高さ17mもの津波が海辺に建つホテルを襲った。
今回紹介するのは東日本大震災における災害遺構で確実に北の大物というべき物件。
宮古市北部の田老という街にそれは存在する。震災遺構「たろう観光ホテル」だ。
たろう観光ホテルは1986年にオープンした観光旅館。地上6階建てで、それほど高い建物がない田老ではシンボルになるような建物だ。
震災前の姿を残す写真。
このたろう観光ホテルは東日本大震災の震災遺構の保存に、初めて国費が投入された物件である。
震災による津波で1階から2階部分の壁などは全て抜け落ちて、鉄骨だけの状態になっている。
この6階建ての建物を見上げる。
見上げると3階部分の窓がない。
2階の天井ですら高いのだ。高さ17mにもなる津波がここに来たのだ。2階だけでなく、3階も壁の一部が破壊されて、窓ガラスがなくなっている。
東側に回ると3階部分の壁が大きくなくなっている。
おそらくこちらの方向から波が入ってきたのだろう。
ものすごい勢いで流れた津波は全てを押し流した。
エレベーターの籠もかなりの力で押されたせいかひしゃげてしまっている。
1階部分で残っているのは鉄骨と階段、エレベーターの籠と枠だけだ。もちろん全てを押し流した結果、ここには大量の瓦礫が山積みとなった。いまではきれいに撤去されている。
震災によって地殻変動が起きて、2.18m動いたことを示す看板。一等登記基準点がここにあったが、2.18m東南方向に移動し、高さは0.31m下がった。震災により大きく地殻変動が起きた。あまり気づいていないけど、震災とその後の地殻変動で東京でも数cmから数十cm単位で動いている。
残念なことに元の位置と新しい位置の写真を撮り忘れてしまった。
このたろう観光ホテルの特徴として、内部が見学できる。
ただし、予約する必要がある。詳細はホームページで確認して欲しい。
年に何回か(一度だけ?)、無料見学日があるので、それに参加してみた。
内部の見学はこの外にある非常階段を上がる。
もちろん修復されているが、被害を受けた階段を上がる。
客室の畳は剥がされていたが、テレビや冷蔵庫、金庫などはそのまま置かれていた。
こう見ると何も影響が無かったように見える。
それは高いところだったからであって、下は地獄である。
エレベーターも至って普通だ。
まぁ、内部見学しても被害に遭ってない部分を見ても仕方がないっちゃー仕方がないのだけど、階段を上がっていくときにこの高さまで津波が来たと思うと、恐ろしさをイヤというぐらい実感できる。
内部では震災当時の津波が来ているところの映像が流されており、その場で津波が来たときと平常時の違いが実感できるようになっている。この映像は撮影禁止なので、ここに来て見るしかない。
三陸地方は、地震が来れば津波に何度も襲われてきた。津波に対する防災意識は高い方だったと言える。このような張り紙もなされていた。小さい頃からそういった教育を受けてきたはずなのだけど、あれだけ多くの犠牲者がでてしまった。津波に対する防災意識はいくらあっても足りない。
近くの港には漁協の製氷貯氷施設がある。
ここには明治、昭和、平成の各津波の高さが書かれている。
昭和三陸津波が10m、明治三陸津波が15m、平成の東日本大震災津波が17.3m。
これだけの高さで津波はやってくる。勢いをつけてやってくる。しかもそれは波が高いのとは確実に違う。海面が上昇して押し寄せるのだ。その津波の前で人間は無力である。とにかく、逃げるしかない。一刻も早く、高いところへ。心配になって戻ってはいけない。きっと逃げているはずだ。そう信じて、逃げるしかない。
震災遺構「たろう観光ホテル」
今回紹介するのは東日本大震災における災害遺構で確実に北の大物というべき物件。
宮古市北部の田老という街にそれは存在する。震災遺構「たろう観光ホテル」だ。
たろう観光ホテルは1986年にオープンした観光旅館。地上6階建てで、それほど高い建物がない田老ではシンボルになるような建物だ。
震災前の姿を残す写真。
このたろう観光ホテルは東日本大震災の震災遺構の保存に、初めて国費が投入された物件である。
震災による津波で1階から2階部分の壁などは全て抜け落ちて、鉄骨だけの状態になっている。
津波は全てを押し流す
この6階建ての建物を見上げる。
見上げると3階部分の窓がない。
2階の天井ですら高いのだ。高さ17mにもなる津波がここに来たのだ。2階だけでなく、3階も壁の一部が破壊されて、窓ガラスがなくなっている。
東側に回ると3階部分の壁が大きくなくなっている。
おそらくこちらの方向から波が入ってきたのだろう。
ものすごい勢いで流れた津波は全てを押し流した。
エレベーターの籠もかなりの力で押されたせいかひしゃげてしまっている。
1階部分で残っているのは鉄骨と階段、エレベーターの籠と枠だけだ。もちろん全てを押し流した結果、ここには大量の瓦礫が山積みとなった。いまではきれいに撤去されている。
震災によって地殻変動が起きて、2.18m動いたことを示す看板。一等登記基準点がここにあったが、2.18m東南方向に移動し、高さは0.31m下がった。震災により大きく地殻変動が起きた。あまり気づいていないけど、震災とその後の地殻変動で東京でも数cmから数十cm単位で動いている。
残念なことに元の位置と新しい位置の写真を撮り忘れてしまった。
内部見学ができる
このたろう観光ホテルの特徴として、内部が見学できる。
ただし、予約する必要がある。詳細はホームページで確認して欲しい。
年に何回か(一度だけ?)、無料見学日があるので、それに参加してみた。
内部の見学はこの外にある非常階段を上がる。
もちろん修復されているが、被害を受けた階段を上がる。
客室の畳は剥がされていたが、テレビや冷蔵庫、金庫などはそのまま置かれていた。
こう見ると何も影響が無かったように見える。
それは高いところだったからであって、下は地獄である。
エレベーターも至って普通だ。
まぁ、内部見学しても被害に遭ってない部分を見ても仕方がないっちゃー仕方がないのだけど、階段を上がっていくときにこの高さまで津波が来たと思うと、恐ろしさをイヤというぐらい実感できる。
内部では震災当時の津波が来ているところの映像が流されており、その場で津波が来たときと平常時の違いが実感できるようになっている。この映像は撮影禁止なので、ここに来て見るしかない。
三陸地方は、地震が来れば津波に何度も襲われてきた。津波に対する防災意識は高い方だったと言える。このような張り紙もなされていた。小さい頃からそういった教育を受けてきたはずなのだけど、あれだけ多くの犠牲者がでてしまった。津波に対する防災意識はいくらあっても足りない。
近くにあるJFたろう製氷貯氷施設
近くの港には漁協の製氷貯氷施設がある。
ここには明治、昭和、平成の各津波の高さが書かれている。
昭和三陸津波が10m、明治三陸津波が15m、平成の東日本大震災津波が17.3m。
これだけの高さで津波はやってくる。勢いをつけてやってくる。しかもそれは波が高いのとは確実に違う。海面が上昇して押し寄せるのだ。その津波の前で人間は無力である。とにかく、逃げるしかない。一刻も早く、高いところへ。心配になって戻ってはいけない。きっと逃げているはずだ。そう信じて、逃げるしかない。