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カテゴリ: 余談

津波への備えはあったけれど。


今回は正直地味な遺構

 震災遺構が各地に整備されてきて、正直派手な物と地味な物がある。
 今回紹介するのは正直言って地味である。地味であるけれど、そこには大きな教訓がある。
 場所は久慈と宮古のほぼ中間に位置する岩手県田野畑村。ここには明戸海岸という観光地があった。海岸とそれに付随してキャンプ場や野球場などが設置されており、さけの孵化場もあった。
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 私が行ったときには静かな海だけがあった。津波で建物を、人々を、全てを飲み込んだとは思えない、静かな静かな海だった。


ズタズタに破壊された防潮堤

 明戸海岸にある9mの高さがあった防潮堤は震災による津波によって破壊され、津波はさらに背後の集落に向かって進んでいった。さけの孵化場もキャンプ場も野球場も飲み込んで津波はさらに奥にあった明戸の集落まで襲った。最大遡上高は25.5m。最大遡上高とはその海抜の高さまで津波が来たということであり、津波の高さとは違う。あくまで勢いで陸地を遡っていくため、陸地が高くなれば津波も高くなるということである。この時の津波の高さは推定17.1m。高さ9mの防潮堤をあっさりと越えた。
 ここからわかることは「津波の高さ6mだから海抜6m以上の場所にいれば平気」ということにはならないということだ。最大遡上高は25.5mなのだから、そこまで津波は上がってくる。もちろん頑丈な高さのある建物に避難できるならいいが、そうでなければとにかく海から遠くに逃げることだ。「海から離れること」と「なるべく高い建物や場所に逃げること」が重要である。
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 この地にはその破壊された防潮堤の一部が保存されている。
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 頑丈なコンクリートの防潮堤がズタズタに破壊されているのがわかるだろうか。
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 自然の災害の前で人工物は無力である。
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 元々あった防潮堤も少し残っていた。この断面からどれだけの高さの防潮堤があったのかがわかる。


津波は大きな物も運ぶ

 そして、津波は防潮堤を破壊するだけでなく、大きな物を運んでくる。
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 これは明戸海岸の海中に設置されていた波消しブロックである。
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 牡蠣の殻が付いていることからわかるとおり、これらは海中にあったものである。
 沖合200mと場所から8tもする物が流されてきたのだ。もちろんこれらは単独で置いてあったわけではない。積まれていたのだ。多数積まれていた物が流されて来たのである。


そして新しい防潮堤が作られた

 新しい防潮堤が元々の防潮堤よりも海岸から離れた位置に設置された。
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 新しい防潮堤の高さは12m。震災前の防潮堤の高さは9mだったので、3m高くなっている。
 一方で東日本大震災に津波の高さは推定約17.1mである。もし、東日本大震災と同じレベルの津波が発生したときにはこの防潮堤では役に立たない。しかし、この高さの防潮堤を作ることは現実的ではない。東日本大震災レベルの防潮堤を全て整備することは莫大な費用がかかるからだ。それでも、以前よりも高くすることで、津波を完全に防ぐ確率が高まり、越えた津波の勢いを減らすことができる。そして、その背後にも防潮堤以外の津波を防ぐ二重三重の仕組みが備えられている。それは遡上高を下げる、浸水区域を少なくすることに役立つのだ。

 避難生活がそこにはあった。


新潟県中越地震(新潟県中越大震災)

 2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源としたM6.8の直下型地震が発生した。これが「新潟県中越地震」である。日本の観測史上2度目に最大震度7を記録し、震度改正により震度計により初めて観測した震度7の地震である(震度改正以前は調査により震度7を認定していた)。気象庁は「新潟県中越地震」と命名したが、新潟県およびその県内市町村においては「新潟県中越大震災」と呼称している。
 この地震の大きな特徴としては大きな余震が多数発生したことである。特に本震発生直後2時間の間に、最大震度6強の地震が2回、最大震度6弱の地震が1回、最大震度5強の地震が4回、最大震度5弱の地震が4回も発生している。
 これらの余震を含めた強い地震の複数回の揺れにより、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路がおよそ6,000カ所で寸断されることになった。この年は過去最多10個の台風が上陸しており、地盤が緩んでいたことも山崩れや土砂崩れの多さの原因という指摘もある。それにより河道閉塞が多数発生し、多くの家が水没することになった。建物倒壊などの直接的な死者は16人、そのほか52人が関連死(エコノミー症候群や避難生活のストレスが原因)とされている。家屋の全半壊はおよそ17,000棟であった。
 鉄道の被害として象徴的だったのは、国内の営業運転中における初めての脱線事故が発生したことである。しかも、それは奇跡的ともいえる好条件が重なったことにより、乗客乗員に死者負傷者被害が出ることはなかった。2chでは「上越新幹線とき325号」のFLASHが作られて多くの人の涙を誘った。


中越メモリアル回廊

 その新潟県中越地震において発生した被害と教訓を後世に伝承する施設群として「中越メモリアル回廊」と称し、4つの拠点施設と3つの屋外施設が整備された。国からはこの伝承施設について補助金は出ておらず、新潟県が県債を用意し、その運用益を中越大震災復興基金として、その基金の一部によって運営していた。令和2年度までと期限が区切られており、期限を超過すると自立的な運営を求められている。その結果、中越メモリアル回廊の各施設は令和2年度より公益社団法人中越防災安全推進機構の一体運営からそれぞれの施設の運営に分かれている。正直それってどうなん?って感じだし、ネットワーク化することによって、それ以上の効果を発揮することになると思うのだがそうなっている。以前はこの中越メモリアル回廊全体のホームページが存在し、モデルコースなどが公開されていたがなくなってしまった。とはいえ、これらの新潟県中越地震における伝承施設の一定の成功が、東日本大震災における震災伝承施設の設置につながっていると言えるだろう。


おぢや震災ミュージアムそなえ館

 長々と説明してきたがようやく本題に入る。
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 小千谷市民学習センター2階におぢや震災ミュージアムそなえ館がある。
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 「そなえ」との言葉の通り実際にどのようなことが起こるのか、地震後はどうなるのかを中心に学ぶことにより、地震に備えるための学習をする施設である。
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 中に入るとまずは世界一四尺玉の花火が出迎えてくれる。でけえ。
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 階段を昇ると受付がある。
 現在は公益社団法人中越防災安全推進機構の手を離れ、一般財団法人小千谷市産業開発センターが管理運営をしているようだ。


発災ゾーン

 まずは発災の再現映像を見るところからスタート。
 他に客がいなかったので、私が来たことによってスタートした。
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 ちなみに後ろに4席ほど特別席があるので、そこで見るといいと思うよ。再現3DCG映像に合わせて揺れる。
 映像は神戸にある人と防災未来センターで見る映像と同じ会社が作ったのでは?というぐらいコンセプトが似ている。映像自体はそのうち別記事になる「長岡震災アーカイブセンター きおくみらい」にあるものと同一だが、イスが揺れる分ここで見た方がいいと思う。
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 地震が起こると部屋の中がどうなるのか再現したコーナーもあった。
 写真や映像で見るのと実際に見るでは大きく違うなぁと実感。


避難ゾーン

 お次は避難ゾーン。どのような避難生活を送ったのか。
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 これは農業用ビニールハウスでの避難生活を再現したもの。
 避難場所とされていた学校が被災し使用できず、かといって倒壊の不安などから家にも戻れずという人々が農業用ビニールハウスで共同避難生活を送った例があった。
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 そして通常の体育館などでの避難所の再現。これが一人分だろうか。
 どんな避難生活を送ることになるのか、身をもって実感できる。


復旧・復興ゾーン

 そして次のフェーズとなる復旧・復興ゾーン。
 まずは被害状況のまとめを見て、仮設住宅の再現ゾーンへ。
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 電灯の所に逆さにしたペットボトルがぶら下がっているのは結露や滴り水対策。
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 ただでさえ豪雪地帯なのに、地震後は例年よりも多くの雪が降り、雪下ろしのために自衛隊の協力も仰いだ。
 玄関みたいなものがあるが、これは風除室。北国の仮設住宅にはついているが他の地域にはない。


防災学習体験ゾーン

 体験学習をするためのゾーンとして、緊急時に代用品を作る体験ができるコーナーも設けられている。
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 マスクの作り方や、スリッパの作り方などが学べるよ。


小さいながらも「実感」ができる施設

 お世辞にも大きい施設とは言えないが、内容としては充実していた。
 大きな地震が発生したとき、自分たちがどのような生活に変わってしまうのか、実感できる施設というのはなかなかない。大きな爪痕を残すことがあってもその後の避難生活を大きなテーマにした施設はあまりない。今回、新しい気づきや、発見が多い施設だった。

 つい、魔が差して。
 作ってみた。


 「海外旅行に行けない今、新しい楽しみや贅沢、見つけましたか?」
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 つい、魔が差して。
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軽部J太郎のSpouter's CLUBまとめ
 

 近年まれに見る大火となった糸魚川市駅北大火。その痕跡を追った。


近年まれに見る大火

 平成28年12時20分頃、中華料理店より出火。
 原因としてはコンロを消し忘れたまま店主が外出し、火災が発生したもの。
 これだけであればただの火災である。ただその日の天候が悪かった。
 商店街や木造住居の密集地帯であったことに加え、南風が山を越えて乾燥して吹き下ろすと同時に乾燥し気温が上がるフェーン現象が起きていた。この強風により瞬く間に延焼し、最終的には40,000平方メートルが被害を受ける市街地大規模火災となった。鎮火まで約30時間かかっている。
 地震や津波が原因となる火災を除く、単一出火の火災で家屋を巻き込んだものとしては昭和51年の酒田大火以来の大火となった。
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 このあたりを散策すると、門は古いままだけれど家が新しいところが多い。これが大火により焼失したことを示す(石は火災に強い)。このあたりは全て新しい家&古い屏や門か、ただの空き地が広がっている。
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 地図を見ると、赤線で囲まれているのが焼失範囲である。
 そして右側(南側)の黒い点が火元である。左側(西側)に向かって扇形に火が広がっていたことがわかる。そして大火前にはなかった公園が整備された。公園の形が家の敷地の形をしているところを見ると、もう戻らないと決心した人々の家の敷地を買収し整備したのかもしれない。
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 出火原因となった中華料理店は取り壊されて、周囲も含めて広大な空き地になっていた。
 火元となった中華料理店の元店主は業務上失火罪に問われ禁固3年の有罪判決を受けている。

参考:糸魚川市駅北大火復興情報サイト



大火の記憶を伝承する糸魚川市駅北広場「キターレ」

 延焼抑制のための公園や道路、そして災害復興住宅の建設などが行われ、令和2年4月1日糸魚川市駅北広場「キターレ」がオープンした。
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 この施設の一角に糸魚川市駅北大火の記憶を伝承するコーナーが設けられている。
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 大火の記憶は地震や津波に比べて範囲が限られる分失いやすい。糸魚川は昭和3年7年29年と3回大火を経験しているが、それでも発生してしまうのだ。範囲が限られている災害でこういった伝承コーナーができるだけ御の字とも言えるだろう。
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 大火発生時の写真や、新聞記事の展示があり、大火の概要がつかめるようになっている。
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 まずは火災の被害を受けた(元)文化財などの展示。
 古くからの街並みが残る場所で起きた火災は多くの貴重な文化財に被害を与えた。
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 こちらは消防ポンプ。急速な延焼により取り残されたもの。
 原型が残るとはいえ、燃え方が生々しい。
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 こちらも被害を受けた消防器具。
 熱による変形が著しい。
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 そして日用品の被害。
 写真が燃えるのはつらいなぁ。もちろん津波でも同様のことが起きたのだけど。


あっという間に広がる火災

 酒田大火にしても、この糸魚川市駅北大火にしても、いやそれ以外の大火も火災が大火となったのは強風が原因だ。特にこの大火では中華料理店の店主による失火が原因である。こういった火災を起こすと刑事罰に問われるだけでなく、もうその場所には住めない。この店主は謝罪の折り込み広告を糸魚川市内に出したという。放火などの重過失でなければ損害賠償が問われないとは言え、自責感がハンパないことになるだろう。強風を防ぐということはできないので、各々個人の火の元の管理が重要なのは言うまでもない。

SIM2Flyシリーズ その1スペック編 その2使い方他編 その3USSDコード編

 香港で買ったパスポート登録してないSIM2Flyが使えるのは、問屋かなんかの会社名義で登録されてるからみたいだねー。つうか、それでOKなんだ。タイの規制って。

 さー、続きを書くよー。今回は使い方他編。


使い方

 使い方は簡単。使いたい国でSIMカードさして、ローミングをオンにすればOK!
 もし、APN(アクセスポイント名)が自動で設定されない場合は、APNを「internet」に設定し、残りは空白でOK!


スピードがあまり速くないのと、台湾ではオススメしない。

 国によりますが、スピードはそんなに速くありません。日本で使う場合だと、およそ1~2Mbpsぐらいです。おそらくこの安さの実現には、すべてのSIM2Flyユーザーでその国のある一定の回線容量を分け合っている可能性が高いです。また、データが一旦タイに行ってから端末までくるのでレスポンスがちょっと悪いです。なので、LTEの限界で使いたいという方には向いていません
 台湾でこのSIMをNexus5Xで使ったときデータが良く途切れました。よって、台湾で使うことはあまりオススメしません。


なぜかUberに電話番号が登録できない!→登録できた!

 タイでパスポートの登録をしていないからかもしれないけれど、Uberで番号を登録しようとするとはじかれるんでございます。うーむ。なんでだろう。万が一の電話連絡のためには登録できないのは少し困る。
 買ってから3ヶ月してから登録したら登録できたよ。(2017年8月6日追記)
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有効期限

 SIMのアクチベーション期限はパッケージの裏側に書いてあります
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 今回私が買ったSIMのアクチベーション期限は2018年5月まで。
 約1年間ぐらいあります。

 アクチベーションしてからの期限は30日間。これは番号を維持できている期間と考えてください。
 THB150以下をチャージすると有効期限は30日間延長THB200以上チャージすると有効期限は60日間延長されます。なお、チャージ日から30日間延長という計算ではなく、有効期限から30日間延長されるという形になります。
 チャージ方法は別途記載しますが、あらかじめ有効期限を延ばしておきたい時はTHB10を12回チャージすることを繰り返せば360日間有効期限は延長になります。最大でチャージの日から1年間まで有効期限を延ばすことができます(確認済)。


チャージ(Top Up)方法

 チャージの方法は次の通りです。(コンビニはセブンイレブンを除きます
  1,AISのお店の店頭にあるチャージ機でチャージする。
  2,コンビニなどの商店でリフィルカードを手に入れる。
  3,コンビニの店頭にある機械でチャージする。
  4,コンビニのレジでチャージする。
  5,LINE Payで払う
  6,AISのアプリでクレジットカードを使ってチャージする。

 1~4については、簡単な英語表示でチャージできますし、「AIS 1-2-call Topup 100,Please」とか言えば店員もたいていの場合分かってくれますので、省略します。

 以前はAISのサイトではタイ国内発行のクレジットカードしか使用できなかったため、当サイトではLINE PAYを使うことを推奨していましたが、他国発行のクレジットカードでもチャージに使用できるようになりましたので、現在使う価値はあまりありません。
 (あと、10回連続でチャージするとロックされてしまうので注意)

 現在はAISのアプリでクレジットカードを使ってチャージするのが一番ラクです。

 MyAISアプリをダウンロードしておきます。GooglePlayなどで探してね。
 その上でSIM2FlyのSIMカードを挿して電波をつかんだ状態で、MyAISアプリを起動します。ちなみにこれは初回のみ必要で、指紋登録をした場合は今後SIMカードを挿さなくても使えます。パスコード式の場合はSMSを受信する必要があるので、毎回SIMカードを挿すのが必須です。なお、長期間アプリにログインしなかった場合はデータがリセットされますので、最初からやり直す必要があります。
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 この画面が出てきます。BalanceをクリックするとTop Upメニューが出てきます。
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 使っている電話番号を入力します。ログインしていればすでに電話番号が入っているはずです。
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 ちなみに金額は当初選べるのはこんな感じですが、「More options」をタップするともっと金額が出てきます。
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 こんだけ細かく設定できれば充分でしょう。THB5からチャージできるのは便利ですね。
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最初は「Use other card」を選びクレジットカードを登録します。使えるのは「VISA」「Master」「JCB」です。アメックスは使えません。
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 クレジットカードの追加認証を入力します。なお、普段ブラウザに保存されているのをそのまま入力している方は、この画面だとそれができないので、一から入力してください。
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 無事にチャージできました。
 なお、クレジットカードなので何回も短時間に決済すると止められる恐れがあるので、有効期限延長はまとめて立て続けにやらないよう注意してください。
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 無事に有効期限も延びました!


SIM2Flyまとめ

 新規に買う場合、基本的には現地SIMの方が安いですがそれほど値段の差があるわけではありません。よって、チャージして何回も使うような場合やアジア数カ国を周遊するような場合はSIM2Flyを使うのが最強だと思います。欧米版も安くはないですが、現地SIMと比較してもそれほど高くなさそうですし、そこそこ妥当な値段で使うことができます。そしていちいち空港でSIMを買う手間が省けます。ツアーで行く場合でも団体行動を乱さなくて済みますね。あと、ヨーロッパ行くのにカタール航空を利用した場合、乗継中でもスマホが使えるのがメリットです(空港のWifiだとストレス溜まるし)。


次回予告

 次回は各種コマンド一覧編です。この次も、サービスサービスぅ。

 つい、魔が差して。
 作ってみた。

「初めての海外旅行」
「初めての海外一人旅」
 https://youtu.be/If1Gm_sJWMg


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軽部J太郎のSpouter's CLUBまとめ
 

 あれから10年も。
 この先10年も。

10年という区切り

 あの日から10年が経つ。
 10年経って、震災復興は一区切りついたと言ってもいいだろう。
 三陸沿岸を結ぶ三陸自動車道は、仙台~宮古間が今年度(2020年度)に全て開通した。かなり大きな橋を作る必要があった気仙沼市内区間も2021年3月6日に開通した。震災時ほんのわずかな区間しか開通していなかったが、震災によって整備が大きく前進することになった。釜石市内では津波被害者を避難施設に輸送するにあたり、この三陸自動車道が役に立った。高台を通る道路は津波からの避難場所にもなった。まさに、命を守る道路だ。
 海辺には大きな大きな防潮堤が出来上がった。人々が住むところからは海が見えないほど、高い高い堤防が出来上がった。住民達の住居も造成を行い、かさ上げをしたり山を切り開いたりして、高い位置に移転した。震災によって受けた大きな傷跡は新しい街の形に生まれ変わった。
 もちろん、個人個人では復興は終わっていないという人もいるだろう。復興が思い描いた形にはならなかったという人もいるだろう。様々な事情があるので、そう思う人がいてもおかしくない。
 それでも、どこかで区切りをつけなくてはいけない。
 それが今だと私は思う。

(当然、福島第一原発周辺についてはまた震災とは異なることを補足しておく)


最大級の震災遺構

 東日本大震災の災害遺構で、おそらく最もインパクトのある場所を10年目のこの日に紹介する。
 「震災遺構を1カ所だけ見るならどこがいいか?」と聞かれたときに、私はこの場所を迷わず選ぶ。
 「最も津波の威力を実感できる場所はどこか?」と聞かれたときに、私はこの場所を迷わず選ぶ。
 「最も心が揺さぶられる震災遺構はどこか?」と聞かれたときに、私はこの場所を迷わず選ぶ。
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 私が選んだ場所は「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)」である。


2018年5月気仙沼向洋高校跡地

 2018年5月に私はこの気仙沼向洋高校を訪れている。
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 まだ震災遺構保存に向けた工事は始まっていなかった。
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 変わらず建っているように見えるが、よく見ると校舎に窓がない。
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 校舎の裏側に回ってみる。やはり下の階の窓は無くなってるし、壁も破壊されている。
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 なにやら大きい物が倒れている。これは元々あったものか、それとも流れてきたのか。
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 校舎内にはめちゃくちゃになった車が放置されていた。
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 また、何台もの車が押しつぶされているのもそのままになっていた。
 この時点で震災から7年経過している。おそらく意図的に残しているのだろう。
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 まだ中が見学できない状態とはいえ、なかなかインパクトに残る震災遺構であった。


2019年3月の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

 2019年3月に気仙沼市の震災遺構施設として気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館がオープンした。
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 というわけで早速初日に行ってみた。
 大きく見える二つの校舎の前には新しい建物が建っていた。
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 駐車場には津波の被害に遭った国土交通省の作業車が展示されている。
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 めちゃくちゃとしか形容できない。
 後部の被害はそれほどでも内容に見えるが運転席側の被害が大きい。
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 もう1台は運転席部分がそもそもなくなっていた。
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 3階までの窓は全て無くなっている。
 このあたりまで津波が来たということ。
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 それでは内部に入っていこう。


南校舎1階

 入場料を払って入場すると、まずはシアターに入り映像を見る。
 この映像は津波の映像が使われており、そもそも見ないという選択肢もある。ただ、なるべく見ておいた方がいいだろう。その後、写真展示があり、いよいよ建物内部の見学になる。なお、この伝承館内の写真撮影は禁止なので注意してもらいたい。
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 まずは南校舎の見学。
 1階部分は天井が剥がれて全てが破壊し尽くされている。
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 階段部分にも瓦礫が残っている。
 これが震災直後と同様なのかはわからないが、おそらくそうなのだろう。
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 給湯器があったり、車椅子があったりするところを見るとここは保健室だろうか。
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 砂の残り方が生々しいなって思う。


南校舎3階・4階

 階段またはエレベーターで3階に上がる。
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 この階のメインは流された車である。
 津波によって車が3階まで来たのだ。
 3階なので地上から8mある。しかもこの車は南三陸町の人に代車として貸し出されていたものということで、当時どこで被害に遭ったのかわからないが、もしかしたら何kmも離れたところから流された可能性がある。
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 4階に上がると錆びたレターケースがある。
 この錆こそが津波の痕跡であり、4階床上まで津波が来たことを示す。
 この高さはおおよそ12m。12mもの津波がこの高校を襲ったのだ。
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 昔ながらのパソコンも水に浸かった。
 このスポンジ状のものは後述する冷凍倉庫の壁材である。
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 4階は比較的被害が少なかったがそれでも泥がたくさんついていた。


南校舎屋上

 屋上に上がる。
 4階建てなので、もう屋上しかない。
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 北校舎が見える。
 北校舎は窓枠が3階以上は残っているので、津波の流れは南側から校舎を襲い、南校舎によって威力が減じたというところだろうか。
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 屋上から見ると旭崎と呼ばれる高台が見える。
 ここは膝上まで津波が来たそうで、ここに避難した8名は松の木につかまり波に耐えたとのこと。人間膝まで浸かると立っていられないのでよく耐えた。その後偶然流れ着いたアルミのはしごでケヤキの木に移り、その後流れ着いた2名を含め合計10名が助かった。このケヤキの木は明治三陸大津波の後、「樹木は命を救う」ということで植樹されたもので、東日本大震災でも10名の命を救った。
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 この高校では当時校舎にいた生徒達は他の高台への避難誘導が成功し、被害は出なかった。重要書類の待避なので残っていた教師や校舎の工事関係者の合わせて約50名が最終的にこの南校舎の屋上に避難することになる。結果的に4階の床上25cm程度で津波は収まったが、当時この場所に避難した人々は気が気でなかったであろうと思われる。少しでも高いところへってことで机を積んだりしたようだ。おそらく、階段室の屋根への避難を考えていたのだろう。
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 こちらは南校舎屋上から見る体育館跡地。
 実際にはこれには大きなかまぼこ形の屋根があった。
 津波によってその屋根部分が流れてしまい、コンクリート部分だけが残ったものである。
 こう見るとやはり、コンクリートは強いと思う。もっともコンクリートの建物でも他の場所ではなぎ倒されたりもしているのだが。


外部見学

 それでは南校舎から外に出る。
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 さきほどの体育館は近くで見るとより無残な状態であることがわかる。
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 振り返ると南校舎4階部分が大きくえぐれているのがわかる。
 これは冷凍倉庫が激突した跡だ。
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 内部から見るとこんな感じだ。
 冷凍倉庫が激突とはまったく意味がわからないが、とにかく鉄筋の冷凍倉庫がぶつかったのだ。どれだけの大きさの倉庫がぶつかったのだろうか。前項でも簡単に述べたが、室内にはスポンジ状のものが残されており、冷凍倉庫の壁材は室内に流れていった。これが正面から衝突しなかったことで、この校舎が持ちこたえられたのではとも言われている。
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 北校舎とさらに北側にある総合実習棟の間にはたくさんの瓦礫や車が積み重なったまま残っている。
 破壊の大きな大きな威力に驚く。
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 その後北校舎内を通って、元の伝承館に戻る。
 被災後の生活に関しての展示やミニシアターで教訓などの映像を見て一通りの見学が終わった。所要時間はゆっくり見て90分ぐらいだろうか。映像上映のタイミングが良くて早足で回れば60分程度かかるだろう。



最も心を揺さぶられる震災遺構

 東日本大震災の震災遺構の多くを見てきたけれど、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館が一番心を揺さぶられる。もしかしたら、思考停止してしまう人がいるかもしれない。でも、そこで終わってはいけない。
 復興が進み、防潮堤が整備され、住居は高台に移転し、安全になったように思える。
 それ自体の整備は命を守る、財産を守るという意味で無駄ではないが、それでも大きな地震が来たときに避難することを忘れてはいけない。震災では色々な理由で亡くなられた方がいるけれど、一番多いのは避難しなかったことによって亡くなったと思われる。避難していれば助かった命はたくさんある。死者数は何分の一にも減ったかもしれない。
 大地震はいつか必ず起こる。大津波はかなりの確率で来る。そのとき、適切な行動ができれば生き延びることができるのだ。この施設を見学すると、そのことをイヤというぐらい実感させられた。

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軽部J太郎のSpouter's CLUB Vol.7
 「あなたはどこに国内旅行しましたか。
 新たな発見はありましたか。
 旅行して良かったところ、楽しかったところを教えてください♪」
 https://youtu.be/cWEQCOa-iQs

次回のテーマは
「初めての海外旅行」
「初めての海外一人旅」

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軽部J太郎のSpouter's CLUBまとめ
 

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軽部J太郎のSpouter's CLUB Vol.6
「空港で呼び出し体験談」

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軽部J太郎のSpouter's CLUBまとめ

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