そこには確かに住宅街があったんです。


東日本大震災に関する国営追悼・祈念施設

 東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓の後世への伝承、国内外に向けた復興に対する強い意志の発信を目的に、岩手・宮城・福島の各県に1箇所ずつ国営追悼・祈念施設の整備を国は行った。
 岩手県は陸前高田、福島県は双葉町に、そして宮城県は石巻に整備することとなった。現在、福島県のものは建設中であるが、岩手と宮城のものは完成している。
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 今回紹介するのは宮城県の国営追悼・祈念施設である石巻南浜津波復興祈念公園である。

 場所は以前紹介した石巻市震災遺構門脇小学校の前にあり、とてつもなく広く見える公園である。
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 とにかく開けているため、どこまでも空が広い公園だ。
 つまり日陰となる部分も少ないので水分補給等気をつけて。


みやぎ東日本大震災津波伝承館

 この公園の中に宮城県が管理する津波伝承施設となる「みやぎ東日本大震災津波伝承館」がある。
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 それほど大きな施設ではないし、実物ではなく写真などの展示が中心である。
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 オープン当初は「せっかくの施設なのにしょぼくね?(意訳)」という批判もあったが、実物はすぐそばに震災遺構門脇小学校として存在するわけで、そういった役割はそちらに譲ったということなのだろう。


旧門脇保育所

 公園内には建物の基礎が残っている場所がいくつかある。
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 当時0-5歳児の子ども達がいたこの保育所では1.8km先の山の上にある石巻保育所まで、毎月行っていた避難訓練の成果により無事避難することができた。
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 保育所に設置されていたプールも残っている。


6.9mの津波がこの地を襲った

 この地を襲った津波の浸水深は6.9m。ビル2階から3階の高さである。
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 この写真の部分は土地が0.7mかさ上げされているため低く見えるが、それでも高い。
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 右に見える建物が「みやぎ東日本大震災津波伝承館」なのだが、この建物の高さは津波の浸水深に合わせてある。想像してほしい、ここまで海面が上昇する。勢いよく陸地に向かってくる。
 左の山は「一丁目の丘」で標高は10m。
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 丘に上がると公園内が見渡せる。おそらく緊急の津波避難施設も兼ねてるのかな。


丘から見渡す風景の意味

 丘の上から公園内を見渡す。
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 今は広い公園を見渡せるのだけど……。
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 設置された看板を見ると、そこには住宅がたくさんある写真があった。そうここにはたくさんの住宅があった。この写真と同じ場所や高さではないけれど、似たような画角で見られるようにこの丘は整備されているのだ。
2024
 ↑この写真はGoogleマップで2025年現在見られる衛星写真。
2011
 ↑こちらは震災直後の2011年5月18日に国土地理院によって撮影された空中写真。
1985
 ↑これが1984年に国土地理院が撮影した空中写真。
 見ていただければわかるとおり、この場所には多数の住宅が建っていた。この多くは津波に呑まれ、そして発生した火災により跡形もなくなったのだ。


そこにあった街を偲ぶ

 何もなさそうに見えるが、歩いて行くと所々に看板がある。
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 住所と、その場所の震災前の写真が掲示されている。
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 場所によっては看板と一緒に建物の基礎が残っているところもある。
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 先ほどの航空写真を見比べてほしいが、公園内の通路は(全てではないが)震災前の道と同じ位置に作られている。かつてこの場所に住んでいた人たちが見つけやすいように、住んでいた人たちが偲べるように。池にある島も、かつての交差点の位置に作られているのだ。


かつての姿を思い浮かべて

 このほかにもコンクリートの建物に津波があたって地面が洗掘されその場所が湿地化した場所や石巻市慰霊碑などもある。松の植林も多数行われており、将来的には立派な松林もできるだろう。訪れたのは2021年なので、今ではまた様子が変わっているかもしれない。
 震災前の道を再現し、その場所に住所と震災前の写真を示した看板を立てるというのはかつて住んでいた場所を知りたい人にとっては大きな助けになることだろう。最初の津波伝承施設を見ただけだと、「えーこれだけかよ」と思う部分は正直言ってあったが、そのほかの施設を見ていくうちに、ここでしかできないこの場所だからこそできる表現なのだなと思った。