FLY! FLY HIGH!!










飛行機と食事とホテルとたまに観光地を淡々とアップするブログにおこしいただきありがとうございます。
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やってきたのは、珍しい温泉。


原油が混じる豊富温泉

 北へ、北へ。
 延々と変わらない景色が続いた後、海から離れて幌延町内へ。
 幌延深地層研究センター前で車両は直通だけれど、路線は区切られるのでいったん精算。といっても、私の場合はフリーきっぷを見せるだけ。
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 そして着いたのは豊富温泉。
 日本最北の温泉郷(日本最北の温泉ではない)で、原油とともに湧出する温泉。
 アトピーに効くらしく、それで湯治している人たちが湯治用温泉の方にたくさんいる。
 入ってみると、これは他にはあまりない温泉だね!まず、石油くさい。すっごい臭い。灯油こぼしちゃった時みたいな。
 ただ、とっても柔らかい温泉で、長い時間入っていられるね。油臭さはそのうち慣れる。これは旅館に泊まってゆっくり入ってみたいなって思った。


ふれあいセンターの食堂「味彩」

 さて、夕食を食べよう!
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 食事は温泉併設の食堂で。
 日帰り温泉併設の食堂なんて……と言うことなかれ。ここすごいんです。
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 メニューはこちら。
 一般的なそばだのうどんだのカレーだのの上にいらっしゃるジンギスカンの文字。
 そう、ここはジンギスカンが有名なのです。
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 頼むとカウンターでジンギスカンセットをもらい、設置。
 鍋は今まで見たことないような形だった。周りには水を入れて、野菜を煮込むらしい。
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 今回頼んだのはえぞ鹿ジンギスカン。
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 タレももらって、焼くよー!
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 これがねぇ。うまいんですわ。
 えぞ鹿は丁寧な仕事がされているのか臭くなくておいしい。
 そして、油が落ちたタレで野菜を食べるとこれまたおいしい。
 結構あっさりしているので、パクパク食べられちゃう。これはうまいぞー!
 ラムの方もかなりうまいらしいので、今度行ったらラムも食べよう。
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 持ち帰りも売ってるよー。
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 食後は売店で日本最北の飲料メーカーである天塩町にあるアサヒ飲料のマスカットサイダーをきゅーっとやって整いました!


再びバスに乗り鉄道に乗り換え北へ

 さてさて、おなかいっぱいになって、バスの時間も来たので出発。
 実は豊富駅では3分乗り換えの予定で、乗継保証なし。次の列車は4時間後だけど、遅れてこないべーなんて余裕ぶっこいてたら、遅れてきた。
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 乗ったら乗客0。あーこのままだと列車に間に合わないなーなんて思ってたら、きっちり遅れを取り戻した。アイスバーンの中運ちゃんの超絶ドライビングテクを見た感じ。
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 さ、豊富駅から列車に乗って。
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 キハ54だね。国鉄末期にJR移管に向けた準備として製造された車両。
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 国鉄だった時代はほんのわずかなのに、今でも扇風機に輝くJNRの文字。
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 さぁ、北の果て、稚内に着いたよー。
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 ひたすら北上。
 ただただ北上。


今回の乗車券

 さて、今回はあらかじめ事前に乗車券を仕込んでおいた。
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 沿岸バスのフリーきっぷである萌えっ子フリーきっぷ。
 これを買うと留萌から豊富まで片道乗り通すだけでも、安くなる。
 もともと沿岸バスは2ちゃんねると親和性が高く、オリジナルツアーを実施したり、フリーきっぷを萌えキャラにしてみたら売れたってことがあったので、こんな感じになっている。車内ではたぶん買えなくて、事前に買わないといけないけれど早朝から乗車などの場合は販売場所が開いていないこともあるので事前に札幌駅や稚内駅で買っておくと安心だ。
 でもさー、札幌駅のジェイ・アールバスの窓口で買ったんだけど、「どっちの娘にしますか?」とか聞かれてちょっと恥ずかしかった。


留萌中心部からスタート

 さて、この日は早起きして留萌中心部のホテル最寄りのバス停からスタート。
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 早朝7時前は寒いぜ!
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 本当にバスが来るのかなと心配になったけど、ちゃんと来た。
 この便は違うけど、基本的にはこのタイプのバスが150km近くの距離を走る。
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 2ちゃんねると親和性が高い担当者がいるせいか、USB充電完備。台湾のバスみたいだ。
 いずれにせよ長時間乗ることが多いので、便利よね。全線乗ると3時間41分!


ひたすら走って羽幌へ

 路線自体は留萌から羽幌を経由して豊富まで行く、旧国鉄羽幌線の代替バスで国道232号線日本海オロロンラインをひたすら走って行く。
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 正直言って延々とこの景色が続くので、飽きる。
 絶景だけど、絶景が続くと飽きる。
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 私が乗っているバスは羽幌止まり。
 なので、本社ターミナルで下車した。
 この沿岸バスの本社ターミナルがいい味出してるのよ。


羽幌から島に行く

 ひたすらオロロンラインを北上しているのも飽きるので、変化をつけるために船に乗ろう。
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 というわけでてくてく歩いて港に来た。接続バスが出ているときもあるけれど、本社ターミナルから1.1km15分ぐらいなので、荷物が大きくなければ歩ける。
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 おおー、船や。
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 特に用事もないしとんぼ返りだけど、船で浪費してみる。


天売島へ出航

 さて、乗船。
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 二等船室はこんな感じ。
 船っておおよそどこでもどうしてカーペット敷きなんだろうな。
 座席メインの船でもカーペットコーナーがあったり。
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 船が出るときってなんかいいよね。
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 冬の日本海はそれなりに揺れて、大時化の東京湾フェリーぐらい揺れた。
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 まずは焼尻島。最盛期人口が6,000人いたらしいけど、現在は200人を切っている。
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 続いて天売島。
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 おまわりさんも着船を手伝う。
 船の便数が少ない島に来ると必ずおまわりさんがいるよねー。
 この島の物事はすべて船の時間が基準になって動いている感じがすごく好き。


とんぼ返り

 船が一日一便しかないので、すぐに帰る。5-9月なら複数便出ているから島を巡って日帰りも可能なんだけどね。
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 とりあえずフェリーターミナルで休憩。
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 天売って高校が残ってるんだ!しかも町立高校!!
 人口300人の島に高校があることに驚き。ちなみに定時制で全国から生徒を募集しており、令和4年度の在校生は16人とのこと。ちなみに私が行ったときは令和2年度で生徒が10人だったから増えてる!
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 さぁ、帰りますよー。
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 帰りもおまわりさん手伝ってた。
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 帰りも焼尻に寄る。
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 羽幌に帰ってきましたよっと。


再び北上

 さて、羽幌町内で昼食食べてさらに北上しますよー。
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 バス停が雪で埋まっていてどうやって乗ったらよいか焦る。
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 バス来たー!とりあえず手を上げて合図したら、先の雪がないところで止まってくれた。
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 というわけでさらに北上していくよー!
 (道中に特に書くことがない)
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 つぎになくなっちゃいそうな路線。


函館本線を北上

 さてさて、森林公園の六花亭で腹を満たしたので、さらに先に進むことにしよう。
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 というわけで、岩見沢までやってきた。
 ホームの上に雪が残ったままだけど、こういう除雪の方法の方がいいのだろうか。本州だとあんまり見ないよねぇ。本州はホームが見えるまで徹底的に除雪する感じ。
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 岩見沢って札幌からそこまで離れているわけではないんだけど、雪の量が明らかに違う。札幌と千歳と同じぐらいの距離だけど、札幌と千歳でも結構天気が違う(日本海と太平洋側)ので、岩見沢でも違うのだろう。
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 岩見沢からは特急乗り換え。
 線形はいい区間で一番の幹線なので保線もよくって乗り心地よかった。


もうすぐなくなっちゃいそうな留萌本線

 今度は留萌本線に乗り換え。
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 深川駅もホームの除雪は雪が薄く積もるように。
 まぁ、こっちの方が滑らなくていいのかもしれない。
 さて、今度乗る留萌本線は現在廃線の議論の真っ最中。廃止するか残すか、残すならどう残すか、JRに対する自治体の補助は?など議論されているけれど、まぁ、廃止されるだろうねぇ。小樽~余市ですら廃止が決まったぐらいなので。もしかしたら新幹線並行区間より早く廃止されるかもしれない。
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 留萌本線に乗り換えたら雪が多くなってきたよ!
 いいねぇ。こういうの大好きだよ。
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 途中駅で列車交換。
 1両とか2両しか走らない路線だけど、過去の経緯から有効長は長め。昔は長い編成の列車が走っていたのだろう。
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 というわけで、留萌に到着!
 ちなみにこの留萌は留萌本線の廃線賛成派。そりゃそうだよね、札幌に出ようとすればJR使うよりもバスの方が距離は短くて合理的だもんね。
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 やっぱり六花亭。


小樽から移動

 さて、特に小樽でしたいこともないので移動。
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 お、帰りも721系。
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 お客さんもいないから写真撮っちゃう。
 今、コロナでデッキのドアが開けっぱなしだから寒い。
 (デッキがない電車は半自動でドアが閉められるので問題ない)
 札幌駅で用事を済ませてさらに普通電車に乗り換え。


六花亭に行きたくて小駅で下車

 六花亭に行きたいんだけど、札幌本店はいつも混んでるし、(なんか高い気がするし、)別にお店に行きたい!ってことで、森林公園店へ。基本的に六花亭は徒歩で来ることを想定していない場所に店を出しているので、比較的駅が近い店舗でも歩く。ましてJRの駅に近いところで喫茶室があるところとなると選択肢はあんまりない。
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 というわけで森林公園駅で下車。
 すげー、駅前にタワマンがある。
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 とはいえ、六花亭は国道沿いにあって、遊歩道みたいなところをずっと歩く。
 雪がつもっていて歩きづらい。
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 やったー着いたー!


というわけで六花亭

 六花亭の喫茶室に突撃。
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 さて、何にしようかな。
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 とりあえずコーヒーいただく。
 昔は無料だったのになー。
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 そしてプディングケーキ。
 もうね、六花亭の喫茶室でこれが一番好き。
 (ホットケーキの味が落ちたから)
 大好きなのよ。贅沢でどっしりしたプディングケーキと軽めのクリームがベストマッチ!
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 そして、ケーキのプレミアム25。
 2.5時間かけて焼き上げるからプレミアム25。
 季節ごとに内容が変わるけど、今回はチョコレートケーキ。しかもヨーグルトクリームのチョコレートケーキ。このシリーズはおいしいんだよねー。季節ごとに食べたい味。
 (このクリームが小林製薬的鼻水だばーみたいに見えちゃうのは秘密だよ!)
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 特大唐揚げを食べちゃう。

特に用はないけど小樽に来た

 なんか、海が見たかった。
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 まぁ、海はこの後もうんざりするぐらい見るんだけどさ。
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 というわけで小樽!
 721系っていいよね。大好き。
 もうぼろいけど。
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 さぁ、なにすっかなー。

北海道なのに北陸銀行

 街を歩いてたら北陸銀行があった。
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 え!北海道なのに北陸銀行って思ってたら、そこそこ店舗があるみたい。

 結構歴史ある話なのね。
 北海道拓殖銀行よりも前に小樽に支店を出していたらしいので、相当な歴史。
 現在では小樽だけに限らず札幌、旭川、釧路、帯広、苫小牧、函館にも出店しているので、意外と大きな店舗網になっているね。


というわけでお昼ごはん

 お昼ご飯は若鶏時代なると本店へ。
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 やってきました本店。
 道内には「なると屋」というのが30店舗ぐらい展開しているんだけど、そちらはのれん分けした店でその元となった店舗がこちらの「若鶏時代なると本店」ということになる。
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 というわけで、ここは若鶏の半身揚げが有名なのだけど、私は骨付きがあまり好きじゃないのでザンギ定食にした。
 もうね。くそデカいし!熱いし!量が多いし!
 普通の唐揚げの3倍以上の大きさのザンギが5個もついてきた。もうおなかいっぱい!
 おいしかったよ!
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 鵜住居であの時おきた「釜石の出来事(釜石の悲劇)」と「釜石の出来事(釜石の奇跡)」。


今回の舞台

 岩手県南東部に位置する釜石市は、東北有数の重工業都市であった。この地は近代製鉄発祥の地であり、日本で3番目に鉄道が敷設されるなど、かつては製鉄の街として栄え、最盛期には人口9万人を超えた。その後の製鉄需要の低迷による製鉄所の縮小や、東日本大震災による津波被害により人口は流出し、現在では3万人強となっている。ラグビー実業団チームである新日鐵釜石は日本選手権7連覇を達成し、そこで釜石の名を記憶している人も多いだろう。
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 釜石駅から三陸鉄道リアス線に2駅乗ると鵜住居(うのすまい)駅に着く。ここは震災による津波によって大きな被害を受け、街そのものが壊滅的な被害を受けたところである。この三陸鉄道も元々はJR山田線だったが、津波の被害からの復旧の過程で移管されたものだ。
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 2019年に開催されたラグビーワールドカップでは、ラグビーの街であることから東北地方唯一の試合会場として「釜石鵜住居復興スタジアム」で試合が行われた。2試合行われる予定であったが、残念ながら1試合は台風による水害で中止となってしまった。
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 今回取り上げる震災遺構(というより震災伝承施設)はこの鵜住居にあり、そして震災で発生した2つの対照的な話の舞台である。


いのちをつなぐ未来館

 釜石市内には震災遺構と呼ばれるような津波による被害を受けた施設は残っていない。
 釜石市は保存という議論をしないままに、とにかく残っていた建物を全て取り壊してしまった。あるのは訪れるのが不便な場所にあって、被災当時のまま放置されている建物だけである。
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 それではマズいので、震災の出来事や教訓とすべきことを伝えるとともに災害から未来の命を守るための防災学習を推進する施設として「いのちをつなぐ未来館」を鵜住居駅前に設置した。
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 館内は大きく3つのパートに分かれている。
 まず一つ目は釜石市において震災が発生してから1週間の動きをまとめた展示である。混乱状況の中どのような対応をしていたのか、特に釜石市役所は地下を除き市役所自体の浸水は免れたものの周り全てが浸水し、瓦礫で埋まった中でどのように活動していったのかまとめられている。


釜石の出来事(釜石の悲劇)

 残りの2つのパートは震災で発生した2つの対照的な出来事のことである。
 そのうちのひとつがこれから述べる「釜石市鵜住居地区防災センター」で発生した出来事だ。
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 この施設には釜石市鵜住居地区生活応援センター(市役所出張所・公民館)、釜石消防署鵜住居出張所、釜石市消防団第6分団第1部消防屯所が入っており、主に行政窓口、生涯学習の場、消防関係施設の役割を担う施設であった。
 「防災」と入っているがそれは災害時には避難民の収容施設として使われることを意図したものである。しかし実態としては建設財源確保のため、(起債することが認められやすく充当率を高めやすい)防災施設名目での起債をする必要があった、あるいは国の補助金を獲得するため、「防災」という言葉を入れざる得なかったのではないかと思われる。なお、国の補助金は実際には獲得できなかった。こういった状況であったため、建物を3階建て以上にすることや屋上への避難階段など津波避難対策設備は経費削減の名の下設置されなかった。
 このような経緯の上で、震災の1年前となる2010年2月に「釜石市鵜住居地区防災センター」は開所した。この施設は、県が作成した津波浸水予測図では浸水区域には入っていないものの過去の明治三陸地震津波の浸水域にギリギリ含まれるため、津波被害の一次避難場所ではないが洪水・土砂災害の一次避難場所であり、津波被害を含む中長期的な拠点避難場所という位置づけとなった。
 この防災センターのわかりづらい機能については住民説明会においても説明がなされていたが、住民が理解したかどうかは別問題である。実際に地域防災計画においても「津波避難場所」「一次避難場所」「拠点避難所」「避難者収容施設」などの類似した言葉が並んでおり、住民がそれぞれの違いを認識するのは困難であったと思われる。
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 この施設の開所後の平成22年2月28日、チリ地震による津波警報(大津波)が岩手県沿岸に発令された。その際に住民がこの施設に避難してきている。また、その後地域の避難訓練においても避難場所としてこの場所が設定された。避難訓練の避難場所として、この場所が使われた理由は、自主防災組織である町内会が高齢者や体が不自由な人への配慮、津波避難場所は屋外であるため寒さへの苦情を減らし、防災訓練への参加率向上を狙ったものであった。その際に、本来津波の場合の避難場所はここではないことについて個人的に話す者はいても、市としては積極的な告知を行っていなかった。東日本大震災が発生する8日前の平成23年3月3日においても津波避難訓練が行われ、101名が参加しこの場所に集まっている。住民の多くはこの場所を避難先だと認識していた可能性が高い。
 そして、平成23年3月11日、東日本大震災が発生する。
 鵜住居の街は津波にのみ込まれた。
 「鵜住居地区防災センター」に避難した人々がいて、その多くの人々が2階屋上近くまで達した津波にのみ込まれた。避難した人々の数は、正確にはわからないが「確実にこの場所に避難していない人を除いた人数」で推計したところ241名としている。このうち助かった人数は34名。
 (実際にはもう少し少ないと思われるが)200名をこえる多くの人がこの場所で亡くなった。財政難においても老朽化した施設を新しくするためにひねり出した言葉は、当初の思いとは関係なく転がり出して、最終的には多くの犠牲者をだすことになった。

 その後、一部の遺族と「市はセンターが避難場所ではないと周知する義務を怠った」として、損害賠償を求める裁判が行われた。結果、盛岡地裁では遺族敗訴、仙台高裁では和解となり市が責任を認め、和解金約49万円を支払うこととなった。この和解金は裁判にかかった印紙代相当額となっている。


釜石の出来事(釜石の奇跡)

 一方で全く逆の出来事もあった。この施設ではそれも紹介されている。
 釜石の子どもたちは地震発生後、自身の判断で避難することにより、その多くの子どもが助かることができた。その要因は釜石市の小学校・中学校において、片田敏孝群馬大学教授(当時・現東京大学特任教授)の監修のもと、毎年5~10時間程度の防災教育や避難訓練に取り組んできたことである。
 海に近い市内中心部の釜石小学校では震災の日は短縮授業で児童は下校していた。下校してそれぞれが自宅で街でおのおのが過ごしていたが、震災直後に全員が「それぞれ」「各自の判断で」高台に避難し、難を逃れることができている。
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 そして、この鵜住居でも同様の話がある。
 ラグビーワールドカップ会場となった釜石市鵜住居復興スタジアムは、津波で被災した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建っている。震災当日、地震が発生直後に中学生は校庭に集まっていたが先生の「なにやってるんだ!早く逃げろ」の指示に従って高台に向かって逃げることとした。校庭で練習していた中学校のサッカー部員は隣の小学校に避難を促し、訓練で決まっていた800mほど離れた避難場所まで走った。その過程で近隣の高齢者にも避難を促して、率先避難者として中学生たちは避難した。その後中学生たちは小学生や保育園児、高齢者など手を取り合って、迫る津波を見てさらに高台へ高台へ逃げることとなる。最終的には峠のトンネル間近まで逃げ、その後開通したばかりの三陸自動車道を使用して避難所まで移動することができた。
 これらの中学生たちが自主的に率先して避難することによって、多くの命が助かった出来事は「釜石の奇跡」として日本全国に広まった。

 震災から2年後、釜石市役所では「釜石の奇跡」という言葉は使用せず、これらの出来事は「釜石の出来事」を使用するという決定をする。この決定を不思議に思う人がいるかもしれない。しかし、当事者はこの出来事を奇跡と呼ばれることが不思議であったのだ。
 「釜石の奇跡」ではなく「釜石の出来事」とする理由は大きく分けて三つある。
 その一つは、「釜石の出来事」は日頃から防災教育や避難訓練を行ってきたことによって達成した「奇跡でも何でもない当然の成果」であるからだ。これらの出来事は「当たり前」なのである。そして、それは釜石だけではなく岩手県内において学校管理下における児童生徒に1人も犠牲者が出ていないことからも、そもそも奇跡でもなければ釜石だけの出来事でもないということである。このような出来事は大なり小なりそれぞれの学校でもあった。
 もう一つは、学校管理下に置いて1人も犠牲者が出ていないとはいえ学校管理外の場で児童生徒が5人亡くなっているということ、教職員が3人亡くなっているということ、そしてその1人は「釜石の出来事」の舞台となる釜石東中学校の事務職員であったからである。そのほかにも多くの方がこの街で亡くなっているところで「奇跡」と呼ばれるのは、はばかられるということもあるだろう。
 そして、最後に、本人たちがそういわれることを希望していないことである。この出来事は本人たちだけで成し遂げられたものではなく、日頃の教育・学校の先生・消防団の人々・地域の住民など多くの人々の助けがあったおかげであることを本人たちは知っている。だからこそ、本人たちは奇跡の当事者として祭り上げられることに違和感を感じたのだ。

 この「いのちをつなぐ未来館」では、全く対照的な出来事がこの地で起きたことを私たちに教えてくれた。この施設にはこの「釜石の出来事」を経験した語り部がいる。語り部については有料だがWEB予約して案内してもらうこともできるので、訪れた際にはぜひ直接話を聞いてほしい。


釜石祈りのパーク

 鵜住居駅前には他にも大きな公共施設がいくつかある。
 そのうちの一つが釜石祈りのパークである。
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 ここは釜石市の東日本大震災犠牲者慰霊追悼施設となっている。
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 造成された小高い丘に囲まれるように、慰霊碑がある。見たくない人が見なくて済むように、目隠しのために丘が作られている。この慰霊碑には震災で亡くなられた方1,064名の内、了承した999名の芳名を記した芳名板が設置されている。この芳名板は当初五十音順で並べられていた。しかし、亡くなった家族の名前をバラバラに配置せず、隣り合わせに並べて欲しいという要望が多く、設置から1年後に芳名板を並び替えた。
 写真右上に見える黒い碑は津波の高さを示している。この地での津波の高さは11m。この高さの海水の塊が鵜住居の街を襲った。
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 「釜石市防災市民憲章 命を守る」の碑もある。
 釜石市防災市民憲章同憲章制定市民会議により原案が作られ、平成31年3月11日に制定された防災市民憲章は震災に対する重要な教訓が含まれている。

釜石市防災市民憲章 命を守る

釜石市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波により、千人を超える尊い命を喪った。その悲しみが、癒えることは決してない。
しかし、古来より、先人たちが、度重なる災害や戦災をたくましく乗り越えてきたように、今、私たちは、ふるさと復興への途を歩み続けている。
自然は恵みをもたらし、ときには奪う。
海、山川と共に生き、その豊かさを享受してきたこの地で安全に暮らし続けていくためには、また起こるであろうあらゆる災害に対し、多くの教訓を生かしていかなければならない。
未来の命を守るために、私たちは、後世に継承する市民総意の誓いをここに掲げる。

備える
災害は ときと場所を選ばない
避難訓練が 命を守る

逃げる
何度でも ひとりでも 安全な場所に いちはやく
その勇気は ほかの命も救う

戻らない
一度逃げたら 戻らない 戻らせない
その決断が 命をつなぐ

語り継ぐ
子どもたちに 自然と共に在るすべての人に
災害から学んだ生き抜く知恵を 語り継ぐ 

私たちは生きる。
かけがえのないふるさと釜石に、共に生きる。

 事前に「備える」、地震が起きたら「逃げる」「戻らない」、そして震災の出来事を「語り継ぐ」ことが1つでも多くの命を救うことになる。この言葉は釜石市民だけでなくて、全ての日本の海沿いに住む人々が心に刻む必要があるものである。
 この教訓は震災時この地で起きた二つの「釜石の出来事」が大きく影響している。そして、この釜石祈りのパークは「釜石の悲劇」の場所となった鵜住居地区防災センターの跡地に建てられている。この場所だからこそ慰霊碑を建てることになったのだ。


どこで生死を分けたのか実感させられる施設

 行政が作った震災伝承施設は、どうしても総論を述べることになりがちで、個々の事例を掘り下げた展示がなされることはあまりない。それは地域に一つという施設で、そういった生還した話や逆に亡くなられた話というのはたくさんありすぎて取り上げにくいのだろうと思う。
 そういう意味では、「釜石の出来事(釜石の奇跡)」として取り上げられたこと、「釜石の悲劇」として後々裁判にまで発展したこと、注目を集めた対照的な出来事だったからこそ、それにスポットをあてた施設を作ることができたのであろうと思われる。その結果、どこで生死を分けたのか、展示だけではあるけれどイヤというほど実感させてくれる施設であった。
 これら出来事を、我々は忘れてはならない。これらの出来事から得られる教訓を、我々は忘れてはならない。自らが率先避難者として避難すること、それを周囲に促すこと、そうすることによって救われる命は必ずある。何回避難しても津波が来なかったとしても、何回も何回も率先して避難して臆病と言われても、それでも避難するべきなのだ。
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 1年ぶりのエアドゥで北海道。
 北海道の翼(失笑)で北へ行くよ。


欠航だらけの羽田

 さて、羽田のT2。
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 コロナによる欠航便が多数。
 1年前にエアドゥ乗ったときも厳しいなって思ったけど、1年たってあんまり良くはならなかった。
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 とはいっても、プレミアムチェックインは結構混んでるのね。
 まぁ、連休なのでそこそこ人がいた羽田だね。便少ないけど。


朝日を浴びて搭乗

 さて、今回はエアドゥ発売のチケットなのでラウンジは使えない。
 特にすることもないしギリギリなのでそのまま搭乗。
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 搭乗ゲートは最果ての最果て55番。
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 本日の機材、おはよーございます。
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 さ、太陽が昇ってまいりました。
 朝一番は千歳に向かうぜ!


エアドゥの生え抜き機材JA01HD

 今回の機材はANA転籍機じゃなくてエアドゥの生え抜き機材JA01HD。
 このあとちょっとしたらロズウェルにドナドナされていったよ。
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 なので座席が古い。
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 古い。
 でも、座り心地は悪くない。
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 ブラウン管もいつまであるんだろうか。
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 んじゃちょっくら行ってきますかね。


機内サービス

 さて、機内誌。まだあった。
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 みんな大好きラーメン。
 特に読みどころナシ。昔、エアドゥの機内誌のルートマップに滑走路ごとの飛行ルート載ってたよね?
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 ホタテ紙コップで提供されたスープ。エアドゥのスープはおいしいよね。
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 結構日が高くなってきたぜ。まぶしい。


着陸~

 さぁて、北国へやってきたよ。
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 いいねぇ。雪だ。
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 この日は天気が良くて無事に着陸。


快速エアポートで西へ

 さて、新千歳空港からは快速エアポート。
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 指定席取ってみたらガラガラだった。
 この指定席3月から840円になるんだよねぇ。結構いい値段になるよね。グリーン車だって言われたら納得すると思うけど、普通車指定席と言われるとなんか違う感じがするモヤモヤ感。
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 飛行機降りてからは一気に天気が悪くなってきた。
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 さぁ、今回はこのきっぷで乗り倒すぞー!!
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 津波への備えはあったけれど。


今回は正直地味な遺構

 震災遺構が各地に整備されてきて、正直派手な物と地味な物がある。
 今回紹介するのは正直言って地味である。地味であるけれど、そこには大きな教訓がある。
 場所は久慈と宮古のほぼ中間に位置する岩手県田野畑村。ここには明戸海岸という観光地があった。海岸とそれに付随してキャンプ場や野球場などが設置されており、さけの孵化場もあった。
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 私が行ったときには静かな海だけがあった。津波で建物を、人々を、全てを飲み込んだとは思えない、静かな静かな海だった。


ズタズタに破壊された防潮堤

 明戸海岸にある9mの高さがあった防潮堤は震災による津波によって破壊され、津波はさらに背後の集落に向かって進んでいった。さけの孵化場もキャンプ場も野球場も飲み込んで津波はさらに奥にあった明戸の集落まで襲った。最大遡上高は25.5m。最大遡上高とはその海抜の高さまで津波が来たということであり、津波の高さとは違う。あくまで勢いで陸地を遡っていくため、陸地が高くなれば津波も高くなるということである。この時の津波の高さは推定17.1m。高さ9mの防潮堤をあっさりと越えた。
 ここからわかることは「津波の高さ6mだから海抜6m以上の場所にいれば平気」ということにはならないということだ。最大遡上高は25.5mなのだから、そこまで津波は上がってくる。もちろん頑丈な高さのある建物に避難できるならいいが、そうでなければとにかく海から遠くに逃げることだ。「海から離れること」と「なるべく高い建物や場所に逃げること」が重要である。
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 この地にはその破壊された防潮堤の一部が保存されている。
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 頑丈なコンクリートの防潮堤がズタズタに破壊されているのがわかるだろうか。
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 自然の災害の前で人工物は無力である。
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 元々あった防潮堤も少し残っていた。この断面からどれだけの高さの防潮堤があったのかがわかる。


津波は大きな物も運ぶ

 そして、津波は防潮堤を破壊するだけでなく、大きな物を運んでくる。
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 これは明戸海岸の海中に設置されていた波消しブロックである。
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 牡蠣の殻が付いていることからわかるとおり、これらは海中にあったものである。
 沖合200mと場所から8tもする物が流されてきたのだ。もちろんこれらは単独で置いてあったわけではない。積まれていたのだ。多数積まれていた物が流されて来たのである。


そして新しい防潮堤が作られた

 新しい防潮堤が元々の防潮堤よりも海岸から離れた位置に設置された。
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 新しい防潮堤の高さは12m。震災前の防潮堤の高さは9mだったので、3m高くなっている。
 一方で東日本大震災に津波の高さは推定約17.1mである。もし、東日本大震災と同じレベルの津波が発生したときにはこの防潮堤では役に立たない。しかし、この高さの防潮堤を作ることは現実的ではない。東日本大震災レベルの防潮堤を全て整備することは莫大な費用がかかるからだ。それでも、以前よりも高くすることで、津波を完全に防ぐ確率が高まり、越えた津波の勢いを減らすことができる。そして、その背後にも防潮堤以外の津波を防ぐ二重三重の仕組みが備えられている。それは遡上高を下げる、浸水区域を少なくすることに役立つのだ。
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 帰りもJ-AIRでクラスJ!


雪がどんどん積もる

 さて、そろそろ帰宅。
 雪は一日降り続いている。久々の雪道運転だったので、神経が疲れた。
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 というわけで戻ってきたよ、山形空港に。
 レンタカー返して、とりあえず探険!
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 展望デッキに行こうとしたが、非常に勇気が必要な通路だった。
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 展望デッキも通路分だけ除雪されているけど、最低限のみ。
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 空港のネーミングはちゃんとしたものにしないかい?だんだんヤバいのが増えてきた気がする。
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 航空事故が発生したときのためだけど、名目はお天気カメラも各社設置。
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 除雪車はいつでも除雪できるように待機中だった。
 正直、ヤバいかなーって思って山形新幹線の最終の時間を調べる。
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 こちらは一本前の伊丹行き。


寒いので館内探険

 とりあえず館内探険へ。
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 どこもコロナで閉店。
 さすがに、ただでさえ乗客が少ないのに辛い。
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 結局店はやってなかったんだったかな。


再び展望デッキ

 さっきの伊丹便がようやく出発。
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 雪は積もってるけど、伊丹便が出て一安心。羽田便も飛ぶかな。
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 いってらっしゃーい。
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 そしてその直後に今度は羽田便になる機材が到着。
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 よかったー。これでよほどの事態じゃない限り飛ぶだろう。


搭乗

 さて、保安検査受けますかね。
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 いよいよ搭乗。
 なんか字が小さくて見にくい。
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 座席はもちろんクラスJアップグレード。
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 融雪剤をめっちゃかけられた。もうびちょびちょ(あたりまえ)。


着陸

 なんか飛んでるときの写真がなくて、たぶん何も無かったんだと思う。
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 最初は24番ゲートに到着って言っていたのに結局沖止め。
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 バスはきっちり待機中。
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 まぁ、沖止めだとこんな写真撮れるし、歩く距離も短いからそれはそれでいっか。
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 こういうのをね、絶品というんだよ。


ジンギスカンを食べに行く

 さて、ランチを食べよう。
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 わざわざマニアックな道を選んで走っていたのでよく通行止めにあう。
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 この木の間を通り抜けて着いたところには……
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 ログハウスがあった。
 ここが今日の目的地、「ひつじや」さん。


絶品ジンギスカン屋「ひつじや」

 今日来た「ひつじや」さんは、自家飼育したサフォーク種ヒツジを使って、ジンギスカンを提供してくれるお店。
 一週間で一頭のヒツジを使い切るように調整しながら提供しているので、客数にも限りがあり、予約必須。この日は雪がかなり降っていたのでそれでたまたまキャンセルが出て滑り込むことができた。
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 まぁ、メニュー見ると「おぉう……いい値段」と思ってしまったりするが、勇気を振り絞って注文しよう。
 頼んだのは「ひつじやスペシャルジンギスカン1人前」2,750円。
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 もさっと野菜がきた。
 あんまり見たことない野菜もいる。
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 あとはお漬物。いぶりがっこがうまい。
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 そしてお肉登場!
 いや、あの、見たことないですよって感じの断面のヤツがいる!


こういうのを絶品っていうんだよ!

 さて、焼きます。
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 ここのジンギスカンは野菜を全面に載っけて、その上で蒸し焼きにするスタイル。
 肉が新鮮なので、レア~ミディアムぐらいで訳のはOK。
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 たべちゃうぞー。
 これね、マジでうまいのよ。マジ絶品。
 絶品の乱発が昨今話題だけど、こういう店にこそ絶品って使うんだよ!
 肉質がものすごい良いし、野菜もうまいの。
 正直これは4人ぐらいで行きたいし、コースにすれば良かったと後悔。
 ここは最高のジンギスカンだと思うので、もうちょっと人を連れてきて色々食べてみたい。できれば一週間前に予約必須なフルコースを食べてみたいよねぇ。
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