北海道には火山とともに暮らす人々がいる。
 おおよそ30年ごとぐらいに噴火する火山の麓で、火山の恩恵も迷惑も受けて暮らしている。


有珠山噴火2000

 以前、1977年有珠山噴火の災害遺構を取り上げたけれど、今回は2000年の有珠山噴火の災害遺構を紹介する。
 2000年3月29日、気象庁から緊急火山情報が出る。これは3月27日からの火山性地震など様々な情報を分析した結果出された。緊急火山情報が噴火前に出されたのはこれが初めて。有珠山は約30年に一度噴火しており、記録が多く残されているという特殊な山だったため、予知することができた。
 一方、火山性地震が増えてきた3月28日には自治体から住民達の自主避難の呼びかけが開始された。その後緊急火山情報が出た後には避難指示などが行われて、3月30日14時40分全ての住民の避難が完了した。避難者は総計15,267人になる。
 このように、自治体と住民達の防災意識が高かったため、人的被害は避けられた。これも約30年ごとに繰り返されてきた噴火で、経験があるものが多数いたことや、必ず来る災害としてハザードマップや避難訓練などの準備が行われてきたことによるだろう。
 そして、2000年3月31日には西山の西山麓でマグマ水蒸気爆発が発生。翌4月1日には洞爺湖温泉街から近い金比羅山でも噴火が始まった。噴煙や噴石と共に大量の火山灰が降り注ぐことになり、JR室蘭本線も運休となる。マグマに熱せられた地下水が大型の水蒸気爆発を起こして、熱泥流が洞爺湖温泉街を襲った。


金比羅火口災害遺構散策路

 洞爺湖温泉街のすぐ近くにある、金比羅火口。
Lake_touya_and_volcano_usu画像出典:Wikimedia Commons 著作権者:メルビル
 手前の水がたまっているところが金比羅山火口で、奥が洞爺湖温泉街。
 そして真ん中あたりのやや右側にある建物があるあたりが、これから紹介する金比羅山火口災害遺構散策路。散策路と言いながら、内容はヘビーだぜ。
 場所は洞爺湖ビジターセンター・火山科学館のそばにある。


やすらぎの家

 散策路に入り、まず見えてくるのは「やすらぎの家」である。
 やすらぎの家とは住民向けの町営温泉浴場。噴火の前年に改装したばかりだったらしい。
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 見事に窓ガラスが割れまくり。
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 熱泥流がこの温泉施設を直撃したため、窓ガラスが割れていることはもちろん、館内が土で埋まっている。
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 コインロッカーの高さから見るに、1mぐらいは埋まっているだろうか。
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 入口も無残な状態。
 泥の後からすると、勢いとしては2mぐらいの高さまでいっていたのかもしれない。
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 おそらくこの散策路自体も埋まった土の上を歩いているので、建物が非常に低く見える。


木の実橋

 金比羅山火口から発生した熱泥流は川にかかる橋を次々と破壊していった。
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 破壊された国道の橋は流されて、この後紹介する団地に激突する。
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 これらの橋が流路を邪魔することによって、熱泥流は方向を変え、洞爺湖温泉小学校を直撃するなど被害が大きくなった原因となった。
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 これだけの橋を持ち上げて流す力がある。しかも、それは大きな力のわずか一部分に過ぎない。


桜ヶ丘団地

 建物が一棟丸々と残されているのが奥にそびえる桜ヶ丘団地だ。
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 5階建ての団地で、玄関が外に面していないのが実に北海道らしい設計。
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 裏から見ると4階建てに見える。
 それは1階が埋まっているから。
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 そして、2階の一番右の部屋の損傷が激しくなっている。
 これはさきほど紹介した木の実橋が激突した跡である。
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 こちらも影響しているっぽい。
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 上を見上げると、物干し竿っぽいのがそのままなのにも驚くが、それよりも木が生えてた。
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 熱泥流により1階部分はほとんど見えない。
 こちら側が熱泥流が襲ってきた方なので、堆積物も多いのだ。
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 再び裏側に回ると堆積物の量の違いを感じる。
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 やはり部屋を通って泥が反対側に吹き出してきているのがわかる。


有珠山噴火の災害遺構は他にもあるよ


 2000年の有珠山噴火の災害遺構は他にもある。
 それについてはまた後日!