地震の後、テレビで見た津波到達予想時刻は10分後だった。


荒野の中に佇む校舎

 東京日本橋から仙台まで、太平洋沿岸を走る国道6号。
 相馬から先仙台空港近くまでは、この国道6号よりさらに海沿いに福島宮城県道38号が走る。この県道38号は国道6号よりも信号が少ないため、抜け道として使いやすい。
 もちろん、国道6号よりも海沿いということは、津波の被害を大きく受けた地域でもある。
 農地の復旧工事が行われていて、荒涼とした風景が続く中を県道38号は走る。常磐線と平行していたはずだが、内陸に移設された為、その姿はない。その中で突然大きな建物が見えてくる。
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 山元町立中浜小学校である。正確にはその旧校舎だ。
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 遠くから見ると、きちんと建っているように見えるが、近くで見ると窓ガラスの多くがなくなっている。
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 当然、この校舎は津波によって大きな被害を受けた。


津波到達予想時刻まで10分

 大きな地震の後、大津波警報が発令された。
 テレビをつけると到達予想時刻まで10分だった。
 事前に訓練していた避難場所(坂元中学校)まではどんなに急いでも20分はかかる。
 とても間に合わない。

 地域住民の方も避難してくる。
 全員で屋上に避難することにした。屋上には倉庫がある。
 児童・職員・地域住民合わせて約90名が避難し、一晩を過ごす。

 元々の防災意識の高さ、前々日の前震によって、このような瞬時の判断ができた。


津波は2階の天井まで来た

 実際には地震発生から1時間後に津波が到達した。
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 津波は2階建ての建物の2階まで到達した。
 当然2階の窓ガラスもなくなっている。
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 入れないように金網が設置されているところから中を覗く。
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 全てのものを洗い流すかのように、津波が襲った。
 もちろん、瓦礫が多数流れ着いたのだが、それはきれいに清掃されている。
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 窓ガラスを割っただけでなく、サッシももろとも流していった。
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 重要なものが入っていたであろう金庫も破壊されている。


裏に回ると倒れた時計塔

 校舎の裏に回る。
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 倒れた時計塔が目に入る。
 よくこの校舎が耐えられたなというのが感想。
 手前には破壊された「中浜小学校」の校標が。
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 唯一規制されていなかった階段から2階部分を見る。
 音楽教室のあたりは比較的浸水深が低かったとされる場所。
 それでも、おそらく白い壁のシミぐらいまでは浸水したんじゃなかろうか。
 もし、2階に避難するという判断をしていたら、完全にアウトだった。
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 昇降口から中を見る。
 やはり大きな力によって様々なものがひしゃげている。
 その一方で壁に張り付いていた下駄箱は無事だった。
 壁がある場合、力のかかり具合が違うのだろうか。
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 ここは職員室だろうか。
 黒板に書かれた児童数、担任名が妙に生々しく見える。
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 そして流されてきたものが柱に絡みついていた。


瞬時の判断が生死を分ける

 こちらの小学校は瞬時の判断で命を落とすことがなかった。
 ・10分しかないので指定避難所に逃げるのは不可能という判断ができたこと。
 ・屋上に屋根裏の物置部屋があるという装備と知識。
 ・いつでも津波は来るという危機感の共有。
 これらによって、全ての命が救われた。

 でも、それができなかった学校もある。それはまた近いうちに書きたいと思う。