古い建物好きの私としては外せない施設。
この雰囲気たまんねぇな。
昭和29年新潟刑務所相川拘置支所として開設。
拘置所なので検察が起訴して、判決が出るまでの間収容される施設である。
昭和47年まで使用されていたというので、使用されていたのはわずか18年。
ただ、現存する木造拘置所としてはかなりレアな部類で、登録有形文化財になっている。
旧相川町が払い下げを受けて保存してきたようだ。
ツタに覆われた雰囲気ある門をくぐる。
登録有形文化財の証。
今でこそ、相川というと佐渡の中心部から離れているイメージだけど、拘置支所があるということは裁判所などもここにあったわけで、元々は佐渡島の中心となる地域だったと言うことなのだろう。
それでは中に入ろう。
入っちゃいけないような雰囲気だけど入ってOK。
建物は大きく3つに分かれており、内部でつながっている。
一番最初に入る建物は事務所棟である。内部には誰もいない。
朝と夕方だけ鍵を開け閉めする人が来るだけのようだ。
とにかく、静かである。不気味なほど静かだ。
内部は驚くほどきれい。
そして、不自然に新しいところもないので、昔のままに丁寧に掃除されているということなのだろう。
宿直室などもある。
驚くほどきれいで、それが逆になんとなく建物が纏う負のオーラを強調している。
なんだろう。このような建物にいたことがあるかと言われると、ないのに、なぜか懐かしい。
所長室の中には金庫があった。
この金庫は開くのだろうか。
当然拘置所なので、面会室もある。
これは拘置されている人からみた景色。
ガラス張りではなくて金網なのがちょっと驚き。
ついついトイレを確認してしまうのは性か。
うむ。おそらくボットン便所だね。あたりまえだけど。
さて、次の建物へ。
次の建物は炊事・倉庫棟。
かまどがそのままで残っている。
新潟刑務所の受刑者で炊事業務に任命されたものがここで食事を作っていたらしい。
これは風呂。
入所者は1週間に1回、15分間入浴が許されていた。
深さは深いけど、幅がないのでしゃがんで入るような感じになると思われる(実際に入ってみた感想)。
さて、さらに鉄格子の扉を抜けて、居房棟へ。
実際に拘置されていた人々が入っていた場所だ。
入ってすぐ右側に医務室がある。
ベッド。これ簡易的すぎてすぐ壊れそうじゃない?大丈夫なのかな。
なぜかイスと体重計だけが残されていた。
独居房の中。定員1名。
右奥がトイレと思われるが、1室を除いて丸見えだったらしい。例外の1室は女性や少年などが入所した場合に使用されたという。
こちらは雑居房。定員3名。
まぁ、なんというか拘置所なのでまだ裁判で判決が出ていないにもかかわらず、これでいいのかって気がしなくもない。でも、どの部屋も水道はあるので、水道は自由に使えたってことなのかね。
奥から入口を見る。
天井に明かり取りがあって、日が出ていれば中は明るい。
全体的に非常に手入れがしっかりしている施設であると感じた。その一方で一人でここに来ていて、他の人に出会ったら死ぬほどビビると思う。なんとなく施設を覆う負のオーラのせいか、なんとも言えない哀愁を感じる。
ちなみに向かいの市営住宅もなかなかのもの。
きれいに修復されている方の建物。
一方で修復されず現役の市営住宅もある。
さすがに人が住んでいるので、写真は撮らなかったがなかなかの年代物。
旧鉱山住宅だったらしい。
ちなみに市営住宅にいるおばあさんは旧相川拘置支所に人が来ると出てきて、めっちゃ話しかけてくる。昔の話など色々と聞いた。拘置支所ができる前は鉱山で働く朝鮮の人々の宿舎だったらしい。あいつら、羽振りが良かったから……これ以上話していた内容はやめておこう。
この雰囲気たまんねぇな。
旧相川拘置支所
昭和29年新潟刑務所相川拘置支所として開設。
拘置所なので検察が起訴して、判決が出るまでの間収容される施設である。
昭和47年まで使用されていたというので、使用されていたのはわずか18年。
ただ、現存する木造拘置所としてはかなりレアな部類で、登録有形文化財になっている。
旧相川町が払い下げを受けて保存してきたようだ。
ツタに覆われた雰囲気ある門をくぐる。
登録有形文化財の証。
今でこそ、相川というと佐渡の中心部から離れているイメージだけど、拘置支所があるということは裁判所などもここにあったわけで、元々は佐渡島の中心となる地域だったと言うことなのだろう。
それでは中に入ろう。
入っちゃいけないような雰囲気だけど入ってOK。
事務所棟
建物は大きく3つに分かれており、内部でつながっている。
一番最初に入る建物は事務所棟である。内部には誰もいない。
朝と夕方だけ鍵を開け閉めする人が来るだけのようだ。
とにかく、静かである。不気味なほど静かだ。
内部は驚くほどきれい。
そして、不自然に新しいところもないので、昔のままに丁寧に掃除されているということなのだろう。
宿直室などもある。
驚くほどきれいで、それが逆になんとなく建物が纏う負のオーラを強調している。
なんだろう。このような建物にいたことがあるかと言われると、ないのに、なぜか懐かしい。
所長室の中には金庫があった。
この金庫は開くのだろうか。
当然拘置所なので、面会室もある。
これは拘置されている人からみた景色。
ガラス張りではなくて金網なのがちょっと驚き。
ついついトイレを確認してしまうのは性か。
うむ。おそらくボットン便所だね。あたりまえだけど。
炊事・倉庫棟
さて、次の建物へ。
次の建物は炊事・倉庫棟。
かまどがそのままで残っている。
新潟刑務所の受刑者で炊事業務に任命されたものがここで食事を作っていたらしい。
これは風呂。
入所者は1週間に1回、15分間入浴が許されていた。
深さは深いけど、幅がないのでしゃがんで入るような感じになると思われる(実際に入ってみた感想)。
居房棟
さて、さらに鉄格子の扉を抜けて、居房棟へ。
実際に拘置されていた人々が入っていた場所だ。
入ってすぐ右側に医務室がある。
ベッド。これ簡易的すぎてすぐ壊れそうじゃない?大丈夫なのかな。
なぜかイスと体重計だけが残されていた。
独居房の中。定員1名。
右奥がトイレと思われるが、1室を除いて丸見えだったらしい。例外の1室は女性や少年などが入所した場合に使用されたという。
こちらは雑居房。定員3名。
まぁ、なんというか拘置所なのでまだ裁判で判決が出ていないにもかかわらず、これでいいのかって気がしなくもない。でも、どの部屋も水道はあるので、水道は自由に使えたってことなのかね。
奥から入口を見る。
天井に明かり取りがあって、日が出ていれば中は明るい。
全体的に非常に手入れがしっかりしている施設であると感じた。その一方で一人でここに来ていて、他の人に出会ったら死ぬほどビビると思う。なんとなく施設を覆う負のオーラのせいか、なんとも言えない哀愁を感じる。
向かいの市営住宅
ちなみに向かいの市営住宅もなかなかのもの。
きれいに修復されている方の建物。
一方で修復されず現役の市営住宅もある。
さすがに人が住んでいるので、写真は撮らなかったがなかなかの年代物。
旧鉱山住宅だったらしい。
ちなみに市営住宅にいるおばあさんは旧相川拘置支所に人が来ると出てきて、めっちゃ話しかけてくる。昔の話など色々と聞いた。拘置支所ができる前は鉱山で働く朝鮮の人々の宿舎だったらしい。あいつら、羽振りが良かったから……これ以上話していた内容はやめておこう。
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