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タグ:宮古市

 災害遺構が災害を受けてさらなる災害遺構になる。
 そんなこともある。


令和元年東日本台風

 昨年のことなので、記憶に新しい人も多いだろう。いや、コロナのせいで、もう遠い昔の記憶になってしまっているかもしれない。
 2019年、東日本を襲った台風19号。進路としては関東縦断しただけの形になるが、勢力の強さによりその被害は大きいもので、北陸新幹線の車両が水没したとか記憶に残っているだろう。
 そして、この時ラグビーワールドカップが開催されていた。
 台風が来る次の日は釜石での試合が予定されていた。私自身もこの時は釜石入りして観戦する予定だったが、残念ながら試合は中止になってしまった。台風が近づく夜、釜石は一晩中サイレンが鳴っていた。避難所も開設されていたが、川の近くであるものの鉄筋コンクリートの建物で津波にも耐えた建物だったのでこの場にいた方が安全と思い、ホテルにとどまった。一夜明けた釜石では冠水するなど大きな被害が生じ、街の様相が大きく変わっていたのを覚えている。


河川増水により被害を受けた「メモリアルパーク中の浜」

 今回は以前も取り上げた「メモリアルパーク中の浜」を再び取り上げる。
 前回の記事はこちら。

 元々は静かなキャンプ場だったこの場所は、震災による津波で景色を一変させた。
 その後、震災遺構として整備され、津波の被害を受けた場所をきれいに保存している。
 そして、この場所は、また、被害に遭うことになる。
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 訪問時点で10ヶ月経過しているがそのままだ。
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 通路がえぐれているのがわかると思う。
 小川でしかなかった川が、暴れた。
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 わかりづらい写真で恐縮だが、奥に橋が架かっていて、その橋に木など大量に流れてきたものが絡まっているのが見える。どちらかと言えば修復するお金がないので、そのままになっているというのが正しいかもしれない。
 様々な災害の中で、比較的容易に予測が可能なのは台風だ。
 台風に関して言えば、あらかじめ避難しておくことも可能である。
 普段はおとなしい小川もこのように暴れる。特にこの時の台風は気象庁が尋常じゃないほど警告していた。特に地理的要因(低地など)や構造的要因(木造や低層階)の人々はきちんと避難する必要があるだろう。


震災の遺構

 さて、入口部分のインパクトがでかすぎたが、他の所も見ていこう。
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 震災の津波で大きな被害を受けたトイレ。
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 こちらは変わらず。
 台風の被害はあまりなかったようだ。
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 鉄筋コンクリートでも、津波でもげた炊事場。
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 前回来たときは、夕方で雨も降っていたので静かな恐ろしさを感じる施設であったが、今回は夏の晴れた日だったので、そこまで恐ろしさを感じることはなかった。
 でもね。津波は来るんだよ。この写真の位置でもかなりの高さだけど、東日本大震災の時にはこれでも足りない。なぜなら、目線が津波の浸水した高さになるように調整されているから。だから、この場所にいるとき、もし大地震が発生したら、ここではない近くの山に真っ先に逃げるべきだ。
 そんな教訓を教えてくれる施設である。
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高さ17mもの津波が海辺に建つホテルを襲った。


震災遺構「たろう観光ホテル」

 今回紹介するのは東日本大震災における災害遺構で確実に北の大物というべき物件。
 宮古市北部の田老という街にそれは存在する。震災遺構「たろう観光ホテル」だ。
 たろう観光ホテルは1986年にオープンした観光旅館。地上6階建てで、それほど高い建物がない田老ではシンボルになるような建物だ。
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 震災前の姿を残す写真。
 このたろう観光ホテルは東日本大震災の震災遺構の保存に、初めて国費が投入された物件である。
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 震災による津波で1階から2階部分の壁などは全て抜け落ちて、鉄骨だけの状態になっている。


津波は全てを押し流す

 この6階建ての建物を見上げる。
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 見上げると3階部分の窓がない。
 2階の天井ですら高いのだ。高さ17mにもなる津波がここに来たのだ。2階だけでなく、3階も壁の一部が破壊されて、窓ガラスがなくなっている。
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 東側に回ると3階部分の壁が大きくなくなっている。
 おそらくこちらの方向から波が入ってきたのだろう。
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 ものすごい勢いで流れた津波は全てを押し流した。
 エレベーターの籠もかなりの力で押されたせいかひしゃげてしまっている。
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 1階部分で残っているのは鉄骨と階段、エレベーターの籠と枠だけだ。もちろん全てを押し流した結果、ここには大量の瓦礫が山積みとなった。いまではきれいに撤去されている。
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 震災によって地殻変動が起きて、2.18m動いたことを示す看板。一等登記基準点がここにあったが、2.18m東南方向に移動し、高さは0.31m下がった。震災により大きく地殻変動が起きた。あまり気づいていないけど、震災とその後の地殻変動で東京でも数cmから数十cm単位で動いている。
 残念なことに元の位置と新しい位置の写真を撮り忘れてしまった。


内部見学ができる

 このたろう観光ホテルの特徴として、内部が見学できる。
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 ただし、予約する必要がある。詳細はホームページで確認して欲しい。

 年に何回か(一度だけ?)、無料見学日があるので、それに参加してみた。
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 内部の見学はこの外にある非常階段を上がる。
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 もちろん修復されているが、被害を受けた階段を上がる。
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 客室の畳は剥がされていたが、テレビや冷蔵庫、金庫などはそのまま置かれていた。
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 こう見ると何も影響が無かったように見える。
 それは高いところだったからであって、下は地獄である。
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 エレベーターも至って普通だ。
 まぁ、内部見学しても被害に遭ってない部分を見ても仕方がないっちゃー仕方がないのだけど、階段を上がっていくときにこの高さまで津波が来たと思うと、恐ろしさをイヤというぐらい実感できる。
 内部では震災当時の津波が来ているところの映像が流されており、その場で津波が来たときと平常時の違いが実感できるようになっている。この映像は撮影禁止なので、ここに来て見るしかない。
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 三陸地方は、地震が来れば津波に何度も襲われてきた。津波に対する防災意識は高い方だったと言える。このような張り紙もなされていた。小さい頃からそういった教育を受けてきたはずなのだけど、あれだけ多くの犠牲者がでてしまった。津波に対する防災意識はいくらあっても足りない。


近くにあるJFたろう製氷貯氷施設

 近くの港には漁協の製氷貯氷施設がある。
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 ここには明治、昭和、平成の各津波の高さが書かれている。
 昭和三陸津波が10m、明治三陸津波が15m、平成の東日本大震災津波が17.3m。
 これだけの高さで津波はやってくる。勢いをつけてやってくる。しかもそれは波が高いのとは確実に違う。海面が上昇して押し寄せるのだ。その津波の前で人間は無力である。とにかく、逃げるしかない。一刻も早く、高いところへ。心配になって戻ってはいけない。きっと逃げているはずだ。そう信じて、逃げるしかない。
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 災害遺構紹介第二弾は東日本大震災の災害遺構です。
 岩手県宮古市にあるメモリアルパーク中の浜を紹介します。


元々は静かな海辺のキャンプ場

 岩手県宮古から田老に向けて国道45号線を北上する途中で右折すると、中の浜という所に出ます。ここには震災前、緑豊かなキャンプ場がありました。
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 平成23年3月11日。ここを東日本大震災では約15mの津波が襲い、最大遡上高は21mにも及びました。その被害を受けた状態のまま、キャンプ場の施設が保存されています。
 幸いにも、冬の閑散期に発生したため利用者はいませんでしたが、建物や樹木に大きな被害が出ました。もし、夏の季節に起きていたらどうなったことかと思います。


津波に耐えたトイレ

 中へ進んでいくと左側に一つのかろうじて建っている建物が目に入ります。
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 鉄筋コンクリート造りのおかげか、なんとか津波に持ちこたえたキャンプ場のトイレです。
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 なんとか建物自体は耐えられても、中はボロボロに崩壊しています。
 個室の壁などは全て流れてしまい、便器だけが残っています。
 今後紹介していく震災遺構ではトイレの便器だけ残ったというものが多数あります。地面に作り付けているからか壁は破壊されても便器は残るようです。


屋根が引きちぎられた炊事場

 さらに奥へ目をやると、もう一つ津波によって破壊されたものが目に入りました。
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 所謂キャンプ場の炊事場です。
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 被災前の写真を見てもらうとわかるとおり、ここには屋根がついていましたが、津波によって流れていってしまいました。残された鉄筋が、ものすごい力で屋根が引きちぎられたことを示します。


震災がれきで作られた丘

 さらに後ろには小高い丘があります。
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 丘に登ると海が見えます。
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 海に向かって右手の森の中に何やら看板があります。
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 拡大すると17mの標識。
 津波はあの森の看板の高さまで上がってきたのでした。
 津波の恐ろしいところは、あの高さまで波がかぶったということではないことです。一般的に波は、海面の上下を繰り返す形で押し寄せては引くというイメージですが、津波は大量の海水がひたすら押し寄せてきます。引くことはなく(もちろん大きな周期では押し寄せて引くの繰り返しですけど)、海面が上昇し続けるイメージです。
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 左の四角い三連枠の中に線が引かれているのがわかるかと思います。
 これは、津波がその線まで到達したことを示します。この丘はその高さが丁度目線の位置になるように作られています。わかりますでしょうか、大量の水が押し寄せ、海面がこの高さまで上昇するのです。
 どれだけの莫大な量の水が押し寄せてきているか、実感することになります。
 決して派手な施設というわけではありませんが、静かに津波の恐ろしさを訴えてくる施設です。
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