FLY! FLY HIGH!!










飛行機と食事とホテルとたまに観光地を淡々とアップするブログにおこしいただきありがとうございます。
当ブログの写真・文章の転載はご遠慮ください(法的に認められた引用を除く)。

カテゴリ: 余談

 小学校以外何も無くなった。


東日本大震災の災害遺構の多くは学校

 国土交通省東北地方整備局では大きなものから小さなものまで、東日本大震災の災害遺構や伝承施設などの情報を集約して公開している。

 このページを見ていて気づくことは、東日本大震災における規模が大きい災害遺構の多くは学校であることが多いということである。推測にはなるが、これはやはり個人所有の施設ではなく、元々地方自治体が所有する施設であるということが保存のしやすさにつながっているのだろう。
 いままで私が紹介している東日本大震災の災害遺構も大規模なものは学校が多い。
 今回は仙台市が保存する東日本大震災の災害遺構を紹介する。
 なお、写真は私が訪問した2018年12月のものである。


海の近くの小学校

 仙台市営地下鉄東西線の東の終点荒井駅からバスに乗ってさらに東へ。
 バスの終点が「震災遺構仙台市立荒浜小学校」である。
DSC00796
 この荒浜小学校は1873年開校。この場所に移ったのが1912年で、長い長い歴史を持つ小学校である。
DSC00800
 この場所に小学校ができて100年を目前にして震災が起きる。震災後は校舎が使えなくなったため、東宮城野小学校の校舎を間借りして授業を行った。しかし、児童数の減少に伴い2016年に閉校した。
 この津波被害に遭った施設は2017年より一般公開がなされている。
DSC00802
 校庭は大きな駐車場になったが、その一角には津波によってなぎ倒された二宮金次郎像がある。
DSC00803
 外から見ると2階部分まで津波が来ていることがわかる。
 やはり、海側に面している東側の破壊度合いが大きい。


1階

 津波によって被害に遭った校舎内部。
 当然ではあるが1階の損傷は大きい。天井が破壊されている。
DSC00806
 当然、津波がやってきた後、ここには多くの瓦礫が散乱していたはずである。きれいに片付けられてしまっているので、写真によってどういった状況だったのが想像でいるようになっている。
DSC00808
 ただ、何も無い空間がどうしても嘘っぽさというか、リアルでない感じがしてしまう。
DSC00812
 瓦礫で埋め尽くされていた階段を上り2階へ。


2階

 2階に上がって廊下を見るとどこまで津波がきたのか一目でわかった。
DSC00817
 右側のロッカーを見るときれいにその線に沿って錆びている。
DSC00818
 教室内も同様の線が見えている。
 リアス式海岸でない仙台平野において津波は2階の床上程度の高さで来ている。これがリアス式海岸の三陸になると4階-5階程度まで来る。場所によって同じ津波でも高さが大きく異なる。
DSC00815
 東側ではベランダのコンクリート壁がなぎ倒されている。
 水や瓦礫が押し寄せることによって破壊されたのだ。床上数十センチの津波でも、瓦礫と一緒に来るとコンクリートがなぎ倒されるほどの威力を持つのだ。


なくなった集落

 4階はこの荒浜地区の紹介コーナーになっている。震災前の姿がわかる。
 そして、屋上に上がって周囲を見る。
DSC00829
 校舎南側。人家は見当たらない。小学校があったのに。
2008
 これは2008年に国土地理院が撮影した空中写真である。
 荒浜小学校はこの写真の中央上部にある。校庭やプールがわかりやすく見えるだろう。
 このように荒浜小学校の周囲には多くの住宅が存在した。
2011
 震災直後に撮影された空中写真ではほぼすべての家が流された。
2020
 そして2020年の空中写真においても住宅はない。
 これはこの地域が災害危険区域に指定されて住宅を建てることができなくなったためである。ということはもうここに住民が戻ってくることはないので、この荒浜小学校は廃校となった。


なくなった住宅の基礎は残っている

 さて、この荒浜小学校から東に進んだところにはもう一つの災害遺構がある。
DSC00847
 ここが「震災遺構仙台市荒浜地区住宅基礎」である。
DSC00849
 かつてこの場所で生活が営まれていた証である。
DSC00853
 荒涼としてしまった場所がただただ悲しさを増幅させる。


災害遺構の公式ホームページ


mixiチェック

SIM2Flyシリーズ その1スペック編 その2使い方他編 その3USSDコード編

2023.9.24Update

 SIM2Flyの最終回はUSSDコード集だよ。
 USSDコードとは電話の発信画面で入力して通話ボタンを押すと、様々なコマンドが入力できてインターネットパックの申込みやチャージ、残高照会などができます。一覧を載せますのでご活用ください。
 スマホで見てる方は番号をクリックすると発信画面に行きます最後に#をつけて通話ボタンを押すとそのコードが入力されます。あら、便利!


SIM2Fly・Ready2Fly各ローミングプラン申込

 USSDコード入力はデータ通信ができなくても、電波がつながっていれば申し込めます。USSDコードをクリックした場合は最後に#をつけて発信してください。「アプリのみ」と書かれているものはmyAISアプリからのみ購入が可能です。「*」が対象国・地域についている場合Ready2Flyプランですのでアプリで申し込みが可能です。それ以外のプランはUSSDコード入力のみによって申し込みできます。
USSD 価格 容量 日数 対象国・地域
*111*407# THB99.00 2GB 7日間 カンボジア・ラオス・マレーシア
*111*356# THB119.00 1GB 2日間 アジア・オーストラリア
*111*199# THB212.93 3GB 3日間 アジア・オーストラリア*
*111*354# THB299.00 4GB 8日間 アジア・オーストラリア
*111*370# THB349.00 6GB 10日間 アジア・オーストラリア
アプリのみ THB426.93 10GB 10日間 アジア・オーストラリア*
*111*12399# THB426.93 12GB 10日間 日本*
*111*24399# THB426.93 12GB 10日間 香港・マカオ*
*111*359# THB299.00 1GB 3日間 全世界
*111*499# THB533.93 3GB 7日間 全世界*
*111*358# THB799.00 4GB 15日間 全世界
*111*371# THB849.00 6GB 15日間 全世界
アプリのみ THB961.93 10GB 15日間 全世界*
*111*1599# THB1,710.93 15GB 30日間 全世界*
*111*600# THB2,699.00 15GB 1年間 全世界


タイ国内インターネットパック申込

表示は上段:税込価格、下段:USSDコード。
USSDコードをクリックした場合は最後に「#」をつけて発信してください。
低速プランや時間制プラン、月額制プランなどは省略しています。

AISホームページと金額が違いますが、向こうは税抜価格、こちらは税込価格で表記しています。
スマホで見ていて横にスクロールできない人はスマホを横にして見てください。

1日間
(24h)
3日間
(72h)
7日間
(168h)
15日間
(360h)
30日間
(720h)
150MB
10.70
11.77
12.84
-
16.05
アプリのみ
300MB
18.19
19.26
21.40
-
24.61
アプリのみ
800MB
23.54
24.61
26.75
-
28.89
アプリのみ
1.25GB
40.66
73.83
112.35
-
223.63
アプリのみ
2.5GB
52.43
87.74
133.75
-
277.13
アプリのみ
3.5GB
55.64
89.88
138.03
-
448.33
アプリのみ
7GB
84.53
123.05
165.85
-
540.35
アプリのみ
10GB
103.79
165.85
219.35
-
658.05
アプリのみ
15GB
123.05
202.23
246.10
-
694.43
アプリのみ
20GB
144.45
212.93
262.15
-
747.93
アプリのみ
1GB
 /24h
- -
112.35
197.95
337.05
1GB
 /24h
- -
245.03
459.03
667.68
1GB
 /24h
- -
373.43
694.43
1,015.43


その他のコード

*120*(Top Up code)# リフィルカードを使ったTopUp
*121# プリペイド残高および有効期限確認
*121*3# 適用中のタイ国内向けインターネットパック確認
*121*32# タイ国内向けインターネットパックの残容量・期限確認
*111*6# 適用中のSIM2Flyローミングプランの残容量・期限確認
*545# 電話番号表示
(使いそうなコードのみ掲載)


各国のローミング先キャリアとネットワーク名

 ※非公式。あくまで参考程度に。

キャリア ネットワーク名
日本 Softbank SoftBank / 44020 / Vodafone JP
docomo JP DoCoMo / DoCoMo /
NTT DoCoMo
韓国 SK Telecom KOR SK Telecom
SK Telecom / 450 05
KT KT / olleh
台湾 Taiwan Mobile
(台灣大哥大)
TAIWAN MOBILE
TW MOBILE / TWN GSM
Chunghwa Telecom
(中華電信)
Chunghwa
香港 CSL(HKT) CSL / 454-00 / C HKTelecom
PCS009 / NEW WORLD
HK NWT / HK CSL
C&W HKTelecom / 454-10
Hutchison Telephone 3
マカオ CTM CTM / 45501 / 45504
中国 China Unicom
(中国聯通)
UNICOM / CU-GSM / 460 01
China Mobile
(中国移動)
China Mobile / CMCC
マレーシア Maxis MY MAXIS / MY 012 / 50 212
シンガポール SingTel SingTel / SingTel-G9
ラオス Lao Telecom LAO GSM / Lao Telecom / 457 01
スリランカ Dialog Dialog / DALOG
トルコ AVEA 28603 / AVEA / Aria / TR 03
TR AVEA / TR Aria / Turk Telekom
TURKCELL TR TCELL / TURKCELL
TR TURKCELL
ポーランド Polkomtel PLUS GSM / PL-PLUS
PL-01 / Plus
T-Mobile Era / 260 02 / PL 02 / T-Mobile.pl
ポルトガル NOS P Optimus / Optimus / NOS / P03
アメリカ
合衆国
AT&T AT&T / 310410
T-Mobile T-Mobile / TMO
VoiceStream(Vstream)


というわけで

 このページをスマホでオフラインで見られるようにしておくととっても便利!

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SIM2Flyシリーズ その1スペック編 その2使い方他編 その3USSDコード編

 香港で買ったパスポート登録してないSIM2Flyが使えるのは、問屋かなんかの会社名義で登録されてるからみたいだねー。つうか、それでOKなんだ。タイの規制って。

 さー、続きを書くよー。今回は使い方他編。


使い方

 使い方は簡単。使いたい国でSIMカードさして、ローミングをオンにすればOK!
 もし、APN(アクセスポイント名)が自動で設定されない場合は、APNを「internet」に設定し、残りは空白でOK!


スピードは昔より速くなった

 国によりますが、スピードは超高速という訳ではありませんでした。
 日本で使う場合だと、およそ1~2Mbpsぐらいだったのですが現在は50Mbpsぐらい出ています。
 ただ、データが一旦タイに行ってから端末までくるのでレスポンスがちょっと悪いです。なので、LTEの限界で使いたいという方には向いていません


なぜかUberに電話番号が登録できない!→登録できた!

 タイでパスポートの登録をしていないからかもしれないけれど、Uberで番号を登録しようとするとはじかれるんでございます。うーむ。なんでだろう。万が一の電話連絡のためには登録できないのは少し困る。
 買ってから3ヶ月してから登録したら登録できたよ。(2017年8月6日追記)
Screenshot_20170518-212919


有効期限

 SIMのアクチベーション期限はパッケージの裏側に書いてあります
DSC07992
 今回私が買ったSIMのアクチベーション期限は2018年5月まで。
 約1年間ぐらいあります。

 アクチベーションしてからの期限は30日間。これは番号を維持できている期間と考えてください。
 THB200未満をチャージすると有効期限は30日間延長THB200以上チャージすると有効期限は60日間延長されます。なお、チャージ日から30日間延長という計算ではなく、有効期限から30日間延長されるという形になります。
 チャージ方法は別途記載しますが、あらかじめ有効期限を延ばしておきたい時はTHB10を12回チャージすることを繰り返せば360日間有効期限は延長になります。最大でチャージの日から1年間まで有効期限を延ばすことができます(確認済)。ただしこれを本当にやろうとすると不正利用を疑われてエラーになります。


チャージ(Top Up)方法

 チャージの方法は次の通りです。(コンビニはセブンイレブンを除きます
  1,AISのお店の店頭にあるチャージ機でチャージする。
  2,コンビニなどの商店でリフィルカードを手に入れる。
  3,コンビニの店頭にある機械でチャージする。
  4,コンビニのレジでチャージする。
  5,LINE Payで払う
  6,myAISのアプリでクレジットカードを使ってチャージする。

 1~4については、簡単な英語表示でチャージできますし、「AIS 1-2-call Topup 100,Please」とか言えば店員もたいていの場合分かってくれますので、省略します。

 以前はAISのサイトではタイ国内発行のクレジットカードしか使用できなかったため、当サイトではLINE PAYを使うことを推奨していましたが、他国発行のクレジットカードでもチャージに使用できるようになりましたので、現在使う価値はあまりありません。
 (あと、何回か連続でチャージすると不正利用を疑われてクレジットカードやLINE PAYがロックされてしまうので注意)

 現在はAISのアプリでクレジットカードを使ってチャージするのが一番ラクです。

 myAISアプリをダウンロードしておきます。GooglePlayなどで探してね。
 その上でSIM2FlyのSIMカードを挿して電波をつかんだ状態で、myAISアプリを起動します。ちなみにこれは初回のみ必要で、指紋登録をした場合はしばらくSIMカードを挿さなくても使えます。パスコード式の場合はSMSを受信する必要があるので、毎回SIMカードを挿すのが必須です。なお、長期間アプリにログインしなかった場合はデータがリセットされますので、最初からやり直す必要があります。
Point Blur_20210513_214907
 この画面が出てきます。BalanceをクリックするとTop Upメニューが出てきます。
Point Blur_20210513_215003
 使っている電話番号を入力します。ログインしていればすでに電話番号が入っているはずです。
Point Blur_20210513_215034
 ちなみに金額は当初選べるのはこんな感じですが、「More options」をタップするともっと金額が出てきます。
Point Blur_20210513_215100

 こんだけ細かく設定できれば充分でしょう。当時はTHB5からチャージできましたが、現在はTHB10以上です。
Point Blur_20210513_215138
最初は「Use other card」を選びクレジットカードを登録します。使えるのは「VISA」「Master」「JCB」です。アメックスは使えません。
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 クレジットカードの追加認証を入力します。なお、普段ブラウザに保存されているのをそのまま入力している方は、この画面だとそれができないので、一から入力してください。
Point Blur_20210513_215300
 無事にチャージできました。
 なお、クレジットカードなので何回も短時間に決済すると止められる恐れがあるので、有効期限延長はまとめて立て続けにやらないよう注意してください。
Point Blur_20210513_215324
 無事に有効期限も延びました!


SIM2Flyまとめ

 新規に買う場合、基本的には現地SIMの方が安いですがそれほど値段の差があるわけではありません。よって、アジア数カ国を周遊するような場合はSIM2Flyを使うのが最強だと思います。そしていちいち空港でSIMを買う手間が省けます。ツアーで行く場合でも団体行動を乱さなくて済みますね。欧米などアジア以外の地域については、現在の円安の世の中ではahamoを使うのが良さそうです。


次回予告

 次回は各種コマンド一覧編です。この次も、サービスサービスぅ。
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SIM2Flyシリーズ その1スペック編 その2使い方他編 その3USSDコード編

(2023.9.23現在)
 全面改稿しました!


海外でスマホが常に使えることは必須!

 今回はアジア最強SIMと言われる、タイAISのSIM2FlyというSIMカードについての記事です。
DSC07993
 海外旅行では当然スマホ使いたいよね。
 一般的なのはレンタルWIFIかしら。でもあれって帰国したらとにかく急いで電車やバスに乗りたいので返すのがめんどくさいし、忘れちゃいそうだしドキドキしちゃうよね。あとはWIFIの電池も気になるしねぇ。とはいえ何人かで共有するなら便利でしょう。
 それならお店や地下鉄などにあるフリーWIFI使うっていうのも昔はあったけど、やっぱり使えるエリアが狭いのは問題。
 とはいえ、めんどくさいので使ってるスマホがそのまま海外でも使えればいいのにって話。


まずは海外ローミングの利用を検討してください

 まぁ、普通の人なら大丈夫ですけど、やたらとこちらに聞いてくる人とかいます。
 基礎知識がある、理屈でわかる、簡単な英語が読めることなどができる人を対象にしていますので、それができない方は海外ローミングを使った方がいいです。
 楽天モバイルは海外で2GB/月を無料で使うことができます。ただ、これはちょっと少ない。
 ahamoは海外で15日間20GB使うことができます。ahamoは加入手数料などが必要なく、純粋な利用料金のみで使えます。2,970円/月(同月契約解約は日割りなし)で使えちゃいますので、海外に出るたびに契約解約するのもありです。eSIMならその場で契約できますので、煩わしさも少ないでしょう。短期契約を繰り返すとブラックリストに入るとか噂されますが、スマホを特価で購入したとかそういったことがない純新規ではそれほど影響がないはずです(総務省から違法との判断がでています)。
 ahamoの利用料は2,970円。およそTHB720(2023/09/23現在)。これより安かったり、容量が多かったり、期間が長かったり、ahamoが使えない国に行くならばSIM2Flyを使う価値があります。


「SIM2Fly」のすごいところ


sim2fly_20230923_01
 タイの大手携帯電話会社であるAISから発売されている「SIM2Fly」。このSIMカードはアジアを周遊する人にとってはこれ以外選択肢がないと言っていいぐらいのSIMカードです。
 このSIMカードの大きな特徴は次の通りです。
  ・比較的安価でありながら使える国が多い。
  
・定められた容量を期間内であれば複数の国で使える。
  
・チャージして再度プラン(違うプランもOK)を購入できるので旅行のたびに買い直す必要がない。
  
・日本のAmazonで買えちゃう。
  
・余った容量は日本でも使えるので日本のSIM容量削減できる。
 よって、これらのメリットを最大限享受できる方というのは、弾丸トラベラーで旅行を繰り返す人経由地でもSIMを使いたい人飛行機が滑走路からそれた瞬間からスマホを使いたい人ということになります。全部私です。はい。

 公式ページはこちらですので、最新情報はこちらでご確認ください。


 あと、eSIMにも対応したらしいですが、妙に値段が高いです。筆者はeSIM使うつもりがないのでこのページでは扱いません。


「SIM2Fly」を使わない方がいい人

 とりあえず使わない方がいい人は次の通りです。
  ・タイ国内は別料金なので、タイだけに旅行する人。
   (使い切った後はタイ国内プランを足せるのでタイへの旅行でも使えます)
  ・常に考えられる限り最高スピードで接続しないと許せない人。
  
・現地でSIMを買うことに喜びを感じる人。
  
・ストイックに安さを追求する人。
  
・逆に特にいくら払ってもかまわないやとか思ってる人。
 うん、下の3行の人々はこんなページみないわな。


販売しているSIM2Flyの種類

 SIM2Flyという名前で売っているSIMカードは3種類あります。
sim2fly_20230923_02


 1,THB399  6GB 10日間 アジア・オーストラリア用 (+タイ国内データ500MB10日間)
 2,THB899  6GB 15日間 グローバル用 (+タイ国内データ500MB10日間)
 3,THB2,799  15GB 1年間 グローバル長期用

 というわけで3種類あります。
 それぞれのSIMカードについては次の項目から説明していきます。


THB399 6GB 8日間 アジア・オーストラリア向けSIM

 THB399(=約1,700円)でアジアを中心に6GB8日間使えるSIMカードです。1日あたり500MBもあり、潤沢な容量でPCで何か重いデータを送ったりしない限り使い切るのは難しいと思われます。それぐらい太っ腹なカードになります。容量を使い切った場合や使い切る前でも追加パッケージを購入すれば、データ容量を増加させることができます(確認済)。追加パッケージについては後述します。

使える国(2023年9月23日現在)

  イスラエル ・ インド ・ インドネシア
  ウズベキスタン ・ オーストラリア ・ オマーン
  カザフスタン ・ カタール ・ 韓国 ・ カンボジア
  グアム ・ クウェート ・ ジョージア
  シンガポール ・ スリランカ ・ 台湾 ・ 中国
  日本 ・ ネパール ・ バーレーン ・ パキスタン
  バングラデシュ ・ フィリピン ・ ブルネイ
  ベトナム ・ 香港 ・ マカオ ・ マレーシア
  モンゴル ・ ヨルダン ・ ラオス
  ※インドは北東部の飛び地7州+ジャンムー・カシミール州を除く
  ※ミャンマーが使えなくなりました。


THB899 6GB 15日間 グローバル用SIM
THB2,799 15GB 1年間 グローバル長期用SIM

 THB899(=約3,700円)で世界各国6GB15日間使えるSIMカードとTHB2,799(=約11,600円)で世界各国15GB1年間使えるSIMカードです。グローバル用と銘打ってあるだけあって世界中で使えます。よってヨーロッパに行く際に、乗継があっても乗継中の時間つぶしや情報収集にも使える優れものです。15日間6GBなので1日あたり400MBですが、容量を使い切った場合や使い切る前でも新しいプランを購入すれば、データ容量が増加します(確認済)。追加パッケージについては後述します。
 長期間でなければahamoの方が安いです!円高にならない限りは利用料2,970円、およそTHB720(2023/09/23現在)のahamoを使いましょう。


使える国(2023年9月23日現在)

 たくさんありすぎてもう把握不可能なので公式ホームページでご確認ください。



足りなくなった時や再び使うとき専用の追加パッケージあります

 SIMカードをそのまま持っていることで再利用することができます。ただしSIMカードの有効期限がありますので、チャージして延命する必要があります。元々のSIM2Flyとは違う地域のプランでも適用可能です。

 色々と謎なのですが、タイ国内AISのSIMのローミングプランであるReady2Flyのプランも使えます。ただし、Ready2Flyのプランはホームページ表示価格にタイ国内の税7%が別途加算されますので注意してください。なお、当ブログでは税込み価格で表示しています。
 Ready2Flyの公式ページは↓のとおりです。


 なお、SIM2FlyのプランはUSSDコードを電話発信することでのみ購入できますが、Ready2Flyのプランは 一部myAISアプリでしか購入できないものもありますので、SIMカードの有効期限、残高管理も含めてmyAISアプリをインストールしておいた方がいいでしょう。


タイ隣接国向け追加パッケージ

 THB99でタイと国境を接する国だけ利用できる2GB7日間使えるパッケージです。
 使える国は4カ国のみ。ただ、その限られた国に行くだけならばかなり安く使えます!


使える国(2023年9月現在)

  カンボジア ・ ラオス ・ マレーシア 
  ※ミャンマーが使えなくなりました。

SIM2FLY_Border
 THB99 2GB 7日間 購入方法「*111*407#」に発信
(THB99.51 2GB 7日間のReady2Flyプランもありますが、メリットなし)


アジア・オーストラリア向け追加パッケージ

 アジア・オーストラリア向け追加パッケージです。

SIM2FLY_Asia
 THB119 1GB 2日間 購入方法「*111*356#」に発信
 THB299 4GB 8日間 購入方法「*111*354#」に発信
 THB349 6GB 10日間 購入方法「*111*370#」に発信

 このほかReady2Flyプランがあります。税込み価格です。
 (SIM2Flyに比べてパレスチナとブータンでも使えます)
 THB212.93 3GB 3日間 購入方法「*111*199#」に発信
 THB426.93 10GB 10日間 購入方法 myAISアプリからのみ
 THB426.93 12GB 10日間 日本専用 購入方法「*111*12399#」に発信
 THB426.93 12GB 10日間 香港マカオ専用 購入方法「*111*24399#」に発信
  ※香港マカオ専用のため「港珠澳大橋」上では使えない可能性があります。
   (私が使用したときは中国本土にローミングされました)


グローバル用追加パッケージ

 全世界向け追加パッケージです。

SIM2FLY_Global
 THB299 1GB 3日間 購入方法「*111*359#」に発信
 THB799 4GB 15日間 購入方法「*111*358#」に発信
 THB849 6GB 15日間 購入方法「*111*371#」に発信
 THB2,699 15GB 1年間 購入方法「*111*600#」に発信

 このほかReady2Flyプランがあります。税込み価格です。
 THB533.93 3GB 7日間 購入方法「*111*499#」に発信
 THB961.93 10GB 15日間 購入方法 myAISアプリからのみ
 THB1,710.93 15GB 30日間 購入方法「*111*1599#」に発信


各国のローミング先キャリアとネットワーク名

 各国のローミング先キャリアとネットワーク名です。
 公式には発表されておらず、自分の経験とネット上でのたれ込みに基づき表にしました。よって、ここの部分については正確性が一番ないと思うので、その点ご了承の上、参考にしてください。
キャリアネットワーク名
日本SoftbankSoftBank / 44020 / Vodafone JP
docomoJP DoCoMo / DoCoMo /
NTT DoCoMo
韓国SK TelecomKOR SK Telecom
SK Telecom / 450 05
KTKT / olleh
台湾Taiwan Mobile
(台灣大哥大)
TAIWAN MOBILE
TW MOBILE / TWN GSM
Chunghwa Telecom
(中華電信)
Chunghwa
香港CSL(HKT)CSL / 454-00 / C HKTelecom
PCS009 / NEW WORLD
HK NWT / HK CSL
C&W HKTelecom / 454-10
Hutchison Telephone3
マカオCTMCTM / 45501 / 45504
中国China Unicom
(中国聯通)
UNICOM / CU-GSM / 460 01
China Mobile
(中国移動)
China Mobile / CMCC
マレーシアMaxisMY MAXIS / MY 012 / 50 212
シンガポールSingTelSingTel / SingTel-G9
ラオスLao TelecomLAO GSM / Lao Telecom / 457 01
スリランカDialogDialog / DALOG
トルコAVEA28603 / AVEA / Aria / TR 03
TR AVEA / TR Aria / Turk Telekom
TURKCELLTR TCELL / TURKCELL
TR TURKCELL
ポーランドPolkomtelPLUS GSM / PL-PLUS
PL-01 / Plus
T-MobileEra / 260 02 / PL 02 / T-Mobile.pl
ポルトガルNOSP Optimus / Optimus / NOS / P03
アメリカ
合衆国
AT&TAT&T / 310410
T-MobileT-Mobile / TMO
VoiceStream(Vstream)
 もし「ここはこうだよー」という情報ありましたら、上記のような繋がっていることがわかるスクリーンショットを添付の上、TwitterのDMやメールで送って下さい。連絡先は右上にあります。
IMG_20180809_220918
 ローミング相手先の法則性としてはブリッジアライアンス加盟携帯電話事業者が相手先のことが多いみたい。でも、100%ではないので、あくまで可能性が高いって話です。


このSIMをタイ国内でも使いたい場合

 様々な国を旅行して結果としてタイに着いた場合、チャージをして国内向けプランを申し込めば使えます。なお、SIM2Flyの使用中でも別途タイ国内プランを購入し使うことができますAISのSIMカードは複数のプランを同時行使することが可能です。
 なお、公式ホームページや他のページに記載されているタイ国内用プランの金額は税金(7%)が入っていないので注意。例えばTHB19のプランを申し込もうとしてTHB20チャージしても申し込めません。これは税金が別途THB1.33かかるので、THB20では足りないからです。ちなみにUSSDコードを入力して残高不足で申し込めなくても何もエラーが出ません。「~プランをエンジョイできるよー」というSMSが来ない限り申し込めてないので注意してください。
 色々なプランがありますので、データパックの種類はその3USSDコード編に掲載します。


購入方法

 公式的な購入方法はAIS SHOPやAIS ONLINEでお買い求めください。
 非公式な購入方法としては日本のAmazonで買うとか、香港の鴨寮街で買うとかあります。なお、私は香港で買いましたが、パスポートの登録せずに使えてしまいました。タイはSIM購入の際にパスポート登録が必須なので、どういうからくりになっているのかは謎です。闇があります。たぶん。
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次回予告

 次回は実際の使い方各種コマンド一覧などをまとめていきます。この次も、サービスサービスぅ。
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(2023.5.1現在の情報に更新しました!)

 帰還困難区域が設定されて、自由に立ち入れない場所がある。その場所は具体的にどこなのかまとめた。
 便宜上、災害遺構というカテゴリーに入れているが、決してこの場所は災害遺構ではない。
 当ブログに適切なカテゴリーがなく、この記事のためだけにカテゴリーを新設すると読者にとってもわかりにくいと思われるため、ご容赦願いたい。


福島第一原発事故に伴う帰還困難区域地図を作ったよ

 福島第一原子力発電所の事故により、現在も多くの地域で立入が規制されている。ただ、その一方で着実に少しずつであるが規制の緩和が行われており、立ち入れる区域も増えてきた。ただ、実際にどこに立ち入れるのか、どこに立ち入ってはいけないのか、一元的に管理した地図がなく、あったとしてもかなり簡略化した地図であるためわかりづらい。
 というわけでみんなが一番使用しているであろうGoogleマップのマイマップ機能を用いて、帰還困難区域、立入規制緩和区域、特別通過交通制度適用道路の地図を作成した。原子力発電所周辺の今を見たい人々の参考にして欲しい。


福島県帰還困難区域地図

 出来上がった地図はこれ。リンクはこちらから。


 各区域の解説は次の通り。


帰還困難区域(要立入許可)

  オレンジ で示された区域は「帰還困難区域」である。
 定義は「放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域」となっている。
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 この写真で言えば左は解除された区域、右は帰還困難区域。入ろうと思えば入れるけど入っちゃダメだよ。
 もっとも自分の家に帰る場合や、墓参り、工事などについては地元の役所で許可を得ることで立ち入ることができる。許可があればいくつかのゲートがあり、そこから立ち入ることになる。なお、宿泊は不可能。
 以前は「避難指示準備解除区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」に分かれていたが、「避難指示準備解除区域」と「居住制限区域」については全て避難指示が解除されており、現在残るのは「帰還困難区域」のみとなる。
 詳細は福島県の復興ポータルサイトが詳しい。



福島第一原子力発電所敷地(要立入許可)

  ピンク で示された区域は「福島第一原子力発電所敷地」である。
 いわゆる、事故現場。
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 帰還困難区域内に存在するのだと思われる。この辺、重複しているのかそうじゃないのか不明。
 大量の地下水に悩んでおり、敷地内は水を溜めたタンクがいっぱい。
 現在、この水を薄めて海洋放出するかしないかで議論沸騰中。まぁ、放出量としては他の国が海に流している放射線量よりも低いので基本的には問題は無いはず。ちなみに文句を言っている韓国は、自分の国で日本が流そうとしている量よりも大量に流してるんだけどね。
 一度はちゃんと東京電力のホームページを読んでみた方がいいと思うよ。どんな意見だったとしても。



中間貯蔵施設区域(要立入許可)

  グレー で示された区域は「中間貯蔵施設区域」である。
 帰還困難区域の中にあって、重複して指定されていると思われるが、詳細不明。
 除染などででた、放射性物質を含む土壌や廃棄物を最終処分するまでの間、安全に集中的に保管する施設。最終処分する場所が決まってなくても、ものは出てきてしまうのでとりあえず保管する施設。保管期間はいつまでかって?最終処分場が決まるまでだよ。
 この区域の国道6号線沿いには中間貯蔵工事情報センターがあり、ここは申請なしで見学することができる。



避難指示解除済区域(立入許可不要)

  水色 で示された区域は「避難指示解除済区域」である。
 この区域名は正式なものではないが、常磐線の開通に伴い避難指示が解除となった区域(=特に規制がない区域)で、当初は面的ではなく線的な解除になっていた。具体的には周辺が帰還困難区域内にある夜ノ森駅、大野駅、双葉駅と帰還困難区域外を結ぶ道路と県立大野病院敷地のみが解除された。
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 よって駅へ通じる道路は通れるものの、周りは全て帰還困難区域なので封鎖されている。
 ただし、双葉駅については周辺が立入規制緩和区域となっているため、夜ノ森駅の新設された西側の出入り口は帰還困難区域になっていないため、このような状況にはなっていない。
(2022.2.6削除)
 以前は駅へ通じる道路のみが解除されていて、周りは全て帰還困難区域だったので柵に囲まれた道路を歩く必要があったが、現在は全ての駅前が立入規制緩和区域となったため、自由に出入りできるようになり、柵だらけの異様な光景も過去の物となった。(2022.2.6追記)

 このほか常磐線鉄道用地と駅前広場についても同様に避難指示が解除されているが、別項目としたので当該項目を参照して欲しい。
 2022年には葛尾村(2022.6.13解除)と大熊町(2022.6.30解除)における特定復興再生拠点区域やそこへアクセスする道路の避難指示が解除された。(2022.6.21追記)
 2023年には浪江町(2023.3.31解除)、富岡町(2023.4.1解除)、飯舘村(2023.5.1解除)における特定復興再生拠点区域やそこへアクセスする道路の避難指示が解除された。(2023.5.15追記)


立入規制緩和区域(立入許可不要)

  黄色 で示された区域は「立入規制緩和区域」である。
 帰還困難区域内において、各町村が作成した特定復興再生拠点区域復興再生計画が国に認定されると、国による除染や廃棄物処理や、国による道路整備代行が行われる。これにより概ね5年以内に避難指示を解除して居住を可能とするものである。この計画・整備の一環として立入規制緩和区域が設定されて、制限付きではあるが許可不要で立ち入ることができるようになる。
 2020年3月に初めて設定された。立入規制が緩和されたものの、避難指示が解除されたわけではないため、宿泊はできない。

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 見た目は普通の住宅街。でも、人気はない。
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 公園とか遊具が植物に侵食されていってる。
 これは今後整備されるのかな。



 特定復興再生拠点区域における避難指示はすべて解除されたため、現在立入規制緩和区域の設定はない。(2023.5.15追記)


常磐線(避難指示解除済・立入許可不要)

  エメラルドグリーン で示された区域は「避難指示が解除された常磐線用地」である。
 常磐線と言えばやっぱりこの色だよね?(それは常磐線快速電車の色です)
 常磐線の運転再開に備え、この区間の鉄道用地(線路敷・駅舎・法地など)や駅前広場についても避難指示が解除された。よって特に規制がない区域となる。
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 大野~双葉間は震災前複線であったが、震災後の運転再開では単線とされた。旧上り線敷地はアスファルトで舗装されて避難通路として活用できるようになっている。推測の域を出ない話ではあるが、どちらかと言えば周辺は帰還困難区域であるため、立入には許可が必要であり時間が限られるので、保守などの作業がしやすいように道路を線路内に整備したっていう理由の方が大きい気がしなくもない。道路を整備しておけば保守などのためのトラックなども簡単に許可なく入れることができるので。もちろん、立ち往生したときに乗客をバスで運ぶのに活用できるということも否定しないが。


特別通過交通制度(立入許可不要)

  青色 または 紫色 で示された区域は「特別通過交通制度が適用されている道路」である。
  青色 は「四輪・二輪・原付」が走行可能で、 紫色 は二輪・原付の走行が不可能である。規制内容が異なるので注意されたし。なお、どちらの道路においても自転車や徒歩による通過は不可能である。
 基本的には通り抜けできなくて不便なところを通り抜けできるようにしたということだが、適用される道路が当初に比べてかなり増えた。常磐線とは違い、常磐自動車道はこの特別通過交通制度による道路である。
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 建物が建ち並ぶ場所ではこのようなバリケードが張られている。
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 山間部に行くとこんなにバリケードだらけではないが、「帰還困難区域内につき、長時間の停車はご遠慮ください」という看板が目に付くのでちょっとビビる。
 結構長距離に渡って通過する場合もある道路だが、この区域内では原則として人が立ち寄る場所はないので、当然トイレもない。車の外に出るのははばかられるので、ちょっと降りて用を足すわけにもいかない。なので、この区域を走る場合はあらかじめトイレを済ませておこう。
  ピンク色 の道路は「特別通過交通制度による道路」であるが、現在災害による路肩崩壊によって通行止めになっている道路である。通行の際には注意して欲しい。(現在該当の区間はない・2022.2.6削除追記)
 特定復興再生拠点区域における避難指示はすべて解除されたため、そこへのアクセス道路もほぼ避難指示が解除された。そのため特別通過交通制度の該当となる道路は双葉町と大熊町と南相馬市に存在するのみとなっており、大熊町と南相馬市においてはごくわずかな区間のみとなっている。(2023.5.15追記)


というわけで

 これらの立入許可不要な区域は、私有地まで立ち入っていいものではない。
 当然、所有者が必ずいるので、所有者の許可なく私有地に立ち入ることがないようにして欲しい。

 作成に当たって経済産業省、環境省、復興庁、福島県、各市町村のホームページを参考にした。元の資料の解像度の低さなどによって、数m~数十m程度の誤差があるかもしれないが、精度についてはご容赦願いたい。特に南相馬市の帰還困難区域については詳細な資料が見つけられず、特に精度が低く、大きくずれている可能性があると思われる。また、人家がないような山林内における区域境についても同様である。
 明確な誤りがあった場合、コメント欄やTwitter、右上にあるメールアドレスまで、証拠資料とともにご一報いただければ幸いである。
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 この震災遺構は2度襲われた。


2つの災害に襲われた震災遺構

 震災から11年目の春、新しい震災遺構がオープンした。
 石巻市立門脇小学校が震災遺構としての整備を終え公開したのだ。
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 私がこの場所に初めて来たのは2018年の冬。
 このときはまだ保存するかどうか決まっておらず、仮囲いに覆われた状態だった。周辺は何も無かった。そう、本当に何も無かった。震災前、ここには家々がみっちりと建っていたというのに。
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 次に来たときは2021年の秋。
 災害遺構としての整備工事が進んでいた。周辺には大きな大きな津波復興祈念公園ができた。家は戻らなかった。
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 そして、2022年4月に石巻市震災遺構門脇小学校としてオープンした。
 この震災遺構の特徴としてはなによりも、津波に襲われたことだけでなく、それによって発生した火災によって焼失したことである。津波は圧倒的な量の海水で押し流すだけではなく、様々な可燃物が流れて発火することもある。発火したものが流れることによりさらに火災が拡大していくこともある。


それでは入場

 もともと体育館だった場所が展示施設となっており、ここから入場することになる。
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 もともと体育館……とはいえかなり改造されている。
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 震災遺構となった校舎を横目に見ながら入場。
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 津波で流された消防団の消防車。
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 そして乗用車も展示されている。様々な場所で展示されている津波で流された自動車だが、どれも共通しているのはぐしゃっとなっているところ。インパクトはあるのだけど、「いや、それって交通事故でもそうなるやん」というツッコミをしてはいけない。
 順路としてはこの自動車をチラ見してすぐに外がに出る。


本校舎へ

 それではいよいよ本校舎へ。
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 津波浸水高の表示。おおよそ1階部分の中程程度まで浸水した。ただ、1階部分がすでに高くなっているので、地面からの高さで言えば1階分相当ぐらいあるだろうか。
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 ここは校長室。
 中央に見えるロッカーは金庫だった。
 卒業式1週間前だったため、金庫内には卒業証書が保管されていた。このような状況ではあったが、金庫は浸水を免れ、火災でも中身を守ったため、無事だった卒業証書は4月に延期された卒業式で卒業生に手渡されている。金庫ってすごいなというのが素直な感想。
 津波の被害に遭い、室内は散乱しているし、堆積物もある。その上火災で焼失している。
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 2階に上がってこちらは少人数指導室。
 津波によって流されている自動車や住宅に火がつき、やがてそれは門脇小学校を襲う。あるいは流されてきてから出火したものもあったかもしれない。いずれにせよ、津波で発生した火災は校舎へ燃え移った。机がそのままになっていることからもわかるとおり、この場所は津波で浸水はしていない。しかし、燃えた。
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 3年2組の教室。理科の授業でスペースを作るために机と椅子は後ろに下げていたらしい。床一面には焼け落ちた天井材が散らばっている。学校において地震の時の防災訓練ではまず机の下に潜るというのが定石である。しかし、このとき机は後ろに下げていた。地震の時は真ん中に集まって耐えたという。
 右に見える向かい合った椅子が、切なさを増幅させた。
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 3階に上がって、4年2組の教室。もちろんここも燃えた。
 不燃物の金属部分しか残っておらず、木材の部分はすべて焼失してしまっているのがわかる。
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 大きな地震が発生したとき、津波の発生が予想されたとき、高い建物を目指して避難したとき、このような火災が発生したらどうなるのか想像してほしい。


特別教室棟(展示館)

 焼失した校舎の次はその後ろに建っている特別教室棟へ。
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 こちらは焼失せず、改修されて様々なものを展示している。
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 こちらは門脇小学校の1階中央昇降口に置かれていた柱時計。
 津波によって40m先の会議室で見つかった。
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 こちらは焼失した教室の机と椅子。
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 浸水した黒板。
 どこまで浸水したのか一目瞭然だ。
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 こちらは焼失したオルガン。
 火災による熱の威力を感じる。


この場所の出来事

 この地域は石巻市内で津波による死者・行方不明者や被害が最も集中した場所である。海から進入した津波と旧北上川を遡上してあふれた津波がぶつかり合い、津波の水深や流速が速かったと推定されている。
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 当日のこの場所での避難行動についてまとめられている。
 門脇小学校では地震発生後およそ10分で、児童と教職員が校庭に避難している。そしてその5分後には裏山である日和山への避難を開始した。これは同じ石巻市内の大川小学校とは違い、避難訓練においても日和山へ避難するようになっていたため、意思決定でもめることなく避難開始している。このようにすぐに避難できたため、すでに下校していた7名を除き在校していた児童は全員無事であった。
 児童は全員避難していたものの、一部の教職員や住民が残っていた。
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 校舎に残っていた人々は津波と、津波によって火がついた家屋などが押し寄せてくるのが見えたため、脱出を模索し始めた。そして、教室にある教壇を校舎の2階と裏山の間にかけて橋にして避難することにした。写真の屋根部分と右側の雑木林部分に教壇を置いてその上を渡ったのだ。
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 体育館にいた人々もいた。この人たちは、先ほどの人たちが教壇で作った橋を見つけ、崖に立てかけることによって登って裏山に逃げることができた。
 ここで起きた出来事から考えられるのは、津波の発生が予想されるときはできるだけ内陸の地形的に高い場所に逃げることが第一であるということ。それは火災が発生するかもしれないこと、火災が発生しなくても津波による水はしばらく引かないので孤立状態が長期化することがあるからだ。それが不可能な場合には鉄筋や鉄骨コンクリートのビル(いわゆる硬い建物)の上層階に逃げると考えるのがいいだろう。
 門脇小学校においては避難行動がうまくいった。ところがこの地域では別の悲劇もあった。その話はまた別の震災関連施設について記事にするときに述べたい。


仮設住宅(体育館)

 震災復興に向けて、まずは住居の確保から。
 この震災遺構の体育館では仮設住宅が展示されている。
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 当時このような仮設住宅がたくさん建てられた。
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 私も住んでいたことがあるので懐かしい。
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 夏暑く、冬寒い仮設住宅は決して住みやすいものではない。
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 ちなみに4畳半2部屋+台所で3~4人が暮らすのは普通であった。
 防音性は皆無で暮らすのは大変である。でも、みんな大変だった。
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 もうね。ずるいよね。
 こんなん書いてある仮設住宅をわざわざ移設してくるんだから。
 仮設住宅の展示を見るときは、ここに一人で暮らしていたと思わないでほしい。ここで暮らしていたと思う人数の2~3倍の人々が住んでいたと思ってほしい。そうすればいかに過酷だったかわかる。


最後に外から

 さて、展示施設はこれにて終了。
 最後は外から建物の周りを歩く。
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 右側の樹はイチョウだ。震災前から生えていたイチョウは火災によって黒く焼け焦げたものの、その根元から新しい芽が生えて復活している。黒く焼け焦げた幹を守るようにして生えている。
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 校舎の西側に回ると、3階は焼失しているが、1階2階は焼失していないことがわかる。
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 たしかに焼失していないが、津波の被害は受けているので堆積物はあった。
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 同じことに繰り返しになってしまうが、津波が来るかもしれないときには「高いところに逃げればいいというわけではない」ということである。なるべく海から離れた高台に逃げるべきであり、ビルの上階に逃げるのは高台への選択肢がない場合に陰るべきだ。ビルの上階の場合、火災が発生したり火災が発生しなくても孤立状態が長引くことが考えられる。そのことを教えてくれる施設だった。
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 人によってはあっという間の28年かもしれない。


日本で起きた「大震災」の「震災遺構」

 日本政府によって命名された災害において「大震災」という名前がついているのはたった3つ。

 「関東大震災」
 「阪神・淡路大震災」
 「東日本大震災」

 東日本大震災においては各地に災害の恐ろしさを実感させるために、災害遺構が数多く残された。そのほかにもこの災害遺構のカテゴリーにあるように様々な災害の遺構が残されている。しかし、「阪神・淡路大震災」においてはその被害を現代に伝える震災遺構はほとんど残っていない。東日本大震災と違い、大都市が火災によって大きな被害を受けた災害であり、人口密集地帯であったこともあり復興が優先されたのが大きな理由であろう。その中で数少ない遺構が北淡震災記念公園野島断層保存館である。なお、この場所以外に残っている阪神・淡路大震災の震災遺構は下の記事を参照していただきたい。




淡路島も被災地

 我々はつい、「阪神大震災」と略してしまったり、思い浮かべるのは神戸や西宮の被害を受けた姿だけを思い出してしまう。確かに、多くの人々が被害を受け、映像で流されていたのもインパクト重視のせいか、阪神間や明石のものばかりであった。しかし、阪神・淡路大震災(災害名)の元となる兵庫県南部地震(地震の現象名)の震源は明石海峡であり、当然対岸の淡路島でも大きな被害が出ている。
 この北淡震災記念公園がある北淡町も死亡者39名、1,057世帯の建物が全壊、1,220世帯の建物が半壊している。もちろん、人口が多い阪神地区に比べれば少ない数ではあるが、当時の人口11,214人、3,610世帯であったことを考えれば大きな被害である。
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 その北淡町に北淡震災記念公園の野島断層保存館はある。アクセスは神戸三宮か高速舞子から高速バスで直通。午前中は1時間強に1本程度走っている。


野島断層保存館

 それでは野島断層保存館へ。入館料大人730円。
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 あの高速道路が倒れたやつをイメージした展示からスタート。
 野島断層は1995年1月17日未明に発生した兵庫県南部地震の原因となった活断層の一つである。この断層には淡路島北西部に長さ10km、最大で1.2mの段差、2m近い横ずれを発生させた。
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 これが保存されている断層。
 アスファルトがあることから道路であることはわかると思う。その横にある水路、これが横ずれしているのがわかるだろうか。当然、この水路はつながっていた。それが地震の力で引きちぎられたのだ。
 ここには地震の時のままに断層が約140mにわたって保存されている。
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 もちろん段差もできている。
 (なんかすごくウソっぽく見えてしまうのだけど本物)
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 奥が主断層、手前が副断層。断層は2つに分かれている。
 地中深くでは一つの断層に収束すると考えられている。
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 さて、副断層が姿を消して、一つの断層になる部分。
 オレンジと水色、それぞれの示す点が同一だった部分を示している。あぜ道が右に横ずれているのがわかるだろうか。
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 その隣にある生け垣も当然ずれている。
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 ちょっとわかりづらいので模型で上から見るとこんな感じ。
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 そして、今度は断層がそれぞれの方向に引っ張られたため、陥没している。地面同士がぶつかれば段差ができるし、地面同士が離れていけば陥没する。
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 再び断層らしい断層になるんだけど、もう読んでて飽きてきたよね。私も飽きてきた。
 とはいえ、これだけの地面が動くということを想像して欲しい。そう、動くんだよ。巨大な力で。
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 そして、断層が見える。
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 確かに断層だ。地表で段差ができていれば、もちろん地中も分断されている。
 それでも、あぁ、教科書通りだ!って思う。(色はわかりやすくするために塗ってるのかな?)


神戸の壁

 外に出ると壁がある。
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 この壁は神戸市長田区の若松市場で防火壁として建設されたもので、第二次世界大戦の空襲による火災に耐え、阪神‥淡路大震災にも耐えた壁である。
 復興の邪魔だったので神戸では保存できず、淡路市しづかホール隣接地に1999年移設。さらに2008年にこの地へ移ってきた。


メモリアルハウス

 外にはさらに一軒の家がある。

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 めちゃめちゃ立派な門でびっくりするが、元々は個人宅。
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 断層の上に建っているので、当然塀も被害を受けている。
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 それでは入ってみよう。
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 地震直後の台所の様子を再現したエリア。
 この家の持ち主は震災後4年間住んでいたらしいので、一度片付けられている。
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 観音開きのドアとか危ないってあの頃言われたよねー。
 台所において被害が大きいのは火災関係の他は割れた食器。
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 実はこの家は傾いている。断層が建物直撃はしなかったものの1m海側を通っていたため、元の位置から20cm持ち上がり、横に120cm動いている。地盤が傾いたので家全体が基礎ごと傾いている。ただ、この家は鉄筋コンクリート造りで基礎に通常の2倍以上のコンクリートを使用していたため、めちゃくちゃ頑丈で、家のゆがみや壁と柱の隙間はほとんどないという。
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 そこまで頑丈だったので、逆に言えば震災後も4年間住み続けていたとも言える。ただ、どんなに頑丈に作っても地盤の傾きには勝てなかった。
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 外に出たら、地盤のずれが見られる。
 実際に見ると本当にずれているのだ。このあたりではほぼ段差はなかったようだが、1.2mほど右横ずれが発生した。
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 まぁ、振り返ってみると、普通の一軒家ではないな。
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 っていうか、この家、塀もめちゃくちゃ頑丈じゃない?どんだけ頑丈に作ったの?って言いたくなるほど頑丈。もう、私個人としては家の建築費がどれくらいかかったのかとか、どうしてこんなに頑丈に作ったのかとか気になって仕方がなかった。


震災体験館

 さて、震災体験館では兵庫県南部地震と東北地方太平洋沖地震の揺れの違いを体験できるらしい。
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 はい。機械点検中で体験できず。


阪神・淡路大震災を実感できる数少ない施設

 阪神・淡路大震災においては、神戸港震災メモリアルパークの半分沈んだ岸壁はインパクトあるし、人と未来防災センターの1/1ジオラマは都市部の地震災害における被害を実感できた(まぁ、ジオラマだけど)。そして、この北端震災記念公園では実際の断層を目の当たりして、これほどの「地面が動く」というのを実感した。阪神・淡路大震災で発生した断層のずれの特徴的な部分を保存するために、関係者の皆様の協力があってのことなので、感謝したい。
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 鵜住居であの時おきた「釜石の出来事(釜石の悲劇)」と「釜石の出来事(釜石の奇跡)」。


今回の舞台

 岩手県南東部に位置する釜石市は、東北有数の重工業都市であった。この地は近代製鉄発祥の地であり、日本で3番目に鉄道が敷設されるなど、かつては製鉄の街として栄え、最盛期には人口9万人を超えた。その後の製鉄需要の低迷による製鉄所の縮小や、東日本大震災による津波被害により人口は流出し、現在では3万人強となっている。ラグビー実業団チームである新日鐵釜石は日本選手権7連覇を達成し、そこで釜石の名を記憶している人も多いだろう。
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 釜石駅から三陸鉄道リアス線に2駅乗ると鵜住居(うのすまい)駅に着く。ここは震災による津波によって大きな被害を受け、街そのものが壊滅的な被害を受けたところである。この三陸鉄道も元々はJR山田線だったが、津波の被害からの復旧の過程で移管されたものだ。
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 2019年に開催されたラグビーワールドカップでは、ラグビーの街であることから東北地方唯一の試合会場として「釜石鵜住居復興スタジアム」で試合が行われた。2試合行われる予定であったが、残念ながら1試合は台風による水害で中止となってしまった。
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 今回取り上げる震災遺構(というより震災伝承施設)はこの鵜住居にあり、そして震災で発生した2つの対照的な話の舞台である。


いのちをつなぐ未来館

 釜石市内には震災遺構と呼ばれるような津波による被害を受けた施設は残っていない。
 釜石市は保存という議論をしないままに、とにかく残っていた建物を全て取り壊してしまった。あるのは訪れるのが不便な場所にあって、被災当時のまま放置されている建物だけである。
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 それではマズいので、震災の出来事や教訓とすべきことを伝えるとともに災害から未来の命を守るための防災学習を推進する施設として「いのちをつなぐ未来館」を鵜住居駅前に設置した。
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 館内は大きく3つのパートに分かれている。
 まず一つ目は釜石市において震災が発生してから1週間の動きをまとめた展示である。混乱状況の中どのような対応をしていたのか、特に釜石市役所は地下を除き市役所自体の浸水は免れたものの周り全てが浸水し、瓦礫で埋まった中でどのように活動していったのかまとめられている。


釜石の出来事(釜石の悲劇)

 残りの2つのパートは震災で発生した2つの対照的な出来事のことである。
 そのうちのひとつがこれから述べる「釜石市鵜住居地区防災センター」で発生した出来事だ。
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 この施設には釜石市鵜住居地区生活応援センター(市役所出張所・公民館)、釜石消防署鵜住居出張所、釜石市消防団第6分団第1部消防屯所が入っており、主に行政窓口、生涯学習の場、消防関係施設の役割を担う施設であった。
 「防災」と入っているがそれは災害時には避難民の収容施設として使われることを意図したものである。しかし実態としては建設財源確保のため、(起債することが認められやすく充当率を高めやすい)防災施設名目での起債をする必要があった、あるいは国の補助金を獲得するため、「防災」という言葉を入れざる得なかったのではないかと思われる。なお、国の補助金は実際には獲得できなかった。こういった状況であったため、建物を3階建て以上にすることや屋上への避難階段など津波避難対策設備は経費削減の名の下設置されなかった。
 このような経緯の上で、震災の1年前となる2010年2月に「釜石市鵜住居地区防災センター」は開所した。この施設は、県が作成した津波浸水予測図では浸水区域には入っていないものの過去の明治三陸地震津波の浸水域にギリギリ含まれるため、津波被害の一次避難場所ではないが洪水・土砂災害の一次避難場所であり、津波被害を含む中長期的な拠点避難場所という位置づけとなった。
 この防災センターのわかりづらい機能については住民説明会においても説明がなされていたが、住民が理解したかどうかは別問題である。実際に地域防災計画においても「津波避難場所」「一次避難場所」「拠点避難所」「避難者収容施設」などの類似した言葉が並んでおり、住民がそれぞれの違いを認識するのは困難であったと思われる。
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 この施設の開所後の平成22年2月28日、チリ地震による津波警報(大津波)が岩手県沿岸に発令された。その際に住民がこの施設に避難してきている。また、その後地域の避難訓練においても避難場所としてこの場所が設定された。避難訓練の避難場所として、この場所が使われた理由は、自主防災組織である町内会が高齢者や体が不自由な人への配慮、津波避難場所は屋外であるため寒さへの苦情を減らし、防災訓練への参加率向上を狙ったものであった。その際に、本来津波の場合の避難場所はここではないことについて個人的に話す者はいても、市としては積極的な告知を行っていなかった。東日本大震災が発生する8日前の平成23年3月3日においても津波避難訓練が行われ、101名が参加しこの場所に集まっている。住民の多くはこの場所を避難先だと認識していた可能性が高い。
 そして、平成23年3月11日、東日本大震災が発生する。
 鵜住居の街は津波にのみ込まれた。
 「鵜住居地区防災センター」に避難した人々がいて、その多くの人々が2階屋上近くまで達した津波にのみ込まれた。避難した人々の数は、正確にはわからないが「確実にこの場所に避難していない人を除いた人数」で推計したところ241名としている。このうち助かった人数は34名。
 (実際にはもう少し少ないと思われるが)200名をこえる多くの人がこの場所で亡くなった。財政難においても老朽化した施設を新しくするためにひねり出した言葉は、当初の思いとは関係なく転がり出して、最終的には多くの犠牲者をだすことになった。

 その後、一部の遺族と「市はセンターが避難場所ではないと周知する義務を怠った」として、損害賠償を求める裁判が行われた。結果、盛岡地裁では遺族敗訴、仙台高裁では和解となり市が責任を認め、和解金約49万円を支払うこととなった。この和解金は裁判にかかった印紙代相当額となっている。


釜石の出来事(釜石の奇跡)

 一方で全く逆の出来事もあった。この施設ではそれも紹介されている。
 釜石の子どもたちは地震発生後、自身の判断で避難することにより、その多くの子どもが助かることができた。その要因は釜石市の小学校・中学校において、片田敏孝群馬大学教授(当時・現東京大学特任教授)の監修のもと、毎年5~10時間程度の防災教育や避難訓練に取り組んできたことである。
 海に近い市内中心部の釜石小学校では震災の日は短縮授業で児童は下校していた。下校してそれぞれが自宅で街でおのおのが過ごしていたが、震災直後に全員が「それぞれ」「各自の判断で」高台に避難し、難を逃れることができている。
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 そして、この鵜住居でも同様の話がある。
 ラグビーワールドカップ会場となった釜石市鵜住居復興スタジアムは、津波で被災した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建っている。震災当日、地震が発生直後に中学生は校庭に集まっていたが先生の「なにやってるんだ!早く逃げろ」の指示に従って高台に向かって逃げることとした。校庭で練習していた中学校のサッカー部員は隣の小学校に避難を促し、訓練で決まっていた800mほど離れた避難場所まで走った。その過程で近隣の高齢者にも避難を促して、率先避難者として中学生たちは避難した。その後中学生たちは小学生や保育園児、高齢者など手を取り合って、迫る津波を見てさらに高台へ高台へ逃げることとなる。最終的には峠のトンネル間近まで逃げ、その後開通したばかりの三陸自動車道を使用して避難所まで移動することができた。
 これらの中学生たちが自主的に率先して避難することによって、多くの命が助かった出来事は「釜石の奇跡」として日本全国に広まった。

 震災から2年後、釜石市役所では「釜石の奇跡」という言葉は使用せず、これらの出来事は「釜石の出来事」を使用するという決定をする。この決定を不思議に思う人がいるかもしれない。しかし、当事者はこの出来事を奇跡と呼ばれることが不思議であったのだ。
 「釜石の奇跡」ではなく「釜石の出来事」とする理由は大きく分けて三つある。
 その一つは、「釜石の出来事」は日頃から防災教育や避難訓練を行ってきたことによって達成した「奇跡でも何でもない当然の成果」であるからだ。これらの出来事は「当たり前」なのである。そして、それは釜石だけではなく岩手県内において学校管理下における児童生徒に1人も犠牲者が出ていないことからも、そもそも奇跡でもなければ釜石だけの出来事でもないということである。このような出来事は大なり小なりそれぞれの学校でもあった。
 もう一つは、学校管理下に置いて1人も犠牲者が出ていないとはいえ学校管理外の場で児童生徒が5人亡くなっているということ、教職員が3人亡くなっているということ、そしてその1人は「釜石の出来事」の舞台となる釜石東中学校の事務職員であったからである。そのほかにも多くの方がこの街で亡くなっているところで「奇跡」と呼ばれるのは、はばかられるということもあるだろう。
 そして、最後に、本人たちがそういわれることを希望していないことである。この出来事は本人たちだけで成し遂げられたものではなく、日頃の教育・学校の先生・消防団の人々・地域の住民など多くの人々の助けがあったおかげであることを本人たちは知っている。だからこそ、本人たちは奇跡の当事者として祭り上げられることに違和感を感じたのだ。

 この「いのちをつなぐ未来館」では、全く対照的な出来事がこの地で起きたことを私たちに教えてくれた。この施設にはこの「釜石の出来事」を経験した語り部がいる。語り部については有料だがWEB予約して案内してもらうこともできるので、訪れた際にはぜひ直接話を聞いてほしい。


釜石祈りのパーク

 鵜住居駅前には他にも大きな公共施設がいくつかある。
 そのうちの一つが釜石祈りのパークである。
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 ここは釜石市の東日本大震災犠牲者慰霊追悼施設となっている。
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 造成された小高い丘に囲まれるように、慰霊碑がある。見たくない人が見なくて済むように、目隠しのために丘が作られている。この慰霊碑には震災で亡くなられた方1,064名の内、了承した999名の芳名を記した芳名板が設置されている。この芳名板は当初五十音順で並べられていた。しかし、亡くなった家族の名前をバラバラに配置せず、隣り合わせに並べて欲しいという要望が多く、設置から1年後に芳名板を並び替えた。
 写真右上に見える黒い碑は津波の高さを示している。この地での津波の高さは11m。この高さの海水の塊が鵜住居の街を襲った。
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 「釜石市防災市民憲章 命を守る」の碑もある。
 釜石市防災市民憲章同憲章制定市民会議により原案が作られ、平成31年3月11日に制定された防災市民憲章は震災に対する重要な教訓が含まれている。

釜石市防災市民憲章 命を守る

釜石市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波により、千人を超える尊い命を喪った。その悲しみが、癒えることは決してない。
しかし、古来より、先人たちが、度重なる災害や戦災をたくましく乗り越えてきたように、今、私たちは、ふるさと復興への途を歩み続けている。
自然は恵みをもたらし、ときには奪う。
海、山川と共に生き、その豊かさを享受してきたこの地で安全に暮らし続けていくためには、また起こるであろうあらゆる災害に対し、多くの教訓を生かしていかなければならない。
未来の命を守るために、私たちは、後世に継承する市民総意の誓いをここに掲げる。

備える
災害は ときと場所を選ばない
避難訓練が 命を守る

逃げる
何度でも ひとりでも 安全な場所に いちはやく
その勇気は ほかの命も救う

戻らない
一度逃げたら 戻らない 戻らせない
その決断が 命をつなぐ

語り継ぐ
子どもたちに 自然と共に在るすべての人に
災害から学んだ生き抜く知恵を 語り継ぐ 

私たちは生きる。
かけがえのないふるさと釜石に、共に生きる。

 事前に「備える」、地震が起きたら「逃げる」「戻らない」、そして震災の出来事を「語り継ぐ」ことが1つでも多くの命を救うことになる。この言葉は釜石市民だけでなくて、全ての日本の海沿いに住む人々が心に刻む必要があるものである。
 この教訓は震災時この地で起きた二つの「釜石の出来事」が大きく影響している。そして、この釜石祈りのパークは「釜石の悲劇」の場所となった鵜住居地区防災センターの跡地に建てられている。この場所だからこそ慰霊碑を建てることになったのだ。


どこで生死を分けたのか実感させられる施設

 行政が作った震災伝承施設は、どうしても総論を述べることになりがちで、個々の事例を掘り下げた展示がなされることはあまりない。それは地域に一つという施設で、そういった生還した話や逆に亡くなられた話というのはたくさんありすぎて取り上げにくいのだろうと思う。
 そういう意味では、「釜石の出来事(釜石の奇跡)」として取り上げられたこと、「釜石の悲劇」として後々裁判にまで発展したこと、注目を集めた対照的な出来事だったからこそ、それにスポットをあてた施設を作ることができたのであろうと思われる。その結果、どこで生死を分けたのか、展示だけではあるけれどイヤというほど実感させてくれる施設であった。
 これら出来事を、我々は忘れてはならない。これらの出来事から得られる教訓を、我々は忘れてはならない。自らが率先避難者として避難すること、それを周囲に促すこと、そうすることによって救われる命は必ずある。何回避難しても津波が来なかったとしても、何回も何回も率先して避難して臆病と言われても、それでも避難するべきなのだ。
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 津波への備えはあったけれど。


今回は正直地味な遺構

 震災遺構が各地に整備されてきて、正直派手な物と地味な物がある。
 今回紹介するのは正直言って地味である。地味であるけれど、そこには大きな教訓がある。
 場所は久慈と宮古のほぼ中間に位置する岩手県田野畑村。ここには明戸海岸という観光地があった。海岸とそれに付随してキャンプ場や野球場などが設置されており、さけの孵化場もあった。
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 私が行ったときには静かな海だけがあった。津波で建物を、人々を、全てを飲み込んだとは思えない、静かな静かな海だった。


ズタズタに破壊された防潮堤

 明戸海岸にある9mの高さがあった防潮堤は震災による津波によって破壊され、津波はさらに背後の集落に向かって進んでいった。さけの孵化場もキャンプ場も野球場も飲み込んで津波はさらに奥にあった明戸の集落まで襲った。最大遡上高は25.5m。最大遡上高とはその海抜の高さまで津波が来たということであり、津波の高さとは違う。あくまで勢いで陸地を遡っていくため、陸地が高くなれば津波も高くなるということである。この時の津波の高さは推定17.1m。高さ9mの防潮堤をあっさりと越えた。
 ここからわかることは「津波の高さ6mだから海抜6m以上の場所にいれば平気」ということにはならないということだ。最大遡上高は25.5mなのだから、そこまで津波は上がってくる。もちろん頑丈な高さのある建物に避難できるならいいが、そうでなければとにかく海から遠くに逃げることだ。「海から離れること」と「なるべく高い建物や場所に逃げること」が重要である。
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 この地にはその破壊された防潮堤の一部が保存されている。
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 頑丈なコンクリートの防潮堤がズタズタに破壊されているのがわかるだろうか。
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 自然の災害の前で人工物は無力である。
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 元々あった防潮堤も少し残っていた。この断面からどれだけの高さの防潮堤があったのかがわかる。


津波は大きな物も運ぶ

 そして、津波は防潮堤を破壊するだけでなく、大きな物を運んでくる。
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 これは明戸海岸の海中に設置されていた波消しブロックである。
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 牡蠣の殻が付いていることからわかるとおり、これらは海中にあったものである。
 沖合200mと場所から8tもする物が流されてきたのだ。もちろんこれらは単独で置いてあったわけではない。積まれていたのだ。多数積まれていた物が流されて来たのである。


そして新しい防潮堤が作られた

 新しい防潮堤が元々の防潮堤よりも海岸から離れた位置に設置された。
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 新しい防潮堤の高さは12m。震災前の防潮堤の高さは9mだったので、3m高くなっている。
 一方で東日本大震災に津波の高さは推定約17.1mである。もし、東日本大震災と同じレベルの津波が発生したときにはこの防潮堤では役に立たない。しかし、この高さの防潮堤を作ることは現実的ではない。東日本大震災レベルの防潮堤を全て整備することは莫大な費用がかかるからだ。それでも、以前よりも高くすることで、津波を完全に防ぐ確率が高まり、越えた津波の勢いを減らすことができる。そして、その背後にも防潮堤以外の津波を防ぐ二重三重の仕組みが備えられている。それは遡上高を下げる、浸水区域を少なくすることに役立つのだ。
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 避難生活がそこにはあった。


新潟県中越地震(新潟県中越大震災)

 2004年10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源としたM6.8の直下型地震が発生した。これが「新潟県中越地震」である。日本の観測史上2度目に最大震度7を記録し、震度改正により震度計により初めて観測した震度7の地震である(震度改正以前は調査により震度7を認定していた)。気象庁は「新潟県中越地震」と命名したが、新潟県およびその県内市町村においては「新潟県中越大震災」と呼称している。
 この地震の大きな特徴としては大きな余震が多数発生したことである。特に本震発生直後2時間の間に、最大震度6強の地震が2回、最大震度6弱の地震が1回、最大震度5強の地震が4回、最大震度5弱の地震が4回も発生している。
 これらの余震を含めた強い地震の複数回の揺れにより、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路がおよそ6,000カ所で寸断されることになった。この年は過去最多10個の台風が上陸しており、地盤が緩んでいたことも山崩れや土砂崩れの多さの原因という指摘もある。それにより河道閉塞が多数発生し、多くの家が水没することになった。建物倒壊などの直接的な死者は16人、そのほか52人が関連死(エコノミー症候群や避難生活のストレスが原因)とされている。家屋の全半壊はおよそ17,000棟であった。
 鉄道の被害として象徴的だったのは、国内の営業運転中における初めての脱線事故が発生したことである。しかも、それは奇跡的ともいえる好条件が重なったことにより、乗客乗員に死者負傷者被害が出ることはなかった。2chでは「上越新幹線とき325号」のFLASHが作られて多くの人の涙を誘った。


中越メモリアル回廊

 その新潟県中越地震において発生した被害と教訓を後世に伝承する施設群として「中越メモリアル回廊」と称し、4つの拠点施設と3つの屋外施設が整備された。国からはこの伝承施設について補助金は出ておらず、新潟県が県債を用意し、その運用益を中越大震災復興基金として、その基金の一部によって運営していた。令和2年度までと期限が区切られており、期限を超過すると自立的な運営を求められている。その結果、中越メモリアル回廊の各施設は令和2年度より公益社団法人中越防災安全推進機構の一体運営からそれぞれの施設の運営に分かれている。正直それってどうなん?って感じだし、ネットワーク化することによって、それ以上の効果を発揮することになると思うのだがそうなっている。以前はこの中越メモリアル回廊全体のホームページが存在し、モデルコースなどが公開されていたがなくなってしまった。とはいえ、これらの新潟県中越地震における伝承施設の一定の成功が、東日本大震災における震災伝承施設の設置につながっていると言えるだろう。


おぢや震災ミュージアムそなえ館

 長々と説明してきたがようやく本題に入る。
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 小千谷市民学習センター2階におぢや震災ミュージアムそなえ館がある。
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 「そなえ」との言葉の通り実際にどのようなことが起こるのか、地震後はどうなるのかを中心に学ぶことにより、地震に備えるための学習をする施設である。
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 中に入るとまずは世界一四尺玉の花火が出迎えてくれる。でけえ。
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 階段を昇ると受付がある。
 現在は公益社団法人中越防災安全推進機構の手を離れ、一般財団法人小千谷市産業開発センターが管理運営をしているようだ。


発災ゾーン

 まずは発災の再現映像を見るところからスタート。
 他に客がいなかったので、私が来たことによってスタートした。
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 ちなみに後ろに4席ほど特別席があるので、そこで見るといいと思うよ。再現3DCG映像に合わせて揺れる。
 映像は神戸にある人と防災未来センターで見る映像と同じ会社が作ったのでは?というぐらいコンセプトが似ている。映像自体はそのうち別記事になる「長岡震災アーカイブセンター きおくみらい」にあるものと同一だが、イスが揺れる分ここで見た方がいいと思う。
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 地震が起こると部屋の中がどうなるのか再現したコーナーもあった。
 写真や映像で見るのと実際に見るでは大きく違うなぁと実感。


避難ゾーン

 お次は避難ゾーン。どのような避難生活を送ったのか。
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 これは農業用ビニールハウスでの避難生活を再現したもの。
 避難場所とされていた学校が被災し使用できず、かといって倒壊の不安などから家にも戻れずという人々が農業用ビニールハウスで共同避難生活を送った例があった。
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 そして通常の体育館などでの避難所の再現。これが一人分だろうか。
 どんな避難生活を送ることになるのか、身をもって実感できる。


復旧・復興ゾーン

 そして次のフェーズとなる復旧・復興ゾーン。
 まずは被害状況のまとめを見て、仮設住宅の再現ゾーンへ。
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 電灯の所に逆さにしたペットボトルがぶら下がっているのは結露や滴り水対策。
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 ただでさえ豪雪地帯なのに、地震後は例年よりも多くの雪が降り、雪下ろしのために自衛隊の協力も仰いだ。
 玄関みたいなものがあるが、これは風除室。北国の仮設住宅にはついているが他の地域にはない。


防災学習体験ゾーン

 体験学習をするためのゾーンとして、緊急時に代用品を作る体験ができるコーナーも設けられている。
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 マスクの作り方や、スリッパの作り方などが学べるよ。


小さいながらも「実感」ができる施設

 お世辞にも大きい施設とは言えないが、内容としては充実していた。
 大きな地震が発生したとき、自分たちがどのような生活に変わってしまうのか、実感できる施設というのはなかなかない。大きな爪痕を残すことがあってもその後の避難生活を大きなテーマにした施設はあまりない。今回、新しい気づきや、発見が多い施設だった。
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