できてる。
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 その列はずーっとずーっと先まで続いてる。
 こりゃ行くの諦めたよ。
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 今回初めて行く街、羅東。
 ここにも古い建物を残した歴史を感じる場所があるのでした。


台東から羅東へ

 台東から台北まで普悠瑪に乗ろうとすると、チケットを取るのは至難の業。
 でも、台東~花蓮だとチケットが余裕で取れるよ。
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 旧型の客車から最新鋭の電車へ乗継。
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 ほら、がらがらでしょ。
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 台東に保存されている、昔の台北~高雄間を走ったディーゼル特急車DR2700。
 昔、一回乗ったなぁ。電化前の花蓮~台東間で。
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 お弁当を食べる。台北の台鐵弁当とは中身がちょっと違う。
 かといってこの辺の有名な駅弁である池上弁当とはちょっと違う。
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 花蓮からは間快で羅東へ。
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 海を見ながら羅東に到着。
 そして羅東で宿泊した。


羅東林業文化園區

 朝一から活動。
 まずは羅東市街から北に離れたところにある羅東林業文化園區を見学。
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 日本統治時代に始まった大平山から切り出した木材を羅東森林鉄路で運び出し、ここで集約する貯木場などがあった場所の跡地。1982年に木材の切り出しが終わるまで、使用していたところらしい。
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 森林鉄道で使用されていたSLなども展示されている。
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 SLのあと使用されていたと思われるディーゼル機関車も展示されている。
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 こちらは羅東森林鉄路の終着駅である竹林駅を復元したもの。
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 もちろん貯木池も残っている。
 さすがに木材はないけれど。
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 これはトーチカかしら。
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 日本家屋も復元されたのか、修復したのか多数残っている。
 こういった古い建物を保存したり復元したりする活動が台湾ではものすごい活発。行政もその復元にお金を出しているのがすごい。正直、ここまでたくさん残す意味があるのかなという気がしなくもない。


中興文化創意園區

 さて、見学が終わったので次のスポットへ向かう。
 西側の広い道を北へ進むとある「羅東林場」バス停より國光客運[1766]系統のバスで北上。今度は中興文化創意園區へ行く。バスは昼間だと45分間隔。距離にして2kmなので、歩いてもいいかもしれない。タクシーはあまり走ってないと思う。
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 さぁやってきたよ。
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 ここは日本統治時代から始まった製紙工場の跡地。台湾最大の製紙工場で、東南アジア一の生産量を誇ったとか。2001年まで使用されていた製紙工場を修復し、アートの空間として再出発したのがこの中興文化創意園區。こういう施設、台湾には結構たくさんある。
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 外見はそれほど手を付けられていないけど、中はびっくりするぐらい近代化されている。人が多かったので中の写真を撮ってないのだけど。
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 巨大な煙突や大きな建物も残っている。
 残念ながらこれがどういう施設だったのかという説明書きは少ないのだけど。
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 各種イベントも開催されてるよ。
 屋外のイベントは暑すぎて人があんまりいなかった。
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 台湾にある日本統治時代の三大建築の一つ、旧台南地方法院に行ってみた。


台南にある日本統治時代の遺産

 台湾では古い建物を修復して公開するというのが流行りである。特に日本統治時代の建物でその傾向は顕著である。
 中華人民共和国に飲み込まれそうになっている状況の中で、台湾人は大陸の奴らと違うんだって思ったときになぜ違うのか、自らのアイデンティティーは日本統治時代を経験したことによって大陸の奴らと違うんだ!って思う人がいる。この辺はセンシティブな話で外省人(戦後大陸から逃げてきた人)と内省人(日本統治時代を経験している人)というくくりでは説明できないような状況である。昔はね、外省人・内省人で違っていたというけれど、今はそういったことは関係ない。
 その辺の経緯があるので、日本統治時代の建物を保存することに力を入れている。


旧台南地方法院

 今回見学する旧台南地方法院は日本統治時代から台湾総督府の裁判所として建設され、戦後もそのまま中華民国の裁判所として2001年まで使用されていたものである。台湾にある日本統治時代の三大建築の一つとされていて、Wikipediaによれば残りの2つは、台湾総督府(現総統府)と台湾総督府博物館(現国立台湾博物館)らしい。
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 2016年に復元工事が完成して公開されているので、まだ新しい。
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 実に立派な建物。
 日本では失われた建物がここにある。
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 作りというか装飾が非常に細かい。


内部に入る

 見学は無料。
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 入ってすぐの柱。
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 どういう様式なのか、その辺の知識はないけれど、この柱にかなりの仕事が入っているのはわかる。
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 こちらは拘留室。留置所みたいな役割もあったのだろうか。
 かなり細長い部屋。
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 こういう建物の外側に配された廊下ってそそられるよね。
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 もちろん法廷も再現されている。
 こういった法廷で模擬裁判なども開かれているらしい。


スタンプラリーもあるよ!

 台湾の人々の古い建築物を残そうという思いを実感できる場所だね。
 林百貨店から歩いてもたいした距離じゃないので、是非セットで行ってみよう。
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 館内スタンプラリーもやってるよ。
 無料で参加できて、全部集めるとポストカードもらえるよ。
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 ちなみに向かい側では巨大な美術館が建設中だった。
 今はオープンしてるらしい。ここには以前台南神社があった。
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 さて、所々でポケモンGOをやりながら、バイクに乗ってさらに山奥へ。
 第二のスポットへGO!
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 駐車場が完備されたビュースポットへ。
 旧山線のガーター橋が見える。
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 で、写真を撮った場所は行き止まり。実はこの先の部分が、一番重要なビュースポットなのです。はい。
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 ここは龍騰斷橋(魚藤坪斷橋)。
 1908年に初めて鉄道が開通したときに使用されていたレンガで作られた橋。
 1935年の新竹台中地震によって崩壊。その後この橋は放棄されて、1938年に西側に新線が開通した。つまりこれは旧旧山線の跡地。
 この崩壊した橋というのが、なんとも言えない儚さというか、美しさがある。
 廃墟好きや古い建造物好きの私としてはまさにストライクゾーン。
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 そして、もちろんさらに谷の反対側にも橋脚が残っている。こちらは駐車場などはなく、マイナーなスポットになっている感じがある。すでに多くの木が生えていて、埋もれつつある風景。
 自分の語彙力のなさではあまりうまく表現できないけれど、とにかく美しい。
 こういった昔のものをちゃんと保存(っていうか放置に近い)しているというのはありがたい。

 昔、月刊観光台湾の表紙か何かを飾っていて、一度行ってみたいと思っていた場所。でも、調べれば調べるほど公共交通機関では到達が困難であることがわかったので後回しになっていたけど、今回ついに来ることができた。
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 さて、さらに南下を続け、旧山線の跡地を見つつ、近所の湖(ダム・鯉魚潭水庫)へ。
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 洪水時に越水させるところかな。
 ここから山側を迂回しつつ、さらに南下。途中に梨の直売所がたくさんあるところを通った。
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 来たのは旧・泰安車站。
 ここは勝興車站よりも観光客が少なく、落ち着いた雰囲気。そして、廃止になったときのまま時間が止まったような駅だった。
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 一時期観光鉄道として復活したこともあったので、今でも列車が来そうな雰囲気。
 というわけで一日堪能してきたのでした。

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 台湾国鉄は竹南から彰化まで路線が二つに分かれていて海岸線(海線)と台中線(山線)に分かれている。元々山線が先に開通していて、昔は山線の勾配のきつさや線形の悪いというのもあって、輸送力増強用に海岸線が追って開通している。今は電化されたり、線形を良くした結果、基本的に優等列車は山線を経由している。
 今日はその線形を良くした結果、廃止になった旧山線部分を見に行く。ちなみに公共交通機関がないので、これをやるにはレンタルバイク、レンタカー、タクシーチャーターする必要がある。
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 というわけで、バイクに乗って旧山線に沿ってツーリング。
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 なんか指定されてるみたい。

 まずは第一のスポット、勝興車站に到着。
 駅前はかなり狭い上に、車が多く、バイクの駐輪にも一苦労。たぶん、車で行くともっと苦労するような気がする。 駅周辺の道は土日に限り一方通行。行きすぎてしまうと戻るのにはかなり長い距離を迂回しなければいけないので、停められる場所を見つけたらすぐ停めるのが吉。ちなみに車の場合駐車場は有料。
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 当然、駅舎は日本統治時代のもの。結構な山の中だけど人がいっぱい。みんな思い思いに線路に降りて楽しんでいる。線路もそこそこきれいな状態を保っている。
 旧山線は何年か前に復活運転をしていたのだけど、ここ数年はやってないみたい。ただ、地元はまた復活させることを狙っているようで、もしかしたらまた乗れるようになるのかも。
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 そして、この地は台湾国鉄の元最高地点。海抜402m。日本の鉄道最高点は1,375mなのでそれほど高いところを走っているわけではない。まぁ、台湾国鉄は基本的に島の外周部を走っているだけなので、あんまり標高が高いところがないんだと思う。これが国道になると台湾の最高地点は武嶺の海抜3,275m!日本で2番目に高い山が南アルプス北岳の海抜3,193mなのでこれを超える高さまで車で行ける。いつか行ってみたいなぁ。
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 駅からすぐそばにトンネルがある。このトンネルはさすがに立ち入り禁止。
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 このトンネルの上部分に後藤新平が揮毫した「開天」の文字が残っている。拡大すると見えると思うけど、「明治三十七年九月」と「後藤新平書」という文字も見える。
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 駅長宿舎も日本式家屋。
 いいねぇ。こうやって古い物を残すことは大切だよね。

 というわけで、色々と楽しんだのでした。
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 さてさて。用事も終わったので高鐵(新幹線)で台中へ。
 高鐵台中駅=新烏日駅で乗り換えて台鐵で台中駅に到着。

 今夜のホテルは台中駅前。台中市内は比較的ホテルの値段が手頃なのでうれしい。ただ、観光スポットはあんまりないんだけどね。

 台南には日本時代のデパートの建物を再活用した林百貨店があるけれど、台中にはそれと似たような形で宮原眼科がある。眼科だけど高級お菓子屋さん。レストランも入ってるので食事もできる。
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 日本統治時代には宮原眼科という眼科があったらしい。で、戦後は台中市衛生院として使用された後放棄。その後補修しようとしたら台風で半壊したので、外観だけのこして中は新しい建物に生まれ変わった。まぁ、規模はともかく東京駅のKITTEみたいな感じだね。
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 見にくいけど、台中市衛生院と書いてある。
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 外の歩道部分。レンガ造りで美しいね。
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 店内。なんかヨーロッパの図書館みたいな雰囲気(行ったこと無いけど)。
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 袋のデザインもイイネ。
 経営はパイナップルケーキで有名な日出グループ。
 なのでこんな袋も作っちゃってる。
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 いいねー。こういうの好きだよ。日出+眼科でこんなデザイン。

 アイスクリームとかチョコレートとか色々売ってるよ。正直言ってちょっと高いけど。
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台南にオープンしたニュースポット、林百貨店。
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 日本時代に建てられた百貨店。その建物が戦後様々な用途に使われていたが、改修して特産品販売施設として生まれ変わったもの。
 台湾の人々の古い建物を残そうとする動きはなかなか素晴らしい。もしかしたら、翻弄され続けた自分たちの国の歴史を残していきたいという思いが強いのかもしれない。特に台南は古い建物がかなり残っており、そういうのが好きな人にとっては見所がたくさんありすぎる。台南の消防署や警察署、博物館の建物なども日本統治時代に建てられたものを使っている。

 そんな中で、林百貨店がオープン。
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 屋上には神社の跡地があったりー
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 空襲の跡がそのまま残ってたりー
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 階段の感じがなんか雰囲気出てたりー
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 エレベーターの床が凝ってたり~

 なかなか素晴らしいです。ちなみにエレベーターは元々あったエレベータ部分の内側に作ってあるので、かなり狭い。元々のエレベーターレールなどそのまま残されていて、内部から見ることができる。

 売ってる物はかなりお高め。
 でも、文房具とかグッとくるもの売ってたりする。
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 夜はライトアップされていて、これまたグッとくる。

 台南来たら一度は行くといいかも。
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