人によってはあっという間の28年かもしれない。
日本政府によって命名された災害において「大震災」という名前がついているのはたった3つ。
「関東大震災」
「阪神・淡路大震災」
「東日本大震災」
東日本大震災においては各地に災害の恐ろしさを実感させるために、災害遺構が数多く残された。そのほかにもこの災害遺構のカテゴリーにあるように様々な災害の遺構が残されている。しかし、「阪神・淡路大震災」においてはその被害を現代に伝える震災遺構はほとんど残っていない。東日本大震災と違い、大都市が火災によって大きな被害を受けた災害であり、人口密集地帯であったこともあり復興が優先されたのが大きな理由であろう。その中で数少ない遺構が北淡震災記念公園野島断層保存館である。なお、この場所以外に残っている阪神・淡路大震災の震災遺構は下の記事を参照していただきたい。
我々はつい、「阪神大震災」と略してしまったり、思い浮かべるのは神戸や西宮の被害を受けた姿だけを思い出してしまう。確かに、多くの人々が被害を受け、映像で流されていたのもインパクト重視のせいか、阪神間や明石のものばかりであった。しかし、阪神・淡路大震災(災害名)の元となる兵庫県南部地震(地震の現象名)の震源は明石海峡であり、当然対岸の淡路島でも大きな被害が出ている。
この北淡震災記念公園がある北淡町も死亡者39名、1,057世帯の建物が全壊、1,220世帯の建物が半壊している。もちろん、人口が多い阪神地区に比べれば少ない数ではあるが、当時の人口11,214人、3,610世帯であったことを考えれば大きな被害である。

その北淡町に北淡震災記念公園の野島断層保存館はある。アクセスは神戸三宮か高速舞子から高速バスで直通。午前中は1時間強に1本程度走っている。
それでは野島断層保存館へ。入館料大人730円。

あの高速道路が倒れたやつをイメージした展示からスタート。
野島断層は1995年1月17日未明に発生した兵庫県南部地震の原因となった活断層の一つである。この断層には淡路島北西部に長さ10km、最大で1.2mの段差、2m近い横ずれを発生させた。

これが保存されている断層。
アスファルトがあることから道路であることはわかると思う。その横にある水路、これが横ずれしているのがわかるだろうか。当然、この水路はつながっていた。それが地震の力で引きちぎられたのだ。
ここには地震の時のままに断層が約140mにわたって保存されている。

もちろん段差もできている。
(なんかすごくウソっぽく見えてしまうのだけど本物)

奥が主断層、手前が副断層。断層は2つに分かれている。
地中深くでは一つの断層に収束すると考えられている。

さて、副断層が姿を消して、一つの断層になる部分。
オレンジと水色、それぞれの示す点が同一だった部分を示している。あぜ道が右に横ずれているのがわかるだろうか。

その隣にある生け垣も当然ずれている。

ちょっとわかりづらいので模型で上から見るとこんな感じ。

そして、今度は断層がそれぞれの方向に引っ張られたため、陥没している。地面同士がぶつかれば段差ができるし、地面同士が離れていけば陥没する。

再び断層らしい断層になるんだけど、もう読んでて飽きてきたよね。私も飽きてきた。
とはいえ、これだけの地面が動くということを想像して欲しい。そう、動くんだよ。巨大な力で。

そして、断層が見える。

確かに断層だ。地表で段差ができていれば、もちろん地中も分断されている。
それでも、あぁ、教科書通りだ!って思う。(色はわかりやすくするために塗ってるのかな?)
外に出ると壁がある。

この壁は神戸市長田区の若松市場で防火壁として建設されたもので、第二次世界大戦の空襲による火災に耐え、阪神‥淡路大震災にも耐えた壁である。
復興の邪魔だったので神戸では保存できず、淡路市しづかホール隣接地に1999年移設。さらに2008年にこの地へ移ってきた。
外にはさらに一軒の家がある。

めちゃめちゃ立派な門でびっくりするが、元々は個人宅。

断層の上に建っているので、当然塀も被害を受けている。

それでは入ってみよう。

地震直後の台所の様子を再現したエリア。
この家の持ち主は震災後4年間住んでいたらしいので、一度片付けられている。

観音開きのドアとか危ないってあの頃言われたよねー。
台所において被害が大きいのは火災関係の他は割れた食器。

実はこの家は傾いている。断層が建物直撃はしなかったものの1m海側を通っていたため、元の位置から20cm持ち上がり、横に120cm動いている。地盤が傾いたので家全体が基礎ごと傾いている。ただ、この家は鉄筋コンクリート造りで基礎に通常の2倍以上のコンクリートを使用していたため、めちゃくちゃ頑丈で、家のゆがみや壁と柱の隙間はほとんどないという。

そこまで頑丈だったので、逆に言えば震災後も4年間住み続けていたとも言える。ただ、どんなに頑丈に作っても地盤の傾きには勝てなかった。

外に出たら、地盤のずれが見られる。
実際に見ると本当にずれているのだ。このあたりではほぼ段差はなかったようだが、1.2mほど右横ずれが発生した。

まぁ、振り返ってみると、普通の一軒家ではないな。

っていうか、この家、塀もめちゃくちゃ頑丈じゃない?どんだけ頑丈に作ったの?って言いたくなるほど頑丈。もう、私個人としては家の建築費がどれくらいかかったのかとか、どうしてこんなに頑丈に作ったのかとか気になって仕方がなかった。
さて、震災体験館では兵庫県南部地震と東北地方太平洋沖地震の揺れの違いを体験できるらしい。

はい。機械点検中で体験できず。
阪神・淡路大震災においては、神戸港震災メモリアルパークの半分沈んだ岸壁はインパクトあるし、人と未来防災センターの1/1ジオラマは都市部の地震災害における被害を実感できた(まぁ、ジオラマだけど)。そして、この北端震災記念公園では実際の断層を目の当たりして、これほどの「地面が動く」というのを実感した。阪神・淡路大震災で発生した断層のずれの特徴的な部分を保存するために、関係者の皆様の協力があってのことなので、感謝したい。
日本で起きた「大震災」の「震災遺構」
日本政府によって命名された災害において「大震災」という名前がついているのはたった3つ。
「関東大震災」
「阪神・淡路大震災」
「東日本大震災」
東日本大震災においては各地に災害の恐ろしさを実感させるために、災害遺構が数多く残された。そのほかにもこの災害遺構のカテゴリーにあるように様々な災害の遺構が残されている。しかし、「阪神・淡路大震災」においてはその被害を現代に伝える震災遺構はほとんど残っていない。東日本大震災と違い、大都市が火災によって大きな被害を受けた災害であり、人口密集地帯であったこともあり復興が優先されたのが大きな理由であろう。その中で数少ない遺構が北淡震災記念公園野島断層保存館である。なお、この場所以外に残っている阪神・淡路大震災の震災遺構は下の記事を参照していただきたい。
淡路島も被災地
我々はつい、「阪神大震災」と略してしまったり、思い浮かべるのは神戸や西宮の被害を受けた姿だけを思い出してしまう。確かに、多くの人々が被害を受け、映像で流されていたのもインパクト重視のせいか、阪神間や明石のものばかりであった。しかし、阪神・淡路大震災(災害名)の元となる兵庫県南部地震(地震の現象名)の震源は明石海峡であり、当然対岸の淡路島でも大きな被害が出ている。
この北淡震災記念公園がある北淡町も死亡者39名、1,057世帯の建物が全壊、1,220世帯の建物が半壊している。もちろん、人口が多い阪神地区に比べれば少ない数ではあるが、当時の人口11,214人、3,610世帯であったことを考えれば大きな被害である。

その北淡町に北淡震災記念公園の野島断層保存館はある。アクセスは神戸三宮か高速舞子から高速バスで直通。午前中は1時間強に1本程度走っている。
野島断層保存館
それでは野島断層保存館へ。入館料大人730円。

あの高速道路が倒れたやつをイメージした展示からスタート。
野島断層は1995年1月17日未明に発生した兵庫県南部地震の原因となった活断層の一つである。この断層には淡路島北西部に長さ10km、最大で1.2mの段差、2m近い横ずれを発生させた。

これが保存されている断層。
アスファルトがあることから道路であることはわかると思う。その横にある水路、これが横ずれしているのがわかるだろうか。当然、この水路はつながっていた。それが地震の力で引きちぎられたのだ。
ここには地震の時のままに断層が約140mにわたって保存されている。

もちろん段差もできている。
(なんかすごくウソっぽく見えてしまうのだけど本物)

奥が主断層、手前が副断層。断層は2つに分かれている。
地中深くでは一つの断層に収束すると考えられている。

さて、副断層が姿を消して、一つの断層になる部分。
オレンジと水色、それぞれの示す点が同一だった部分を示している。あぜ道が右に横ずれているのがわかるだろうか。

その隣にある生け垣も当然ずれている。

ちょっとわかりづらいので模型で上から見るとこんな感じ。

そして、今度は断層がそれぞれの方向に引っ張られたため、陥没している。地面同士がぶつかれば段差ができるし、地面同士が離れていけば陥没する。

再び断層らしい断層になるんだけど、もう読んでて飽きてきたよね。私も飽きてきた。
とはいえ、これだけの地面が動くということを想像して欲しい。そう、動くんだよ。巨大な力で。

そして、断層が見える。

確かに断層だ。地表で段差ができていれば、もちろん地中も分断されている。
それでも、あぁ、教科書通りだ!って思う。(色はわかりやすくするために塗ってるのかな?)
神戸の壁
外に出ると壁がある。

この壁は神戸市長田区の若松市場で防火壁として建設されたもので、第二次世界大戦の空襲による火災に耐え、阪神‥淡路大震災にも耐えた壁である。
復興の邪魔だったので神戸では保存できず、淡路市しづかホール隣接地に1999年移設。さらに2008年にこの地へ移ってきた。
メモリアルハウス
外にはさらに一軒の家がある。

めちゃめちゃ立派な門でびっくりするが、元々は個人宅。

断層の上に建っているので、当然塀も被害を受けている。

それでは入ってみよう。

地震直後の台所の様子を再現したエリア。
この家の持ち主は震災後4年間住んでいたらしいので、一度片付けられている。

観音開きのドアとか危ないってあの頃言われたよねー。
台所において被害が大きいのは火災関係の他は割れた食器。

実はこの家は傾いている。断層が建物直撃はしなかったものの1m海側を通っていたため、元の位置から20cm持ち上がり、横に120cm動いている。地盤が傾いたので家全体が基礎ごと傾いている。ただ、この家は鉄筋コンクリート造りで基礎に通常の2倍以上のコンクリートを使用していたため、めちゃくちゃ頑丈で、家のゆがみや壁と柱の隙間はほとんどないという。

そこまで頑丈だったので、逆に言えば震災後も4年間住み続けていたとも言える。ただ、どんなに頑丈に作っても地盤の傾きには勝てなかった。

外に出たら、地盤のずれが見られる。
実際に見ると本当にずれているのだ。このあたりではほぼ段差はなかったようだが、1.2mほど右横ずれが発生した。

まぁ、振り返ってみると、普通の一軒家ではないな。

っていうか、この家、塀もめちゃくちゃ頑丈じゃない?どんだけ頑丈に作ったの?って言いたくなるほど頑丈。もう、私個人としては家の建築費がどれくらいかかったのかとか、どうしてこんなに頑丈に作ったのかとか気になって仕方がなかった。
震災体験館
さて、震災体験館では兵庫県南部地震と東北地方太平洋沖地震の揺れの違いを体験できるらしい。

はい。機械点検中で体験できず。
阪神・淡路大震災を実感できる数少ない施設
阪神・淡路大震災においては、神戸港震災メモリアルパークの半分沈んだ岸壁はインパクトあるし、人と未来防災センターの1/1ジオラマは都市部の地震災害における被害を実感できた(まぁ、ジオラマだけど)。そして、この北端震災記念公園では実際の断層を目の当たりして、これほどの「地面が動く」というのを実感した。阪神・淡路大震災で発生した断層のずれの特徴的な部分を保存するために、関係者の皆様の協力があってのことなので、感謝したい。