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タグ:福島

災害と言うべきなのか、事故と言うべきなのか。


復興の象徴となる常磐線開通はもうすぐ

 富岡町のことについては以前書いた。

 現在も、状況はあまり変わらない。人口は増えず、街に戻る人もそれほど変わらず。ただ、今年の3月にまた一つの大きな出来事がある。常磐線の運転再開だ。これにより、震災によって傷ついた鉄路がすべて、何らかの形で復旧することになる。

 東日本大震災の被災地の中で、福島県沿岸部というのはちょっと毛色が違う。
 それはもちろん、長いこと元の場所で暮らすことが許されない地域であるからだ。それは今も続いていることであり、常磐線が運転再開しても規模が縮小されるとはいえ、そのような地域が今後も少なからず残ることになる。
 意味がないと言う人がいるかもしれない。
 それでも、鉄道が再び走るということは復興への一歩であり、それは復興の一つの大きな大きな象徴である。
 その一方で、これからも東日本大震災でおきた事故からの復興を目指す現場がある。今回紹介するのはそれを伝える施設である。


福島第一原子力発電所を学ぶ場

 福島第一原子力発電所の事故により、使えなくなった原子力発電所の廃炉作業が今も続いている。セキュリティの関係上、また放射線量の関係上、今はまだ気軽に福島第一原子力発電所を見学することはできない。ただ一体どのようなことがあの場所であの時おきて、今、何が行われているのか、あの原子力発電所で発電された電力を使っていた我々は知る必要があるだろう。
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 富岡町の新しいショッピングモール、さくらモールの道路挟んだ向かい側に、やけに西洋的な外観をした建物がある。この建物は元々東京電力エネルギー館という原子力発電所などのPR施設だった。震災後は閉鎖されており、福島第一原子力発電所へ向かう通勤バスの乗り場になっていた。
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 現在もその役割を果たしているが、それだけでなく2018年11月に福島第一原子力発電所事故において、何があったのか詳しい情報提供や廃炉事業の現状を知ることができる施設として、この建物を再利用して東京電力廃炉資料館がオープンした。       
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 入ってすぐに東京電力社長のおことばに出迎えられる。事故を起こしたことを反省している、その教訓を残す、そして現在を伝えるというのがその主旨だ。
 事故というものは事前に安全性を高めても、どうしても起こってしまう。我々はそこから何が原因だったか、どうすれば防げるのかを学ばなければならない。この場合に個人の責任を追及することに意味はない。最も重視するべきことは、もう二度と同じような事故を起こしてはならないということである。


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原子力発電所のあの時、あれから、今、今後。

 まず当日の地震発生直後から原子力発電所事故に至るまでをまとめた映像を見る。
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 そして、さらに細かく一体何が現場でおきていたのか、どのように対応したのか、細かく紹介するコーナーがある。時間毎にどのような状況であったか、どのような対応をしたのか、全ての原子炉の状況がわかるようになっていた。
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 途中には各原子炉を囲う建屋の模型もある。
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 それぞれ全く形が違うのが興味深い。
 事故からえられた教訓や反省も展示していた。
 後半はこれから福島第一原子力発電所はどのように廃炉にしていくのか、今どのような状況なのか紹介するコーナーになっている。
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 福島第一原子力発電所で働く人の数、4,160人。
 平均的な数字ということだが、これから廃炉に向けて段階が進む毎に増えたり減ったりするのだろう。まさに、福島第一原子力発電所の今を示す。その他にもロードマップを示し、今どの段階にあるのか原子炉毎に表示してある。もちろん、これらは段階が進む毎に変わる。今を示すという意味で常に新しい情報を知らせることができるよう工夫されていた。
 あくまで、ここは東京電力の施設である。展示内容が一方的であるとか住民への被害の状況などに関する展示がないことなど、批判する人もいる。ただ、福島第一原子力発電所でおきたことや現在、そして今後のことを説明することが第一であり、限られた展示スペースの中でかなり充実していると思う。映像系の展示が多いこともあって、じっくり見ると2時間程度かかるだろう。それだけ見応えがある。


双葉警察署の被災パトカー

 東京電力廃炉資料館の近くの公園には、津波によって被災したパトカーが展示されていた。
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 クラウンのパトカーだけど、原型を留めていない。
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 このパトカーに乗車して、津波の避難誘導を行っていた警察官2名は沖に流され殉職した。1名は30km離れた沖合で発見され、もう1名は現在も見つかっていない。
 見学した当時は公園に置かれていたが、現在は町が整備する震災と原子力事故のアーカイブ施設で展示するために修復を行っているという。アーカイブ施設は2021年夏頃オープンする予定だ。


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 かつて原子力発電所が稼働していた町には、時が止まった回転寿司屋がある。


福島第二原発がある町

 福島県双葉郡富岡町。
 福島第二原子力発電所がある町。
 そして、福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域の南端の町。
 現在は、東京電力福島復興本社がある。
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 津波でやられた富岡駅も復旧し、新しい駅舎ができた。
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 少しずつ、復興していっていると言えるだろう。
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 放射線量もほぼ正常と言っていいレベル。

 富岡町は避難指示区域になっていたが、2017年4月1日より解除されて、再び人が住めるようになった。
 とはいえ、町の人口(住民票登録数)は2019年8月末時点で12,865人に対し、実際に住んでいるのは1,107人。まだ10%にも満たない人々しか戻ってきていない状況である。復興への道のりはまだまだ長い。


そこには2011年の3月があった

 一時期警戒区域となって立ち入りが制限されていた富岡町。現在は一部区域を除いてそういった制限は解除されている。帰ってきた人々に店がなかったら困るということで、富岡町が設置したさくらモール(スーパー、ドラッグストア、ホームセンターが入居)の向かいには回転寿司屋がある……いや、あった。
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 「回転寿司アトム」と、このご時世で聞くとなかなかシュールな名前になってしまった。おそらく、原子力発電所が近くに立地していることから付けた名前なのだろう。もっとも、それは深く考えて付けられた名前ではないのかもしれない。震災直後の週刊誌にはこの店が原子力ムラの象徴などと書かれた。
 店の駐車場は現在富岡町交流サロンの駐車場になっている。この交流サロンとは帰宅困難区域に一時帰宅する場合や、遠隔地に避難した人々が帰省する際の休憩所として使えるようにしている施設である。
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 駐車場は活用されており、建物に囲いがあるわけではないので、ただの一時閉店しているようにも見える。ただ、窓から中を覗いてみると、店の中は2011年3月11日で止まっていた。
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 テーブルの上の醤油差しもそのままの状態。
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 値札を見ると、当然、消費税は5%だ。
 いくら何でも震災から8年も経てば片付けることはいくらでもできたはずなのに、ほぼそのままの状態で残っているのが生々しい。
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 窓側の(たぶん)水のサーバーに入っている水は緑色に変色し、実はお茶が入っていたんじゃないかと一瞬思った。それだけの長い年月が流れている。

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いつまであるかわからない

 この店の主は現在いわき市で焼き鳥屋を営んでいるという。
 このお店については2018年2月に取り壊すという意向が示されていたが、訪問した2019年2月現在ではまだ残っていた。とはいえ、行政が関わらず民間所有である上に、震災遺構として残す意向も示されていないので、いつまで残っているかわからない。もしかしたら取り壊されているかもしれない。
 原子力発電所事故は、ある日突然そこから去らなくてはいけなくなる。そこには生活していたそのままの状態で、何年も戻れなくなることがある。そのことを実感する場所であることは間違いない。


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