FLY! FLY HIGH!!










飛行機と食事とホテルとたまに観光地を淡々とアップするブログにおこしいただきありがとうございます。
当ブログの写真・文章の転載はご遠慮ください(法的に認められた引用を除く)。

カテゴリ: 東北

 地震の後、テレビで見た津波到達予想時刻は10分後だった。


荒野の中に佇む校舎

 東京日本橋から仙台まで、太平洋沿岸を走る国道6号。
 相馬から先仙台空港近くまでは、この国道6号よりさらに海沿いに福島宮城県道38号が走る。この県道38号は国道6号よりも信号が少ないため、抜け道として使いやすい。
 もちろん、国道6号よりも海沿いということは、津波の被害を大きく受けた地域でもある。
 農地の復旧工事が行われていて、荒涼とした風景が続く中を県道38号は走る。常磐線と平行していたはずだが、内陸に移設された為、その姿はない。その中で突然大きな建物が見えてくる。
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 山元町立中浜小学校である。正確にはその旧校舎だ。
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 遠くから見ると、きちんと建っているように見えるが、近くで見ると窓ガラスの多くがなくなっている。
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 当然、この校舎は津波によって大きな被害を受けた。


津波到達予想時刻まで10分

 大きな地震の後、大津波警報が発令された。
 テレビをつけると到達予想時刻まで10分だった。
 事前に訓練していた避難場所(坂元中学校)まではどんなに急いでも20分はかかる。
 とても間に合わない。

 地域住民の方も避難してくる。
 全員で屋上に避難することにした。屋上には倉庫がある。
 児童・職員・地域住民合わせて約90名が避難し、一晩を過ごす。

 元々の防災意識の高さ、前々日の前震によって、このような瞬時の判断ができた。

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津波は2階の天井まで来た

 実際には地震発生から1時間後に津波が到達した。
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 津波は2階建ての建物の2階まで到達した。
 当然2階の窓ガラスもなくなっている。
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 入れないように金網が設置されているところから中を覗く。
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 全てのものを洗い流すかのように、津波が襲った。
 もちろん、瓦礫が多数流れ着いたのだが、それはきれいに清掃されている。
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 窓ガラスを割っただけでなく、サッシももろとも流していった。
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 重要なものが入っていたであろう金庫も破壊されている。


裏に回ると倒れた時計塔

 校舎の裏に回る。
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 倒れた時計塔が目に入る。
 よくこの校舎が耐えられたなというのが感想。
 手前には破壊された「中浜小学校」の校標が。
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 唯一規制されていなかった階段から2階部分を見る。
 音楽教室のあたりは比較的浸水深が低かったとされる場所。
 それでも、おそらく白い壁のシミぐらいまでは浸水したんじゃなかろうか。
 もし、2階に避難するという判断をしていたら、完全にアウトだった。
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 昇降口から中を見る。
 やはり大きな力によって様々なものがひしゃげている。
 その一方で壁に張り付いていた下駄箱は無事だった。
 壁がある場合、力のかかり具合が違うのだろうか。
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 ここは職員室だろうか。
 黒板に書かれた児童数、担任名が妙に生々しく見える。
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 そして流されてきたものが柱に絡みついていた。


瞬時の判断が生死を分ける

 こちらの小学校は瞬時の判断で命を落とすことがなかった。
 ・10分しかないので指定避難所に逃げるのは不可能という判断ができたこと。
 ・屋上に屋根裏の物置部屋があるという装備と知識。
 ・いつでも津波は来るという危機感の共有。
 これらによって、全ての命が救われた。

 でも、それができなかった学校もある。それはまた近いうちに書きたいと思う。

 鶴岡ラーメン食べてみるかぁ。
 ……とその前に。


泊まったのは肘折

 宿泊は肘折温泉だった。
 日本で自分が一番好きな温泉。
 日本で酸ヶ湯と積雪量1位2位を争う肘折。
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 なんだろうなぁ。
 この温泉街の雰囲気が好きなのかな。
 どこの宿も源泉掛け流しだし、塩素添加で消毒してないし、腰痛とかそういうのによく効く温泉。
 昔はここを中型バスが走っていた。今はマイクロバスになっちゃったけどね。
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 いつも真冬に行くから行けなかった棚田も見に行った。


麦切りなる謎の麺

 肘折から鶴岡に向かって下っていく途中にあった道の駅しょうない。
 別に特に期待してなかったんだけど食堂に「麦切り」なるメニューがあったので食べてみた。
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 ビジュアル的には稲庭うどん?
 でも食べてみたらすっごいもっちもっち。
 え、これ、すごい、うどんとしておいしいんですけどー。

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麺スイッチ入る

 そんな感じで麺スイッチが入ってしまったので、もう一食、鶴岡で麺食べたい。
 鶴岡はラーメンが結構有名らしいので、ラーメン食べよう。
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 来たのは「中華そば琴の」。
 鶴岡で一番有名なラーメン屋は「琴平荘」らしいのだが、そこで修行していた方が出したお店。
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 メニューはこんな感じ。
 初めてのお客様なので、メニューが言うとおり「中華そば あっさり」を注文。
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 もうね、見た目がこれ以上ないくらいオーソドックス。
 スープを味わうと、ものすごい優しい味。一応煮干しとか入ってる感じはするけど、見た目の通りニボラーみたいに暴力的じゃないし、包み込まれるというかなんというか。
 麺は縮れたちょっと太めの麺。平打ちの縮れ麺で感触が独特。ただの縮れ麺じゃーない。
 全体的に整ったおいしいラーメンでした。いいね、鶴岡。


食後はスタジオセディック庄内オープンセットへ

 特にしたいこともないので、映画撮影用オープンセットが見学できるというので行ってみる。
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 おおー、なかなか。
 まぁセットなので、全体的に作りがしょぼいのは仕方ないところか。
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 勇者ヨシヒコの墓もあったでよ。
 園内はかなり広いけど、巡回バスは別料金。
 かなり古い、排ガス規制がクリアできなさそうなバスが走っていた。

 魚ばっかりだから肉食べよう。
 おいしいお肉を食べよう。


村上から北上

 いや、北上に行くわけじゃ無いよ。
 村上からレンタカーで北へ。
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 途中の駅では丁度列車が来たので写真を撮る。
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 やっぱり透明度が高いよねー。
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 第一昼食は道の駅あつみで魚フライ定食。
 あっつあっつほこほこの手作り魚フライ。特筆すべき点はないのだけど、おいしかった。
 あら汁もGood!


鶴岡でハンバーガーを食べる

 というわけで、第二昼食の時間。
 鶴岡に到着。鶴岡では肉屋がやっている食堂。その名も「肉屋食堂」。そのまんまやんか。
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 メニューはこんな感じ。1,000円を超えない値段設定。店の外観写真は撮り忘れたー。
 何を食べるか悩んだのだけど、ここの名物はステーキ丼かローストビーフ丼って聞いていたのだけど、なんかオーラを感じたハンバーガーにする。
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 ハンバーガーにコーラもつけた。やっぱりコーラだよね。
 お店の人が丁寧に食べ方を教えてくれた。紙の袋に入れてから串を抜いて、食べられる大きさに潰して食べるとのこと。
 紙の袋が取りたくて遠目で取ったから大きさが伝わりにくいかもだけど、近くによると……。
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 結構食べがいがある大きさ。
 レタスが折りたたまれているのが珍しい。これで結構背が高くなっているんだけど。
 でもね。肉の味がしっかりしていて、かなりおいしいハンバーガーだった。
 これはまた食べたい。特別なことをしていないシンプルなハンバーガーなのに、うまい。

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次の日はステーキ丼食べた

 メニューで見てたステーキ丼が気になって。
 どうしても食べたくて。食べたくて。食べちゃった。
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 着丼!
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 このステーキ丼もなかなかよ。
 ステーキの火の通り方は丁度良いし、ご飯はバター醤油味で背徳感満点。
 いやー、これはうまいわ。
 ちなみにインスタ映え狙うならローストビーフ丼を食べるがよろし。

 高さ17mもの津波が海辺に建つホテルを襲った。


震災遺構「たろう観光ホテル」

 今回紹介するのは東日本大震災における災害遺構で確実に北の大物というべき物件。
 宮古市北部の田老という街にそれは存在する。震災遺構「たろう観光ホテル」だ。
 たろう観光ホテルは1986年にオープンした観光旅館。地上6階建てで、それほど高い建物がない田老ではシンボルになるような建物だ。
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 震災前の姿を残す写真。
 このたろう観光ホテルは東日本大震災の震災遺構の保存に、初めて国費が投入された物件である。
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 震災による津波で1階から2階部分の壁などは全て抜け落ちて、鉄骨だけの状態になっている。


津波は全てを押し流す

 この6階建ての建物を見上げる。
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 見上げると3階部分の窓がない。
 2階の天井ですら高いのだ。高さ17mにもなる津波がここに来たのだ。2階だけでなく、3階も壁の一部が破壊されて、窓ガラスがなくなっている。
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 東側に回ると3階部分の壁が大きくなくなっている。
 おそらくこちらの方向から波が入ってきたのだろう。
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 ものすごい勢いで流れた津波は全てを押し流した。
 エレベーターの籠もかなりの力で押されたせいかひしゃげてしまっている。
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 1階部分で残っているのは鉄骨と階段、エレベーターの籠と枠だけだ。もちろん全てを押し流した結果、ここには大量の瓦礫が山積みとなった。いまではきれいに撤去されている。
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 震災によって地殻変動が起きて、2.18m動いたことを示す看板。一等登記基準点がここにあったが、2.18m東南方向に移動し、高さは0.31m下がった。震災により大きく地殻変動が起きた。あまり気づいていないけど、震災とその後の地殻変動で東京でも数cmから数十cm単位で動いている。
 残念なことに元の位置と新しい位置の写真を撮り忘れてしまった。

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内部見学ができる

 このたろう観光ホテルの特徴として、内部が見学できる。
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 ただし、予約する必要がある。詳細はホームページで確認して欲しい。

 年に何回か(一度だけ?)、無料見学日があるので、それに参加してみた。
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 内部の見学はこの外にある非常階段を上がる。
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 もちろん修復されているが、被害を受けた階段を上がる。
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 客室の畳は剥がされていたが、テレビや冷蔵庫、金庫などはそのまま置かれていた。
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 こう見ると何も影響が無かったように見える。
 それは高いところだったからであって、下は地獄である。
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 エレベーターも至って普通だ。
 まぁ、内部見学しても被害に遭ってない部分を見ても仕方がないっちゃー仕方がないのだけど、階段を上がっていくときにこの高さまで津波が来たと思うと、恐ろしさをイヤというぐらい実感できる。
 内部では震災当時の津波が来ているところの映像が流されており、その場で津波が来たときと平常時の違いが実感できるようになっている。この映像は撮影禁止なので、ここに来て見るしかない。
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 三陸地方は、地震が来れば津波に何度も襲われてきた。津波に対する防災意識は高い方だったと言える。このような張り紙もなされていた。小さい頃からそういった教育を受けてきたはずなのだけど、あれだけ多くの犠牲者がでてしまった。津波に対する防災意識はいくらあっても足りない。


近くにあるJFたろう製氷貯氷施設

 近くの港には漁協の製氷貯氷施設がある。
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 ここには明治、昭和、平成の各津波の高さが書かれている。
 昭和三陸津波が10m、明治三陸津波が15m、平成の東日本大震災津波が17.3m。
 これだけの高さで津波はやってくる。勢いをつけてやってくる。しかもそれは波が高いのとは確実に違う。海面が上昇して押し寄せるのだ。その津波の前で人間は無力である。とにかく、逃げるしかない。一刻も早く、高いところへ。心配になって戻ってはいけない。きっと逃げているはずだ。そう信じて、逃げるしかない。

 かつて原子力発電所が稼働していた町には、時が止まった回転寿司屋がある。


福島第二原発がある町

 福島県双葉郡富岡町。
 福島第二原子力発電所がある町。
 そして、福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域の南端の町。
 現在は、東京電力福島復興本社がある。
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 津波でやられた富岡駅も復旧し、新しい駅舎ができた。
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 少しずつ、復興していっていると言えるだろう。
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 放射線量もほぼ正常と言っていいレベル。

 富岡町は避難指示区域になっていたが、2017年4月1日より解除されて、再び人が住めるようになった。
 とはいえ、町の人口(住民票登録数)は2019年8月末時点で12,865人に対し、実際に住んでいるのは1,107人。まだ10%にも満たない人々しか戻ってきていない状況である。復興への道のりはまだまだ長い。


そこには2011年の3月があった

 一時期警戒区域となって立ち入りが制限されていた富岡町。現在は一部区域を除いてそういった制限は解除されている。帰ってきた人々に店がなかったら困るということで、富岡町が設置したさくらモール(スーパー、ドラッグストア、ホームセンターが入居)の向かいには回転寿司屋がある……いや、あった。
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 「回転寿司アトム」と、このご時世で聞くとなかなかシュールな名前になってしまった。おそらく、原子力発電所が近くに立地していることから付けた名前なのだろう。もっとも、それは深く考えて付けられた名前ではないのかもしれない。震災直後の週刊誌にはこの店が原子力ムラの象徴などと書かれた。
 店の駐車場は現在富岡町交流サロンの駐車場になっている。この交流サロンとは帰宅困難区域に一時帰宅する場合や、遠隔地に避難した人々が帰省する際の休憩所として使えるようにしている施設である。
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 駐車場は活用されており、建物に囲いがあるわけではないので、ただの一時閉店しているようにも見える。ただ、窓から中を覗いてみると、店の中は2011年3月11日で止まっていた。
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 テーブルの上の醤油差しもそのままの状態。
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 値札を見ると、当然、消費税は5%だ。
 いくら何でも震災から8年も経てば片付けることはいくらでもできたはずなのに、ほぼそのままの状態で残っているのが生々しい。
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 窓側の(たぶん)水のサーバーに入っている水は緑色に変色し、実はお茶が入っていたんじゃないかと一瞬思った。それだけの長い年月が流れている。

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いつまであるかわからない

 この店の主は現在いわき市で焼き鳥屋を営んでいるという。
 このお店については2018年2月に取り壊すという意向が示されていたが、訪問した2019年2月現在ではまだ残っていた。とはいえ、行政が関わらず民間所有である上に、震災遺構として残す意向も示されていないので、いつまで残っているかわからない。もしかしたら取り壊されているかもしれない。
 原子力発電所事故は、ある日突然そこから去らなくてはいけなくなる。そこには生活していたそのままの状態で、何年も戻れなくなることがある。そのことを実感する場所であることは間違いない。

 岩手からの帰りは、グランクラスだ!


2年間の岩手生活終了!ご褒美はグランクラス!

 岩手生活も2年間。ついに、本社に戻るときが来たよ。
 岩手にいたことで色々と体験できたこと、楽しんだこと、生活することで見えてきたこと、たくさんあったよ。特にイオンが生命線だってことがわかったね。震災についても色々と学ぶことができた。
 そんな楽しい生活もいよいよ終わり。
 また、満員電車に揺られて通勤する日々が来る。
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 というわけで、自分へのご褒美にグランクラスで帰るっちゃ!
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 なんか最近地方駅で流行っている「旅立ちの言葉」。北上駅にもあったね。
 北上駅は東口は子会社委託なので駅長ではなく、業務長なんだーなんてマニア視線で見る。
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 いよいよこれで岩手生活終わりなんだー、なんて思う。
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 そして、扉が開いた。

 今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る…
 今、万感の思いを込めて汽車が行く…
 一つの旅は終わり、
 また新しい旅立ちが始まる。
 さらば、のん…
 さらば岩手で暮らした日々よ!

 ……ごめん。
 別に汽笛は鳴らなくて、鳴ったのは発車メロディーだった。
 ちなみに「のん」さんは、岩手ではJAと岩手銀行のCMに出ているので、テレビでよく見る。


グランクラスの座席をチェック

 まぁ、そんな色々な思いをちーっとばかし考えたりして、涙がちょちょぎれたりしたけど、そんなことはどうでも良くて、座席チェック。
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 イメージ的にはJALの古い方のファーストクラスの座席に似てるかな。
 色が同じ系統だからそう思うのかもしれないけれど。
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 こちらは2人掛けの席。
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 座席の各部位は調整可能。
 座り心地としては、いいと思うよ!

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機内食……じゃなかった、車内食

 さて、座席にはメニューが刺さってた。
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 というわけで、メニューを開く。
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 ごあいさつから。
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 中身のメニュー。
 現在はグランクラスのメニュー刷新が行われているので、現在とはサービスがちょっと違う。
 和軽食か洋軽食からチョイス。まぁ、洋軽食はサンドイッチ。
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 和軽食を頼んでみた。
 ドリンクは「スパークリングアルコール」という謎のカテゴリーの酒を頼んだら、青森のりんごシードルが登場。
 単なるスパークリングワインよりも、なんか東北っぽくていいね。
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 お弁当をオープン。
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 まぁ、あれだ。
 駅弁だ。
 なんつーか、これだったらお好きな駅弁1個プレゼントの方がいい気がしなくもない。
 八戸の小唄寿司とか食べたい。
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 なんだろう。
 ANAのプレミアムクラス感が半端ねぇ。
 あっちも地方路線だと駅弁みたいなのが出てくるから、なおさらその感じが増幅されてる。
 (ちなみに仙台空港発はウェルネス伯養軒が作ってる)


お菓子ももらう

 さて、食後。
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 ……その前にビールを一杯。
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 おつまみもくれたよ。
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 〆は紅茶とりんごのパウンドケーキ。
 パウンドケーキは結構おいしかった。


グランクラスねぇ……

 というわけで初めてのグランクラス。
 たぶん最後のグランクラス。
 乗ってみたけど、やっぱり飛行機と違って何回も客の出入りがあるので、サービスの仕方が難しいかなって思った。あと、各乗客の行先がわかる(はず)なのだから、車内放送は原則としてしなくていいんじゃないかなぁ。アテンダントが声をかければいいのかなって気がする。満席だとちょっと厳しいのかな。
 まぁ、このサービスを提供しようとする努力は認める。個人的にはもっとわくわく感がする方向に行ってもらいたいなーなんて思ったりする。

 震災遺構が数多く残る、陸前高田市。
 新しい施設がオープンしたので、行ってみた。


高田松原津波復興祈念公園が一部オープン

 2019年9月22日。釜石で開かれるラグビーワールドカップに合わせるように、陸前高田市に高田松原津波復興祈念公園が一部オープンした。この施設は以下の施設から構成される。
 ・道の駅高田松原
 ・岩手県東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)
 ・高田松原国営追悼・祈念施設
 ・震災遺構「奇跡の一本松」
 ・震災遺構「陸前高田ユースホステル」
 ・震災遺構「道の駅高田松原タピック45」
 ・震災遺構「下宿定住促進住宅」
 ・震災遺構「気仙中学校」
 これらの施設が集結しており、東日本大震災における津波被害を学ぶ場としても最大の施設となる。
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 というわけで、早速行ってきたよ。


道の駅・高田松原

 震災によって道の駅高田松原タピック45が被災し、その後営業休止中となっていた道の駅高田松原が約8年半ぶりにオープンした。
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 津波復興祈念施設を兼ねているため、モノトーンな建物。
 かなりでかく感じるが奥行きがないためそれほど大きい施設というわけではない。
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 鳥取のすなば珈琲が出店してた。
 公式ホームページでは一切存在が書いてないが、たぶん本物だろう。鳥取県知事のお花もあったし。
 内部は所謂普通の道の駅と同じ地場産品販売とレストランなどなど。
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 天丼食べた。
 まぁ、普通。

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岩手県東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)

 道の駅高田松原と同じ建物に岩手県東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)がある。
 岩手県が設置した震災伝承施設である。
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 陸前高田市にあった旧・気仙大橋の橋桁が展示されている。
 気仙川河口から500mの地点にかかっていた気仙大橋だが、津波によって橋桁が流された。
 津波の威力により橋桁は折れ曲がり、307m上流に流された。重さは2.5t。これほどの重さのものでも、津波は流していく、その威力はすさまじい。津波はそのまま気仙川を8kmも遡って、山間の集落にも被害を与えた。
 この気仙大橋は国道45号線の橋で、この橋が流されたことによって仮橋が開通するまでの4ヶ月間、かなり上流まで行かないと川を渡ることができず、迂回を強いられた。
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 こちらは津波によって流された田野畑村消防団の消防車。
 津波にのみ込まれ山際まで押し流された。乗車していた消防団員は奇跡的に無事だった。
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 津波で被害に遭った看板などが展示されている。
 他にも国土交通省の国道啓開作業である櫛の歯作戦についての展示、東北地方整備局のオペレーションルームの再現施設などがあった。
 基本的には映像資料多めなので、震災遺構と呼ばれるものは少ないが、それらは外にたくさんある。
 特に、消防団、漁業無線局、地元建設業者、自衛隊、後方支援活動、消防、警察の果たした役割などがまとめられており、初めて知った情報も多かった。
 特に漁業無線局では本来地上同士の交信は違法だが、連絡が通じない中で千葉茨城の陸上局を経由して岩手県庁に避難者情報などを伝えた話は初めて知った。
 地元民の意向が無視されて決められた展示施設と地元の方は言っているらしい。ただ、この施設は「岩手県の」施設だ。広く被害を受けた岩手県全体を網羅した展示にしなければならないだろう。そういった意味で、陸前高田のことを残すのであれば、陸前高田市が主導となった施設を整備する必要があるだろう。


奇跡の一本松と陸前高田ユースホステルと太平洋

 道の駅と津波伝承館の裏側には海へ向かって道が続く。
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 大きな大きな太平洋に向かって。
 突然津波という牙をむいた太平洋に向かって。
 多くの人やものを飲み込んだ太平洋に向かって。
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 海岸では松原の再生事業が始まっていた。
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 振り返ると陸前高田の街が見える。
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 そこから遊歩道で陸前高田ユースホステル跡地に行くことができる。
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 そして、その傍らには奇跡の一本松がある。
 奇跡の一本松については以前の記事を参照して欲しい。



旧・道の駅「高田松原タピック45」

 被災した道の駅は現在整備工事中。
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 特徴的な建物を裏から見るとこんな感じ。
 津波エネルギーを分散させることを考えてこの形になったらしい。
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 これから整備されて公開される予定。

 このほか、震災遺構施設は「気仙中学校」「下宿定住促進住宅」などあるが、現在整備中。今後、整備が終われば様々な震災遺構施設を見ることができ、震災学習の一大拠点となる。今回のオープンは陸前高田の震災復興において一つのマイルストーンになったのではないだろうか。


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旧・米沢商会ビル

 そういえば以前紹介した米沢商会ビルのその後が気になったので行ってみた。

 JRBRT陸前高田駅に行ってみると、同じ場所にそのビルは建っていた。
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 周りはかさ上げによって高くなったため、中国の立ち退きに反対しているビルみたいになっている。
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 これ、雨水とかたまらずにちゃんと流れていくのだろうか。
 公的支援が入らず、民間によって保存されているだけに今後が心配だ。

 震災遺構が数多く残る陸前高田市。
 後編は大物登場でございます。


旧・気仙中学校

 「気仙中学校前」というバス停で降りる。
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 周囲に民家はなく、乗降する客は限りなく0に近いと思われる。
 もちろん、震災前には周りに民家があったらしい。「あったらしい」としか書けないほど周りは復興事業によって工事されており、震災後の航空写真でも、全て流されてしまっているのがわかる。
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 3階建ての校舎の窓は全て破壊されている。それだけの津波が襲ったのだ。
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 津波の高さは14.2m。校舎の屋上の高さすら超えている。
 これでは、屋上に避難していたとしても助からない。50cmの津波でも成人男性の80%が流されるのだ。
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 気仙川の河口に位置する気仙中学校は教職員の機転により命が失われることはなかった。
 気仙川の水が引いて、川底が見えたことで津波が来ることを確信し、避難を開始した。最終的には4カ所ほど場所を変えながら、上へ上へと避難した。
 もし校庭に避難していたら、もし屋上に逃げていたら、全員が無事ということにはならなかったかもしれない。津波の際にはとにかく高いところへ逃げること、それしかない。


旧・道の駅高田松原

 陸前高田市の海岸沿いには道の駅高田松原があった。岩手県内で最初に認定された道の駅だった。
 震災によって、道の駅どころか名前に入っている松原自体も津波によってなくなってしまった。
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 訪れたときは近寄ることもできなかった。
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 一見普通に建っているように見えなくもないけれど、やはり破壊されている。
 この特徴的な形の建物は津波避難施設としての役割も併せ持っていた。海側からの登りやすさなどを考慮して三角形の特徴的な外観をしている。
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 内部はめちゃくちゃに破壊されており、鉄骨なども「ぐにゃり」と曲がってしまっている。ものすごい力だ。
 津波によって建物の上部をわずかに残して水没した。なんとか3人が屋根裏まで逃げて難を逃れることができた。水位がどんどん上がってくることに、恐怖を感じたことだろう。
 道の駅高田松原はついに2019年9月22日に移転再オープン予定。
 この旧道の駅は震災遺構として保存される。

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旧・米沢商会ビル

 JR大船渡線陸前高田駅は、BRTの駅としてかさ上げされた新市街がある高台にオープンしている。
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 バスの駅だけど、みどりの窓口もある。
 新しいバスの駅から海側を見渡すと、ビルが1棟残っているのが見える。
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 ただ、ぽつんと残るビル。
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 これが旧米沢商会ビル。
 周囲がかさ上げして土の下埋まっていく中、ここだけは元の高さが残っていることがわかる。
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 津波によって窓は全て無くなっている。
 それでも耐震性には問題がないとのこと。頑丈に作られた建物は津波に耐えた。
 そして、この建物の保存に公費は使われておらず、所有者の負担によって保存することとなった。
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 屋上の上、ほんのわずかだけ高くなっている部分、そこの部分まで津波が押し寄せた。
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 まさにギリギリである。
 米沢商会の店主でビルの所有者はここで津波から逃れ、助かった。
 1m四方の一人分のスペースしかない。津波が襲ったとき、見渡す限りあたり一面は水で覆われていたはずだ。そこで見た光景はどんなものだっただろうか。これ以上、水位が増すのか、次の波が来たときはどうなるのか。想像するだけで恐ろしい。

 東日本大震災で多くの犠牲者が出た陸前高田市。
 その数は石巻市に次いで多く、実に1,757名にもなる。


街が壊滅した陸前高田

 アナウンサーが読み上げるニュースで耳を疑うことというのは、それほどないと思う。自分の記憶の中でそれほどない耳を疑うニュースがどんどん飛び出していたのが、震災直後のニュースだった。特に印象に残っているのは「消防庁の発表によりますと、岩手県陸前高田市はほぼ壊滅状態とのことです」「JR仙石線は2本の電車の行方がわからなくなっています」の二つ。言ってる意味が分からないと最初思ったものだった。
 そんな陸前高田市には震災遺構が数多く残っている。
 陸前高田の震災遺構は奇跡の一本松だけじゃない。


奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル

 震災前、陸前高田の海岸には松林が広がっており、その中に陸前高田ユースホステルがあった。
 松林はすべて津波によって流出したが、そのうち1本だけ流されずに奇跡的に耐えた。
 それが有名な奇跡の一本松である。
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 残念ながら奇跡の一本松は塩害により枯れてしまったが、科学の力を惜しみなく投入しサイボーグ化(というより剥製に近いか)してなんとか今ここに立っている。ちなみに、その作業の際に取り払われた枝から陸前高田市の市長印が作られている。
 震災直後に多額のお金をかけて、いま奇跡の一本松はここに立っている。もちろん、このお金を被災者に回した方がいいのではないかと批判があった。被災者自身もそういう意見が多かったし、全国の人もそう思っていた人が多くいた。自分もそう思っていた。でも、今になって思えば、この奇跡の一本松があることで、救われた気持ちもあったんではないかと思うし、(文字通り)一つの柱になるものがあるというのはいいことなのではないかと思う。
 今後はユースホステルの建物やその他周辺一帯を復興公園として整備される予定。

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旧・下宿定住促進住宅

 奇跡の一本松から国道45号線を大船渡方向に向かうと、マンションが残っている。
 旧・下宿定住促進住宅だ。
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 この5階建ての共同住宅を津波が襲った。
 側面をよく見てみると津波到達位置を示す看板が見える。
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 14.5m。この街を襲った津波の高さだ。
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 この写真を見てもらえばわかるとおり、4階までめちゃくちゃになっている。
 では、5階は安全だったかというと、浸水してる。なので、安全だったのは屋上に上がった場合だけだった。


旧・大船渡線踏切

 国道45号線から横の道に入ると、かさ上げ工事が行われている中に踏切が残っていた。
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 この踏切の部分だけ線路が残っている。もしかしたら、もうないかもしれない。
 大船渡線は津波により大きな被害を受け、この区間はバスによる復旧となっている。もう、ここに列車が走ることはない。周囲がかさ上げされてもここだけ残っているのが不思議である。


ガソリンスタンドの看板

 道の駅陸前高田跡地(次回紹介)の向かい側にガソリンスタンドがあった。
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 私が行ったときには元々国道45号線沿いにあったガソリンスタンドは道がつけ変わったことによって、このときは脇道の行き止まりにガソリンスタンドがあった。
 高いところにある看板のてっぺんにまで津波が到達していたことを示している。
 残念ながら今はこの場所にガソリンスタンドはない。かさ上げ工事の支障となるために移転したのだ。
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 看板は新店舗に移設された。岩手県の屋外広告条例により元の高さにすることはできなかったため、低い位置になってしまった。ただ、この大きさと色は例外的に認められたらしい。

 東日本大震災で津波により大きな被害を受けた仙台空港。
 米軍の協力により、驚異的な早さで復旧し、「トモダチ作戦」の拠点となった仙台空港。
 そこから歩いて行けるところに、災害遺構がある。


岩沼市沿岸の津波避難場所整備

 宮城県岩沼市の沿岸は津波被害を受けた地域である。元々、いくつか集落があったが災害危険区域に指定されたこともあって、集団移転を余儀なくされた。その跡地に震災で岩沼市で発生した瓦礫の9割を使用して、津波避難施設が作られた。
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 これらの津波避難施設は「千年希望の丘」と名付けられて、6つの公園とそれを結ぶ園路で構成されている。今回は、そのうちの災害遺構としても保存されている公園を紹介する。


空港から歩ける相野釜公園の災害遺構

 仙台空港から歩くこと徒歩20分。ちょっと歩くにはしんどいか。
 歩けなくはないところにある、千年希望の丘中心施設となる相野釜公園。
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 駐車場に車を止めるとまず目に入ってくるのは倒れた火の見櫓だ。特に説明書きもなく、ただただ倒れたままに 置かれてる。
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 そのまま奥に進むと、家の基礎だけが残っているゾーンに入る。広々とした園内から想像できないけれど、ここには家々があった。
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 今では、基礎だけになっている家が悲しさを増幅させる。ここに家があった人は、これを見てどう思うか。ひと思いに壊してしまいたい、そんな思いを持つこともあるかもしれない。
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 古い家はトイレが基礎と直結しているせいか、だいたいトイレの便器も残っている。今まで見た震災遺構に共通する特徴。この知識役に立たないけどね。
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 繰り返すけど、確かにここには家があって、集落があって、136世帯417人の人々が暮らしていた。そして、東日本大震災の津波によって全ての家が被害に遭って、今はこの地域一帯が第一種災害危険区域に指定されている。第一種災害危険区域内では一切の住居を建てることができない。つまり、この地域に住んでいた人は皆この土地から離れることを余儀なくされた。こういったことは岩沼市に限らず、東北沿岸のどこの市町村でも発生している。

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相野釜公園の津波避難施設

 相野釜公園の中には津波避難施設となる丘が2つある。
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 岩沼市としては、津波多重防御として、防潮堤・千年希望の丘・貞山堀の護岸・かさ上げ道路(玉浦希望ライン)の4種類を整備し、津波から防御あるいは威力を弱めることにより、避難する時間を作るという津波対策をしている。海岸から山が近くにないということもあって、そのような対策になっているようだ。リアス式海岸では山が近くにあるけれど、その分津波の遡上高が上がり威力も増す一方で、平野部であれば遡上高はそれほどでもないけれど避難する場所がないということなので、避難施設を作ることが有効となる。
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 2号丘からは仙台空港がよく見える。ちなみに仙台空港至近には名取市北釜防災公園という同じコンセプトで作られた津波避難施設があり、そちらの方が飛行機の離発着はよく見える。
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 名取市側には一軒だけ残っている家があった。 
 この家はどうするのだろうか。


石蔵が残る二野倉公園

 回りがソーラー発電所だらけの二野倉公園。
 そこに一軒の石蔵が残っている。当然、ここにも集落はあったのだ。
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 このあたりの津波浸水深は5.1m。住宅の2階まで達するような高さまで津波が来ているにもかかわらず、この石蔵はなんとか耐え抜いた。回りの木造の家は流れるか、壁が破壊されて柱だけの状況になっているにもかかわらずである。
 さすが、石蔵と言わざるえない。さすがに、この頑丈さで全ての建物を作るのは無理だけれど。


生き残った大銀杏がある長谷釜公園

 さらに南下をしていく。
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 長谷釜公園の中には神社が残っている。正確にはここは公園内ではないかもしれないけれど。
 その中でひときわ目に付くのが大銀杏だ。高さ18m、樹齢約300年以上。この大銀杏は津波に耐えた。おそらく、何回もの津波を経験して耐えてきた。
 この銀杏は今でも生きている。写真は冬の写真なのでわかりにくいが、春には新芽が芽吹き、秋には黄色く葉を染める。幾度となく、襲われた津波に耐えたのだ。そして、これからも耐えるのだろう。

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