東日本大震災で多くの犠牲者が出た陸前高田市。
 その数は石巻市に次いで多く、実に1,757名にもなる。


街が壊滅した陸前高田

 アナウンサーが読み上げるニュースで耳を疑うことというのは、それほどないと思う。自分の記憶の中でそれほどない耳を疑うニュースがどんどん飛び出していたのが、震災直後のニュースだった。特に印象に残っているのは「消防庁の発表によりますと、岩手県陸前高田市はほぼ壊滅状態とのことです」「JR仙石線は2本の電車の行方がわからなくなっています」の二つ。言ってる意味が分からないと最初思ったものだった。
 そんな陸前高田市には震災遺構が数多く残っている。
 陸前高田の震災遺構は奇跡の一本松だけじゃない。


奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル

 震災前、陸前高田の海岸には松林が広がっており、その中に陸前高田ユースホステルがあった。
 松林はすべて津波によって流出したが、そのうち1本だけ流されずに奇跡的に耐えた。
 それが有名な奇跡の一本松である。
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 残念ながら奇跡の一本松は塩害により枯れてしまったが、科学の力を惜しみなく投入しサイボーグ化(というより剥製に近いか)してなんとか今ここに立っている。ちなみに、その作業の際に取り払われた枝から陸前高田市の市長印が作られている。
 震災直後に多額のお金をかけて、いま奇跡の一本松はここに立っている。もちろん、このお金を被災者に回した方がいいのではないかと批判があった。被災者自身もそういう意見が多かったし、全国の人もそう思っていた人が多くいた。自分もそう思っていた。でも、今になって思えば、この奇跡の一本松があることで、救われた気持ちもあったんではないかと思うし、(文字通り)一つの柱になるものがあるというのはいいことなのではないかと思う。
 今後はユースホステルの建物やその他周辺一帯を復興公園として整備される予定。


旧・下宿定住促進住宅

 奇跡の一本松から国道45号線を大船渡方向に向かうと、マンションが残っている。
 旧・下宿定住促進住宅だ。
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 この5階建ての共同住宅を津波が襲った。
 側面をよく見てみると津波到達位置を示す看板が見える。
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 14.5m。この街を襲った津波の高さだ。
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 この写真を見てもらえばわかるとおり、4階までめちゃくちゃになっている。
 では、5階は安全だったかというと、浸水してる。なので、安全だったのは屋上に上がった場合だけだった。


旧・大船渡線踏切

 国道45号線から横の道に入ると、かさ上げ工事が行われている中に踏切が残っていた。
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 この踏切の部分だけ線路が残っている。もしかしたら、もうないかもしれない。
 大船渡線は津波により大きな被害を受け、この区間はバスによる復旧となっている。もう、ここに列車が走ることはない。周囲がかさ上げされてもここだけ残っているのが不思議である。


ガソリンスタンドの看板

 道の駅陸前高田跡地(次回紹介)の向かい側にガソリンスタンドがあった。
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 私が行ったときには元々国道45号線沿いにあったガソリンスタンドは道がつけ変わったことによって、このときは脇道の行き止まりにガソリンスタンドがあった。
 高いところにある看板のてっぺんにまで津波が到達していたことを示している。
 残念ながら今はこの場所にガソリンスタンドはない。かさ上げ工事の支障となるために移転したのだ。
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 看板は新店舗に移設された。岩手県の屋外広告条例により元の高さにすることはできなかったため、低い位置になってしまった。ただ、この大きさと色は例外的に認められたらしい。