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飛行機と食事とホテルとたまに観光地を淡々とアップするブログにおこしいただきありがとうございます。
当ブログの写真・文章の転載はご遠慮ください(法的に認められた引用を除く)。

タグ:岩手

 高さ17mもの津波が海辺に建つホテルを襲った。


震災遺構「たろう観光ホテル」

 今回紹介するのは東日本大震災における災害遺構で確実に北の大物というべき物件。
 宮古市北部の田老という街にそれは存在する。震災遺構「たろう観光ホテル」だ。
 たろう観光ホテルは1986年にオープンした観光旅館。地上6階建てで、それほど高い建物がない田老ではシンボルになるような建物だ。
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 震災前の姿を残す写真。
 このたろう観光ホテルは東日本大震災の震災遺構の保存に、初めて国費が投入された物件である。
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 震災による津波で1階から2階部分の壁などは全て抜け落ちて、鉄骨だけの状態になっている。


津波は全てを押し流す

 この6階建ての建物を見上げる。
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 見上げると3階部分の窓がない。
 2階の天井ですら高いのだ。高さ17mにもなる津波がここに来たのだ。2階だけでなく、3階も壁の一部が破壊されて、窓ガラスがなくなっている。
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 東側に回ると3階部分の壁が大きくなくなっている。
 おそらくこちらの方向から波が入ってきたのだろう。
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 ものすごい勢いで流れた津波は全てを押し流した。
 エレベーターの籠もかなりの力で押されたせいかひしゃげてしまっている。
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 1階部分で残っているのは鉄骨と階段、エレベーターの籠と枠だけだ。もちろん全てを押し流した結果、ここには大量の瓦礫が山積みとなった。いまではきれいに撤去されている。
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 震災によって地殻変動が起きて、2.18m動いたことを示す看板。一等登記基準点がここにあったが、2.18m東南方向に移動し、高さは0.31m下がった。震災により大きく地殻変動が起きた。あまり気づいていないけど、震災とその後の地殻変動で東京でも数cmから数十cm単位で動いている。
 残念なことに元の位置と新しい位置の写真を撮り忘れてしまった。

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内部見学ができる

 このたろう観光ホテルの特徴として、内部が見学できる。
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 ただし、予約する必要がある。詳細はホームページで確認して欲しい。

 年に何回か(一度だけ?)、無料見学日があるので、それに参加してみた。
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 内部の見学はこの外にある非常階段を上がる。
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 もちろん修復されているが、被害を受けた階段を上がる。
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 客室の畳は剥がされていたが、テレビや冷蔵庫、金庫などはそのまま置かれていた。
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 こう見ると何も影響が無かったように見える。
 それは高いところだったからであって、下は地獄である。
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 エレベーターも至って普通だ。
 まぁ、内部見学しても被害に遭ってない部分を見ても仕方がないっちゃー仕方がないのだけど、階段を上がっていくときにこの高さまで津波が来たと思うと、恐ろしさをイヤというぐらい実感できる。
 内部では震災当時の津波が来ているところの映像が流されており、その場で津波が来たときと平常時の違いが実感できるようになっている。この映像は撮影禁止なので、ここに来て見るしかない。
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 三陸地方は、地震が来れば津波に何度も襲われてきた。津波に対する防災意識は高い方だったと言える。このような張り紙もなされていた。小さい頃からそういった教育を受けてきたはずなのだけど、あれだけ多くの犠牲者がでてしまった。津波に対する防災意識はいくらあっても足りない。


近くにあるJFたろう製氷貯氷施設

 近くの港には漁協の製氷貯氷施設がある。
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 ここには明治、昭和、平成の各津波の高さが書かれている。
 昭和三陸津波が10m、明治三陸津波が15m、平成の東日本大震災津波が17.3m。
 これだけの高さで津波はやってくる。勢いをつけてやってくる。しかもそれは波が高いのとは確実に違う。海面が上昇して押し寄せるのだ。その津波の前で人間は無力である。とにかく、逃げるしかない。一刻も早く、高いところへ。心配になって戻ってはいけない。きっと逃げているはずだ。そう信じて、逃げるしかない。

 岩手からの帰りは、グランクラスだ!


2年間の岩手生活終了!ご褒美はグランクラス!

 岩手生活も2年間。ついに、本社に戻るときが来たよ。
 岩手にいたことで色々と体験できたこと、楽しんだこと、生活することで見えてきたこと、たくさんあったよ。特にイオンが生命線だってことがわかったね。震災についても色々と学ぶことができた。
 そんな楽しい生活もいよいよ終わり。
 また、満員電車に揺られて通勤する日々が来る。
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 というわけで、自分へのご褒美にグランクラスで帰るっちゃ!
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 なんか最近地方駅で流行っている「旅立ちの言葉」。北上駅にもあったね。
 北上駅は東口は子会社委託なので駅長ではなく、業務長なんだーなんてマニア視線で見る。
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 いよいよこれで岩手生活終わりなんだー、なんて思う。
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 そして、扉が開いた。

 今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る…
 今、万感の思いを込めて汽車が行く…
 一つの旅は終わり、
 また新しい旅立ちが始まる。
 さらば、のん…
 さらば岩手で暮らした日々よ!

 ……ごめん。
 別に汽笛は鳴らなくて、鳴ったのは発車メロディーだった。
 ちなみに「のん」さんは、岩手ではJAと岩手銀行のCMに出ているので、テレビでよく見る。


グランクラスの座席をチェック

 まぁ、そんな色々な思いをちーっとばかし考えたりして、涙がちょちょぎれたりしたけど、そんなことはどうでも良くて、座席チェック。
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 イメージ的にはJALの古い方のファーストクラスの座席に似てるかな。
 色が同じ系統だからそう思うのかもしれないけれど。
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 こちらは2人掛けの席。
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 座席の各部位は調整可能。
 座り心地としては、いいと思うよ!

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機内食……じゃなかった、車内食

 さて、座席にはメニューが刺さってた。
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 というわけで、メニューを開く。
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 ごあいさつから。
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 中身のメニュー。
 現在はグランクラスのメニュー刷新が行われているので、現在とはサービスがちょっと違う。
 和軽食か洋軽食からチョイス。まぁ、洋軽食はサンドイッチ。
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 和軽食を頼んでみた。
 ドリンクは「スパークリングアルコール」という謎のカテゴリーの酒を頼んだら、青森のりんごシードルが登場。
 単なるスパークリングワインよりも、なんか東北っぽくていいね。
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 お弁当をオープン。
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 まぁ、あれだ。
 駅弁だ。
 なんつーか、これだったらお好きな駅弁1個プレゼントの方がいい気がしなくもない。
 八戸の小唄寿司とか食べたい。
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 なんだろう。
 ANAのプレミアムクラス感が半端ねぇ。
 あっちも地方路線だと駅弁みたいなのが出てくるから、なおさらその感じが増幅されてる。
 (ちなみに仙台空港発はウェルネス伯養軒が作ってる)


お菓子ももらう

 さて、食後。
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 ……その前にビールを一杯。
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 おつまみもくれたよ。
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 〆は紅茶とりんごのパウンドケーキ。
 パウンドケーキは結構おいしかった。


グランクラスねぇ……

 というわけで初めてのグランクラス。
 たぶん最後のグランクラス。
 乗ってみたけど、やっぱり飛行機と違って何回も客の出入りがあるので、サービスの仕方が難しいかなって思った。あと、各乗客の行先がわかる(はず)なのだから、車内放送は原則としてしなくていいんじゃないかなぁ。アテンダントが声をかければいいのかなって気がする。満席だとちょっと厳しいのかな。
 まぁ、このサービスを提供しようとする努力は認める。個人的にはもっとわくわく感がする方向に行ってもらいたいなーなんて思ったりする。

 震災遺構が数多く残る、陸前高田市。
 新しい施設がオープンしたので、行ってみた。


高田松原津波復興祈念公園が一部オープン

 2019年9月22日。釜石で開かれるラグビーワールドカップに合わせるように、陸前高田市に高田松原津波復興祈念公園が一部オープンした。この施設は以下の施設から構成される。
 ・道の駅高田松原
 ・岩手県東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)
 ・高田松原国営追悼・祈念施設
 ・震災遺構「奇跡の一本松」
 ・震災遺構「陸前高田ユースホステル」
 ・震災遺構「道の駅高田松原タピック45」
 ・震災遺構「下宿定住促進住宅」
 ・震災遺構「気仙中学校」
 これらの施設が集結しており、東日本大震災における津波被害を学ぶ場としても最大の施設となる。
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 というわけで、早速行ってきたよ。


道の駅・高田松原

 震災によって道の駅高田松原タピック45が被災し、その後営業休止中となっていた道の駅高田松原が約8年半ぶりにオープンした。
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 津波復興祈念施設を兼ねているため、モノトーンな建物。
 かなりでかく感じるが奥行きがないためそれほど大きい施設というわけではない。
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 鳥取のすなば珈琲が出店してた。
 公式ホームページでは一切存在が書いてないが、たぶん本物だろう。鳥取県知事のお花もあったし。
 内部は所謂普通の道の駅と同じ地場産品販売とレストランなどなど。
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 天丼食べた。
 まぁ、普通。

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岩手県東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)

 道の駅高田松原と同じ建物に岩手県東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)がある。
 岩手県が設置した震災伝承施設である。
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 陸前高田市にあった旧・気仙大橋の橋桁が展示されている。
 気仙川河口から500mの地点にかかっていた気仙大橋だが、津波によって橋桁が流された。
 津波の威力により橋桁は折れ曲がり、307m上流に流された。重さは2.5t。これほどの重さのものでも、津波は流していく、その威力はすさまじい。津波はそのまま気仙川を8kmも遡って、山間の集落にも被害を与えた。
 この気仙大橋は国道45号線の橋で、この橋が流されたことによって仮橋が開通するまでの4ヶ月間、かなり上流まで行かないと川を渡ることができず、迂回を強いられた。
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 こちらは津波によって流された田野畑村消防団の消防車。
 津波にのみ込まれ山際まで押し流された。乗車していた消防団員は奇跡的に無事だった。
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 津波で被害に遭った看板などが展示されている。
 他にも国土交通省の国道啓開作業である櫛の歯作戦についての展示、東北地方整備局のオペレーションルームの再現施設などがあった。
 基本的には映像資料多めなので、震災遺構と呼ばれるものは少ないが、それらは外にたくさんある。
 特に、消防団、漁業無線局、地元建設業者、自衛隊、後方支援活動、消防、警察の果たした役割などがまとめられており、初めて知った情報も多かった。
 特に漁業無線局では本来地上同士の交信は違法だが、連絡が通じない中で千葉茨城の陸上局を経由して岩手県庁に避難者情報などを伝えた話は初めて知った。
 地元民の意向が無視されて決められた展示施設と地元の方は言っているらしい。ただ、この施設は「岩手県の」施設だ。広く被害を受けた岩手県全体を網羅した展示にしなければならないだろう。そういった意味で、陸前高田のことを残すのであれば、陸前高田市が主導となった施設を整備する必要があるだろう。


奇跡の一本松と陸前高田ユースホステルと太平洋

 道の駅と津波伝承館の裏側には海へ向かって道が続く。
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 大きな大きな太平洋に向かって。
 突然津波という牙をむいた太平洋に向かって。
 多くの人やものを飲み込んだ太平洋に向かって。
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 海岸では松原の再生事業が始まっていた。
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 振り返ると陸前高田の街が見える。
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 そこから遊歩道で陸前高田ユースホステル跡地に行くことができる。
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 そして、その傍らには奇跡の一本松がある。
 奇跡の一本松については以前の記事を参照して欲しい。



旧・道の駅「高田松原タピック45」

 被災した道の駅は現在整備工事中。
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 特徴的な建物を裏から見るとこんな感じ。
 津波エネルギーを分散させることを考えてこの形になったらしい。
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 これから整備されて公開される予定。

 このほか、震災遺構施設は「気仙中学校」「下宿定住促進住宅」などあるが、現在整備中。今後、整備が終われば様々な震災遺構施設を見ることができ、震災学習の一大拠点となる。今回のオープンは陸前高田の震災復興において一つのマイルストーンになったのではないだろうか。


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旧・米沢商会ビル

 そういえば以前紹介した米沢商会ビルのその後が気になったので行ってみた。

 JRBRT陸前高田駅に行ってみると、同じ場所にそのビルは建っていた。
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 周りはかさ上げによって高くなったため、中国の立ち退きに反対しているビルみたいになっている。
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 これ、雨水とかたまらずにちゃんと流れていくのだろうか。
 公的支援が入らず、民間によって保存されているだけに今後が心配だ。

 震災遺構が数多く残る陸前高田市。
 後編は大物登場でございます。


旧・気仙中学校

 「気仙中学校前」というバス停で降りる。
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 周囲に民家はなく、乗降する客は限りなく0に近いと思われる。
 もちろん、震災前には周りに民家があったらしい。「あったらしい」としか書けないほど周りは復興事業によって工事されており、震災後の航空写真でも、全て流されてしまっているのがわかる。
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 3階建ての校舎の窓は全て破壊されている。それだけの津波が襲ったのだ。
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 津波の高さは14.2m。校舎の屋上の高さすら超えている。
 これでは、屋上に避難していたとしても助からない。50cmの津波でも成人男性の80%が流されるのだ。
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 気仙川の河口に位置する気仙中学校は教職員の機転により命が失われることはなかった。
 気仙川の水が引いて、川底が見えたことで津波が来ることを確信し、避難を開始した。最終的には4カ所ほど場所を変えながら、上へ上へと避難した。
 もし校庭に避難していたら、もし屋上に逃げていたら、全員が無事ということにはならなかったかもしれない。津波の際にはとにかく高いところへ逃げること、それしかない。


旧・道の駅高田松原

 陸前高田市の海岸沿いには道の駅高田松原があった。岩手県内で最初に認定された道の駅だった。
 震災によって、道の駅どころか名前に入っている松原自体も津波によってなくなってしまった。
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 訪れたときは近寄ることもできなかった。
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 一見普通に建っているように見えなくもないけれど、やはり破壊されている。
 この特徴的な形の建物は津波避難施設としての役割も併せ持っていた。海側からの登りやすさなどを考慮して三角形の特徴的な外観をしている。
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 内部はめちゃくちゃに破壊されており、鉄骨なども「ぐにゃり」と曲がってしまっている。ものすごい力だ。
 津波によって建物の上部をわずかに残して水没した。なんとか3人が屋根裏まで逃げて難を逃れることができた。水位がどんどん上がってくることに、恐怖を感じたことだろう。
 道の駅高田松原はついに2019年9月22日に移転再オープン予定。
 この旧道の駅は震災遺構として保存される。

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旧・米沢商会ビル

 JR大船渡線陸前高田駅は、BRTの駅としてかさ上げされた新市街がある高台にオープンしている。
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 バスの駅だけど、みどりの窓口もある。
 新しいバスの駅から海側を見渡すと、ビルが1棟残っているのが見える。
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 ただ、ぽつんと残るビル。
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 これが旧米沢商会ビル。
 周囲がかさ上げして土の下埋まっていく中、ここだけは元の高さが残っていることがわかる。
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 津波によって窓は全て無くなっている。
 それでも耐震性には問題がないとのこと。頑丈に作られた建物は津波に耐えた。
 そして、この建物の保存に公費は使われておらず、所有者の負担によって保存することとなった。
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 屋上の上、ほんのわずかだけ高くなっている部分、そこの部分まで津波が押し寄せた。
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 まさにギリギリである。
 米沢商会の店主でビルの所有者はここで津波から逃れ、助かった。
 1m四方の一人分のスペースしかない。津波が襲ったとき、見渡す限りあたり一面は水で覆われていたはずだ。そこで見た光景はどんなものだっただろうか。これ以上、水位が増すのか、次の波が来たときはどうなるのか。想像するだけで恐ろしい。

 東日本大震災で多くの犠牲者が出た陸前高田市。
 その数は石巻市に次いで多く、実に1,757名にもなる。


街が壊滅した陸前高田

 アナウンサーが読み上げるニュースで耳を疑うことというのは、それほどないと思う。自分の記憶の中でそれほどない耳を疑うニュースがどんどん飛び出していたのが、震災直後のニュースだった。特に印象に残っているのは「消防庁の発表によりますと、岩手県陸前高田市はほぼ壊滅状態とのことです」「JR仙石線は2本の電車の行方がわからなくなっています」の二つ。言ってる意味が分からないと最初思ったものだった。
 そんな陸前高田市には震災遺構が数多く残っている。
 陸前高田の震災遺構は奇跡の一本松だけじゃない。


奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル

 震災前、陸前高田の海岸には松林が広がっており、その中に陸前高田ユースホステルがあった。
 松林はすべて津波によって流出したが、そのうち1本だけ流されずに奇跡的に耐えた。
 それが有名な奇跡の一本松である。
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 残念ながら奇跡の一本松は塩害により枯れてしまったが、科学の力を惜しみなく投入しサイボーグ化(というより剥製に近いか)してなんとか今ここに立っている。ちなみに、その作業の際に取り払われた枝から陸前高田市の市長印が作られている。
 震災直後に多額のお金をかけて、いま奇跡の一本松はここに立っている。もちろん、このお金を被災者に回した方がいいのではないかと批判があった。被災者自身もそういう意見が多かったし、全国の人もそう思っていた人が多くいた。自分もそう思っていた。でも、今になって思えば、この奇跡の一本松があることで、救われた気持ちもあったんではないかと思うし、(文字通り)一つの柱になるものがあるというのはいいことなのではないかと思う。
 今後はユースホステルの建物やその他周辺一帯を復興公園として整備される予定。

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旧・下宿定住促進住宅

 奇跡の一本松から国道45号線を大船渡方向に向かうと、マンションが残っている。
 旧・下宿定住促進住宅だ。
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 この5階建ての共同住宅を津波が襲った。
 側面をよく見てみると津波到達位置を示す看板が見える。
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 14.5m。この街を襲った津波の高さだ。
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 この写真を見てもらえばわかるとおり、4階までめちゃくちゃになっている。
 では、5階は安全だったかというと、浸水してる。なので、安全だったのは屋上に上がった場合だけだった。


旧・大船渡線踏切

 国道45号線から横の道に入ると、かさ上げ工事が行われている中に踏切が残っていた。
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 この踏切の部分だけ線路が残っている。もしかしたら、もうないかもしれない。
 大船渡線は津波により大きな被害を受け、この区間はバスによる復旧となっている。もう、ここに列車が走ることはない。周囲がかさ上げされてもここだけ残っているのが不思議である。


ガソリンスタンドの看板

 道の駅陸前高田跡地(次回紹介)の向かい側にガソリンスタンドがあった。
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 私が行ったときには元々国道45号線沿いにあったガソリンスタンドは道がつけ変わったことによって、このときは脇道の行き止まりにガソリンスタンドがあった。
 高いところにある看板のてっぺんにまで津波が到達していたことを示している。
 残念ながら今はこの場所にガソリンスタンドはない。かさ上げ工事の支障となるために移転したのだ。
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 看板は新店舗に移設された。岩手県の屋外広告条例により元の高さにすることはできなかったため、低い位置になってしまった。ただ、この大きさと色は例外的に認められたらしい。

 大規模な地すべりにより、橋は土台から崩れた。
 今回は橋が保存されている場所を紹介する。


宮城・岩手内陸地震

 2008年6月14日8時43分。
 岩手県内陸南部を震源としてM7.2の地震が発生した。
 岩手県奥州市や宮城県栗原市では最大震度6強を観測した地震である。
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 この地震による建物被害は軽微だった一方で、山間部における山体崩壊、土砂崩れ、河道閉塞が多く発生した。

旧祭畤大橋

 岩手県南部の代表的な景勝地である厳美渓から、秋田県境に向かっていく国道342号線。
 その国道の途中左手に異様な姿をした橋を見ることができる。今回紹介する旧・祭畤大橋だ。
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 ちょっと国道からは離れているので漫然と走っていると通り過ぎてしまうかもしれない。
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 橋桁が水海に落ちているのがわかるだろうか。
 離れたところにあるが、元々の国道342号線はそこを走っていた。
 宮城・岩手内陸地震によって、大規模な地すべりが発生し、秋田側(写真右側)の橋台、橋桁どころか地盤自体が宮城側(写真左側)に10m移動したことによってこの橋は崩壊した。
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 この橋は耐震設計なされていたにも関わらず崩壊した。当時はあり得ないこととして、手抜き工事や設計ミスなども視野に入れて調査が行われた。その調査結果によると、橋梁を支える橋台や橋脚が地盤と共に10mほど地すべり性の移動したことにより崩壊したことが判明した。
 震央からわずか1km程度しか離れていない場所であったためか、地盤自体が動いてしまっては、耐震設計をいくら行っていても崩壊してしまう。
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 ちなみに今使用されているのが二代目祭畤大橋、地震で崩壊したのは初代祭畤大橋。二代目祭畤大橋の下を覗くと、橋が見える。これは地震には関係なく、初代祭畤大橋が開通するまで使用されていた祭畤橋である。
 こちらはそれほど大きくないせいか、使用されなくなり放置されているにもかかわらず、落橋することはなかった。使用されなくなって40年以上経過し、もうこの橋へ行く取り付け道路自体が存在しない。

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祭畤被災地展望の丘

 この旧・祭畤大橋を見学するための施設として祭畤被災地展望の丘が整備されている。
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 ここには旧祭畤大橋の破壊された橋桁の一部が保存されている。
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 ここには地震の概要や、土砂災害の発生状況、復旧状況などの説明看板があるので、ここで地震についての知識を自転車操業で仕入れておきたいところ。


祭畤災害遺構見学通路

 祭畤被災地展望の丘から秋田側へ進み、祭畤大橋を渡り終わったところを左折したところに、祭畤災害遺構見学通路がある。ここを見学できるのは9時~16時。
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 旧・国道342号線に歩道が設置されていて、歩くことができる。
 当然地すべりで、国道は崩壊している。
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 ここまで道が波打っているのは、地滑りを起こしたからだ。大量の土砂がそのまま移動したのである。
 歩道の階段に注目して欲しい。道路にもともと傾斜があったとしてもここまで階段が必要になるようなことにはならないし、傾斜が急だったとしたら均等に階段が必要になるはずである。ここでは、平らの部分と階段の部分が分かれている。それだけ不均等に沈下したことを示す。
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 最後は展望台のようになっているところが終点。
 ここで道はぶっつりと途切れている。その姿はまるでジャンプ台のようだ。


河道閉塞の現場もある

 この現場から国道342号線を一関方向に行くと河道閉塞の現場がある。
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 河道閉塞とは土砂崩れによって河川が埋まり、水の流れをせき止めることによって天然のダムができることである。これを放置すると、人工で造ったダムと違って堤体が脆弱なので崩壊し、一気にたまっていた水が下流を襲うことになる。当然、急激に水量が増えるわけで下流では洪水、氾濫、橋の損傷などの被害が考えられる。
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 そんな天然ダムが発生した場所。地震後に排水ポンプを設置して下流へ水を流そうとするが、限界があるので地震発生後4日間で一次仮排水路を設置。これによって天然ダムの水位上昇を抑制した。とはいえ抑制なので次に二次仮排水路を地震後22日目に完成し10年に1度の洪水は排水できるようになった。その後、本設の河道を掘削し、現在は100年に1度の洪水まで耐えられるようになっている。
 特に一次仮排水路や二次仮排水路を作るところまでは特に時間との勝負であったと思われる。今でこそ、この場所は平和そうであるけれど、一関市民の命がかかった工事が行われていたのである。

 災害遺構紹介第二弾は東日本大震災の災害遺構です。
 岩手県宮古市にあるメモリアルパーク中の浜を紹介します。


元々は静かな海辺のキャンプ場

 岩手県宮古から田老に向けて国道45号線を北上する途中で右折すると、中の浜という所に出ます。ここには震災前、緑豊かなキャンプ場がありました。
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 平成23年3月11日。ここを東日本大震災では約15mの津波が襲い、最大遡上高は21mにも及びました。その被害を受けた状態のまま、キャンプ場の施設が保存されています。
 幸いにも、冬の閑散期に発生したため利用者はいませんでしたが、建物や樹木に大きな被害が出ました。もし、夏の季節に起きていたらどうなったことかと思います。


津波に耐えたトイレ

 中へ進んでいくと左側に一つのかろうじて建っている建物が目に入ります。
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 鉄筋コンクリート造りのおかげか、なんとか津波に持ちこたえたキャンプ場のトイレです。
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 なんとか建物自体は耐えられても、中はボロボロに崩壊しています。
 個室の壁などは全て流れてしまい、便器だけが残っています。
 今後紹介していく震災遺構ではトイレの便器だけ残ったというものが多数あります。地面に作り付けているからか壁は破壊されても便器は残るようです。

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屋根が引きちぎられた炊事場

 さらに奥へ目をやると、もう一つ津波によって破壊されたものが目に入りました。
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 所謂キャンプ場の炊事場です。
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 被災前の写真を見てもらうとわかるとおり、ここには屋根がついていましたが、津波によって流れていってしまいました。残された鉄筋が、ものすごい力で屋根が引きちぎられたことを示します。


震災がれきで作られた丘

 さらに後ろには小高い丘があります。
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 丘に登ると海が見えます。
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 海に向かって右手の森の中に何やら看板があります。
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 拡大すると17mの標識。
 津波はあの森の看板の高さまで上がってきたのでした。
 津波の恐ろしいところは、あの高さまで波がかぶったということではないことです。一般的に波は、海面の上下を繰り返す形で押し寄せては引くというイメージですが、津波は大量の海水がひたすら押し寄せてきます。引くことはなく(もちろん大きな周期では押し寄せて引くの繰り返しですけど)、海面が上昇し続けるイメージです。
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 左の四角い三連枠の中に線が引かれているのがわかるかと思います。
 これは、津波がその線まで到達したことを示します。この丘はその高さが丁度目線の位置になるように作られています。わかりますでしょうか、大量の水が押し寄せ、海面がこの高さまで上昇するのです。
 どれだけの莫大な量の水が押し寄せてきているか、実感することになります。
 決して派手な施設というわけではありませんが、静かに津波の恐ろしさを訴えてくる施設です。

台湾編を書いている途中ですが、全く関係ない話。


岩手開発鉄道とは

 岩手県大船渡市を走る貨物鉄道。
 大船渡鉱山から石灰石をセメント工場まで運ぶのが役割。
 まぁ、詳しくはWikipediaを読んでちょうだい。


ひょんなことでダイヤグラムを入手

 まぁ、とあるルートで岩手開発鉄道の列車運行図表(ダイヤグラム)を手に入れたので、それを公開しようと思った次第。ただ、運行図表自体はイベント等で販売されることもあるので、今回は時刻表形式に直してアップした。
 間違っても、このデータを元に岩手開発鉄道に問い合わせちゃダメだよ。


時刻表ダウンロード

 ※ちなみにおまけで最盛期だった昭和49年10月7日改正の時刻表も同梱してる。

 時刻表PDF(2017年9月1日現在、平成15年4月1日改正)

 PNG画像版は画像を直接クリックして表示。必要に応じて保存してちょ。
 iwatekaihatsu_timetable20170901_1(各駅通過時刻あり)
 iwatekaihatsu_timetable20170901_2(各駅通過時刻なし)


現行ダイヤの解説

 まぁ、解説といえるほど知識があるわけではないので、勝手に色々と推測してみた。

 現行ダイヤは2種類あって、13往復ダイヤと18往復ダイヤ。基本的には13往復ダイヤだが、その日の需要に応じて18往復の場合もある。震災需要でセメントが必要とされていたので18往復ダイヤが復活している模様。ちなみに土休日は原則運休だが、需要に応じて土曜日と祝日は運行となることもある模様。

 基本的には2編成が行ったり来たり。赤崎駅および岩手石橋駅では15分間で石灰石の積み卸しをしているらしい。そんな短時間でできるのかな。基本的に石灰石を積んでいる上り列車(赤崎方面)が優先で運行しているため、下り列車(岩手石橋方面)が長安寺または日頃市駅で交換待ちを行う。

 始発時間帯に謎の盛~赤崎間の列車が1往復(1140-1141列車)ある。ダイヤグラムでも線の種類が異なっている。試運転ダイヤなのか、重い貨物搭載列車が走る前の露払いなのか。

 盛駅に停車する列車の法則性は謎。基本的に乗務員交代のためと思われるが、その割には停車する列車に偏りがある。特に、18往復運転の場合午後~夕方の便は下り全便停車する一方で午前は全便通過ということを考えると乗務員交代ではないのかも。

 とこんな感じで解説してみたけど、まったくの推測なので理由知ってるかたはご連絡くださーい。


ちなみに最盛期ダイヤの解説

 こちらも勝手に推測。
 最盛期とされる昭和49年10月7日ダイヤだと、運行は24時間。もちろん保守の時は運休するんだと思うけど2編成が深夜も走るような状況。

 貨物列車は26往復運転。盛駅に数分停車する列車と通過する列車があって、法則性は謎。ただこの頃は上下共に盛駅に停車する列車があったので、乗務員交代もうまくできそう。朝9時台と深夜22時台には各編成が盛駅に20分停車している(121/151/135/165列車)ので、ここでは機関車の交換もやってそうな予感。盛~赤崎間に区間運転の貨物列車(?)が1往復運転しているのも謎。国鉄からの貨物の授受でもあるのかと思ったけど、大船渡線側にそれっぽい列車がない(大船渡線の盛駅発着ダイヤが書いてあった)。
 平成4年までこの鉄道は旅客営業もしていたので、旅客列車は盛~岩手石橋間が朝昼晩の3往復、盛~日頃市間に2往復運転。このほかに線に×の記号が入った形で203/204列車の謎の列車があった。これは臨時なのか平日運転なのかな。あるいは試運転か。ただ、試運転だとわざわざ猪川駅に停車する必要もないよね。


というわけで

 撮影に使ったり、妄想に使ったり色々好きにしていただいてかまいませんが、無断での転載と現業機関への問い合わせだけは勘弁してください。

 新幹線乗る前に最後の食事をしよう!
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 やってきたのはわんこそばの店東家。
 盛岡駅前にあって便利な立地。ここで新幹線乗る前に旅の最後のご飯を食べる人が多いけど、みんなわんこそばを食べるんだよね。でも、わんこそばは高い(2,700円から3,240円)し、ひたすらそば食べるっていうのはアトラクションとしてはともかく、ご飯としてはねぇ……といきなりお店の存在価値を否定しかねない発言をしてしまった。でも好きなんです、このお店。
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 一人で入ると、デフォルトで新聞も持ってきてくれる心遣いがうれしい。

 このお店で食べるべきなのはカツ丼。あえてのカツ丼。
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 大盛り1,040円。わんこそば一杯分の蕎麦もついてくる。
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 まさかのカツが2段盛り!
 そして衣が黒胡椒効いてておいしいの。
 トンカツの衣のかりっとした感が残った、職人芸のようなカツ丼。

 ここのお店はほぼ全ての客がわんこそば食べてて、「はい、どんどん」「はい、じゃんじゃん」「もう一つ!」とかかけ声入れられている中カツ丼食べるのは若干シュールなんだけど、ここでカツ丼食べるのが正解だと思うよ、たぶん。
 他の通常のおそばもそれほど高くもないのでオススメ。
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 帰りはグリーン車!
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 しっかりと、子供達に混じって連結作業を見学して。
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 車いす設置位置の一人掛け座席で帰宅!ぐっすり眠れたー。

 遠野に戻ってきた。帰りの新幹線までまだ時間があるので、お昼ご飯。
 遠野は「遠野ジンギスカン」なるものが名物だというので、元祖の店に行ってみる。

 駅から徒歩10分ぐらい。
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 ちなみにお肉屋さん併設。
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 紙エプロン標準装備。ちなみに新聞紙もテーブルの上に標準装備。たぶん掃除しやすくするためだろうね。
 ラムカタとマトンモモで片方定食にして2,000円。ちょっといいお値段感あり。
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 ちょっといいお値段といったけどかなりの量が出てきた!
 北海道のタレ漬けとは違い生肉。色々な部位が楽しめるのでこれはこれでいいかもしれない。ただ、昼過ぎに行ったので売り切れになっている物もあった。三連休最終日だしね。
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 あとは普通のジンギスカンと同じようにじゅーじゅー焼く。

 まぁおいしいっちゃーおいしいんだけど、このためにわざわざ寄って長時間待つかと言われると微妙。フツーの(最近北海道で流行ってる)生肉のジンギスカンなんだよね。ただ、逆に言えば安定したおいしさなわけで、あまり待たなそうだったらいいかも。

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