津波への備えはあったけれど。


今回は正直地味な遺構

 震災遺構が各地に整備されてきて、正直派手な物と地味な物がある。
 今回紹介するのは正直言って地味である。地味であるけれど、そこには大きな教訓がある。
 場所は久慈と宮古のほぼ中間に位置する岩手県田野畑村。ここには明戸海岸という観光地があった。海岸とそれに付随してキャンプ場や野球場などが設置されており、さけの孵化場もあった。
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 私が行ったときには静かな海だけがあった。津波で建物を、人々を、全てを飲み込んだとは思えない、静かな静かな海だった。


ズタズタに破壊された防潮堤

 明戸海岸にある9mの高さがあった防潮堤は震災による津波によって破壊され、津波はさらに背後の集落に向かって進んでいった。さけの孵化場もキャンプ場も野球場も飲み込んで津波はさらに奥にあった明戸の集落まで襲った。最大遡上高は25.5m。最大遡上高とはその海抜の高さまで津波が来たということであり、津波の高さとは違う。あくまで勢いで陸地を遡っていくため、陸地が高くなれば津波も高くなるということである。この時の津波の高さは推定17.1m。高さ9mの防潮堤をあっさりと越えた。
 ここからわかることは「津波の高さ6mだから海抜6m以上の場所にいれば平気」ということにはならないということだ。最大遡上高は25.5mなのだから、そこまで津波は上がってくる。もちろん頑丈な高さのある建物に避難できるならいいが、そうでなければとにかく海から遠くに逃げることだ。「海から離れること」と「なるべく高い建物や場所に逃げること」が重要である。
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 この地にはその破壊された防潮堤の一部が保存されている。
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 頑丈なコンクリートの防潮堤がズタズタに破壊されているのがわかるだろうか。
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 自然の災害の前で人工物は無力である。
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 元々あった防潮堤も少し残っていた。この断面からどれだけの高さの防潮堤があったのかがわかる。


津波は大きな物も運ぶ

 そして、津波は防潮堤を破壊するだけでなく、大きな物を運んでくる。
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 これは明戸海岸の海中に設置されていた波消しブロックである。
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 牡蠣の殻が付いていることからわかるとおり、これらは海中にあったものである。
 沖合200mと場所から8tもする物が流されてきたのだ。もちろんこれらは単独で置いてあったわけではない。積まれていたのだ。多数積まれていた物が流されて来たのである。


そして新しい防潮堤が作られた

 新しい防潮堤が元々の防潮堤よりも海岸から離れた位置に設置された。
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 新しい防潮堤の高さは12m。震災前の防潮堤の高さは9mだったので、3m高くなっている。
 一方で東日本大震災に津波の高さは推定約17.1mである。もし、東日本大震災と同じレベルの津波が発生したときにはこの防潮堤では役に立たない。しかし、この高さの防潮堤を作ることは現実的ではない。東日本大震災レベルの防潮堤を全て整備することは莫大な費用がかかるからだ。それでも、以前よりも高くすることで、津波を完全に防ぐ確率が高まり、越えた津波の勢いを減らすことができる。そして、その背後にも防潮堤以外の津波を防ぐ二重三重の仕組みが備えられている。それは遡上高を下げる、浸水区域を少なくすることに役立つのだ。