北海道には火山とともに暮らす人々がいる。
 おおよそ30年ごとぐらいに噴火する火山の麓で、火山の恩恵も迷惑も受けて暮らしている。


1977年有珠山噴火

 1977年8月7日。昭和新山ができた前回の噴火が終結してから32年。有珠山が噴火した。
 前兆地震が始まってからわずか32時間での噴火だった。この後一週間で噴火が16回。噴煙は高さ12,000mまで上がり、119の市町村で火山灰が降り注いでいだ。
 雨が混じる中での噴火により、火山灰が水分を含みセメント状になったため、樹木の倒壊やラハール(泥流)が頻発した。このラハールにより3名の死者・行方不明者が出ている。


地殻変動によって病院は倒壊した

 この1977年の噴火の遺構を残すものとして病院の跡地が保存されている。
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 この旧・三恵病院跡地は1977年有珠山火山遺構公園として整備されている。1977年と入っているのは2000年にも噴火が起きているからである。もっと言えば1943年にも1910年にも噴火は起きている。
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 見ていると建物が引きちぎられるような形で倒壊しているのがわかる。
 この病院はちょうど断層の上に建っており、しかも単純な一本の断層ではなく多数の小断層があったため、地面が複雑な動きをして建物が倒壊した。噴火開始後、数日でひび割れが始まり、2-3ヶ月後の徐々に倒壊していったという。


入院患者の避難

 この病院には230名の入院患者がいた。
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 前兆地震の際にいち早く緊急避難を想定し、当時の院長と町長が話し合った結果、湖対岸の廃校となった小学校に避難することとした。前兆地震から噴火まで32時間。つまり前兆地震が起きてから噴火を予測し、すぐに話し合いが行われて、結論を出したことになる。
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 噴火が起きたとき、入院患者は病院スタッフの誘導で歩き出した。行先は12km先の旧仲洞爺小学校。もちろん、それと並行して役場と病院の車による輸送も開始された。歩く人々を収容し、小学校まで運んだ。もし、病院で車を待つことになっていたら、不安と恐怖の中待つことになったことを考えれば、少しでも避難することで混乱なく避難することができたと言える。


圧倒的な力の前では逃げるしかできない

 もう一度書くけど、1977年噴火の地殻変動で、病院の建物は倒壊した。
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 その様子がこの場所でイヤというほど思い知らされる。火山活動というエネルギーの大きさの前では、どんなに対策をしても完全に防ぐことはできない。いち早く避難することが重要なのだ。


約30年ごとに噴火する有珠山

 ここ100年ぐらいは30年ごとに噴火する有珠山。
 近年では1910年、1943年、1977年、2000年に噴火している。また、それぞれの噴火にも災害遺構がある。それについてはまた後日機会があれば紹介するよ!