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当ブログの写真・文章の転載はご遠慮ください(法的に認められた引用を除く)。

カテゴリ: 日本

 震災遺構が数多く残る陸前高田市。
 後編は大物登場でございます。


旧・気仙中学校

 「気仙中学校前」というバス停で降りる。
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 周囲に民家はなく、乗降する客は限りなく0に近いと思われる。
 もちろん、震災前には周りに民家があったらしい。「あったらしい」としか書けないほど周りは復興事業によって工事されており、震災後の航空写真でも、全て流されてしまっているのがわかる。
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 3階建ての校舎の窓は全て破壊されている。それだけの津波が襲ったのだ。
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 津波の高さは14.2m。校舎の屋上の高さすら超えている。
 これでは、屋上に避難していたとしても助からない。50cmの津波でも成人男性の80%が流されるのだ。
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 気仙川の河口に位置する気仙中学校は教職員の機転により命が失われることはなかった。
 気仙川の水が引いて、川底が見えたことで津波が来ることを確信し、避難を開始した。最終的には4カ所ほど場所を変えながら、上へ上へと避難した。
 もし校庭に避難していたら、もし屋上に逃げていたら、全員が無事ということにはならなかったかもしれない。津波の際にはとにかく高いところへ逃げること、それしかない。


旧・道の駅高田松原

 陸前高田市の海岸沿いには道の駅高田松原があった。岩手県内で最初に認定された道の駅だった。
 震災によって、道の駅どころか名前に入っている松原自体も津波によってなくなってしまった。
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 訪れたときは近寄ることもできなかった。
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 一見普通に建っているように見えなくもないけれど、やはり破壊されている。
 この特徴的な形の建物は津波避難施設としての役割も併せ持っていた。海側からの登りやすさなどを考慮して三角形の特徴的な外観をしている。
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 内部はめちゃくちゃに破壊されており、鉄骨なども「ぐにゃり」と曲がってしまっている。ものすごい力だ。
 津波によって建物の上部をわずかに残して水没した。なんとか3人が屋根裏まで逃げて難を逃れることができた。水位がどんどん上がってくることに、恐怖を感じたことだろう。
 道の駅高田松原はついに2019年9月22日に移転再オープン予定。
 この旧道の駅は震災遺構として保存される。

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旧・米沢商会ビル

 JR大船渡線陸前高田駅は、BRTの駅としてかさ上げされた新市街がある高台にオープンしている。
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 バスの駅だけど、みどりの窓口もある。
 新しいバスの駅から海側を見渡すと、ビルが1棟残っているのが見える。
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 ただ、ぽつんと残るビル。
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 これが旧米沢商会ビル。
 周囲がかさ上げして土の下埋まっていく中、ここだけは元の高さが残っていることがわかる。
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 津波によって窓は全て無くなっている。
 それでも耐震性には問題がないとのこと。頑丈に作られた建物は津波に耐えた。
 そして、この建物の保存に公費は使われておらず、所有者の負担によって保存することとなった。
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 屋上の上、ほんのわずかだけ高くなっている部分、そこの部分まで津波が押し寄せた。
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 まさにギリギリである。
 米沢商会の店主でビルの所有者はここで津波から逃れ、助かった。
 1m四方の一人分のスペースしかない。津波が襲ったとき、見渡す限りあたり一面は水で覆われていたはずだ。そこで見た光景はどんなものだっただろうか。これ以上、水位が増すのか、次の波が来たときはどうなるのか。想像するだけで恐ろしい。

 東日本大震災で多くの犠牲者が出た陸前高田市。
 その数は石巻市に次いで多く、実に1,757名にもなる。


街が壊滅した陸前高田

 アナウンサーが読み上げるニュースで耳を疑うことというのは、それほどないと思う。自分の記憶の中でそれほどない耳を疑うニュースがどんどん飛び出していたのが、震災直後のニュースだった。特に印象に残っているのは「消防庁の発表によりますと、岩手県陸前高田市はほぼ壊滅状態とのことです」「JR仙石線は2本の電車の行方がわからなくなっています」の二つ。言ってる意味が分からないと最初思ったものだった。
 そんな陸前高田市には震災遺構が数多く残っている。
 陸前高田の震災遺構は奇跡の一本松だけじゃない。


奇跡の一本松と陸前高田ユースホステル

 震災前、陸前高田の海岸には松林が広がっており、その中に陸前高田ユースホステルがあった。
 松林はすべて津波によって流出したが、そのうち1本だけ流されずに奇跡的に耐えた。
 それが有名な奇跡の一本松である。
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 残念ながら奇跡の一本松は塩害により枯れてしまったが、科学の力を惜しみなく投入しサイボーグ化(というより剥製に近いか)してなんとか今ここに立っている。ちなみに、その作業の際に取り払われた枝から陸前高田市の市長印が作られている。
 震災直後に多額のお金をかけて、いま奇跡の一本松はここに立っている。もちろん、このお金を被災者に回した方がいいのではないかと批判があった。被災者自身もそういう意見が多かったし、全国の人もそう思っていた人が多くいた。自分もそう思っていた。でも、今になって思えば、この奇跡の一本松があることで、救われた気持ちもあったんではないかと思うし、(文字通り)一つの柱になるものがあるというのはいいことなのではないかと思う。
 今後はユースホステルの建物やその他周辺一帯を復興公園として整備される予定。

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旧・下宿定住促進住宅

 奇跡の一本松から国道45号線を大船渡方向に向かうと、マンションが残っている。
 旧・下宿定住促進住宅だ。
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 この5階建ての共同住宅を津波が襲った。
 側面をよく見てみると津波到達位置を示す看板が見える。
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 14.5m。この街を襲った津波の高さだ。
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 この写真を見てもらえばわかるとおり、4階までめちゃくちゃになっている。
 では、5階は安全だったかというと、浸水してる。なので、安全だったのは屋上に上がった場合だけだった。


旧・大船渡線踏切

 国道45号線から横の道に入ると、かさ上げ工事が行われている中に踏切が残っていた。
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 この踏切の部分だけ線路が残っている。もしかしたら、もうないかもしれない。
 大船渡線は津波により大きな被害を受け、この区間はバスによる復旧となっている。もう、ここに列車が走ることはない。周囲がかさ上げされてもここだけ残っているのが不思議である。


ガソリンスタンドの看板

 道の駅陸前高田跡地(次回紹介)の向かい側にガソリンスタンドがあった。
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 私が行ったときには元々国道45号線沿いにあったガソリンスタンドは道がつけ変わったことによって、このときは脇道の行き止まりにガソリンスタンドがあった。
 高いところにある看板のてっぺんにまで津波が到達していたことを示している。
 残念ながら今はこの場所にガソリンスタンドはない。かさ上げ工事の支障となるために移転したのだ。
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 看板は新店舗に移設された。岩手県の屋外広告条例により元の高さにすることはできなかったため、低い位置になってしまった。ただ、この大きさと色は例外的に認められたらしい。

 書かぬ訳にいかないが、書けないことも多いTeppei101オフ会。


というわけで、今回の旅の主目的

 Teppei101オフ会よ。
 今年も千葉モノレール貸し切ったのよ。
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 昭和感溢れる駅名看板。
 いや、昭和ではないか、平成初期感。
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 貸切列車は運行システム上は回送らしい。
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 貸切車が到着~。
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 なんかラッピング車だったよん。


あとは秘密

 まぁ、色々飲んで食べて終わったでよ。
 参加者のみんな、一つだけ約束だ。
 お土産の食べ物は人数分持ってこようとするな!とてもじゃないけど余る。
 ホントマジで、みんなが全員に一つ分とかの量を持ってこないで、自分が食べる分+αぐらいにしておかないと大変なことになるぞ!(大変なことになってた)

 東京ってホテル高いなー。
 いや、俺の財布の基準が厳しいのかもしれない。


自民党の先生に陳情しに行ぐだホテル

 こんなこと書くと怒られるかもしれんけど。
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 今夜のホテルは全国町村会館。
 公式ホームページを見ると地方公務員プランとかあるので、やっぱりそれ系の公共のお宿なのだろうか。とはいえ、ただの一市民の私は楽天トラベルで予約。地方公務員プランよりも楽天トラベルの方が安かった。いいのかそれで。アイデンティティーが脅かされてないか?
 週末は最安7,500円程度。永田町駅徒歩1分。アクセスはバッチリ。
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 まぁ、なんというかすぐ裏が自民党本部なので、「おらが村の村長が、道路を作る陳情に行ぐだ」的なホテルの感じがする。田中角栄事務所があった砂防会館も近いしね。


部屋は少し広い

 最近の10㎡切りそうなビジネスホテルに比べて部屋が少し余裕ある。とはいえ18㎡。
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 ちゃんと寛ぐ用のイスが用意されているのがGood!
 東京のど真ん中でこの値段でこの広さなら充分安い!なんか最近インバウンドの影響か、安いホテルはクソボロいのが多いので、いいね!永田町だから夜になるとかなり静か。
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 まぁお風呂は標準的か。
 それでも湯船が少し広いと思う。
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 首都高速ビュー。やね。
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 意外と緑が多いな。
 というわけで、なかなかコスパの良いホテルだったよ!
 東京に泊まることがあれば、泊まるのいいねって思うけど、多分泊まる機会がもうない。

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おまけ

 そんな永田町駅前。
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 希望の党が選挙講座やってた。
 希望の党ってまだあるんだっけ?どっちかと言うと絶望の党?

 東日本大震災で津波により大きな被害を受けた仙台空港。
 米軍の協力により、驚異的な早さで復旧し、「トモダチ作戦」の拠点となった仙台空港。
 そこから歩いて行けるところに、災害遺構がある。


岩沼市沿岸の津波避難場所整備

 宮城県岩沼市の沿岸は津波被害を受けた地域である。元々、いくつか集落があったが災害危険区域に指定されたこともあって、集団移転を余儀なくされた。その跡地に震災で岩沼市で発生した瓦礫の9割を使用して、津波避難施設が作られた。
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 これらの津波避難施設は「千年希望の丘」と名付けられて、6つの公園とそれを結ぶ園路で構成されている。今回は、そのうちの災害遺構としても保存されている公園を紹介する。


空港から歩ける相野釜公園の災害遺構

 仙台空港から歩くこと徒歩20分。ちょっと歩くにはしんどいか。
 歩けなくはないところにある、千年希望の丘中心施設となる相野釜公園。
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 駐車場に車を止めるとまず目に入ってくるのは倒れた火の見櫓だ。特に説明書きもなく、ただただ倒れたままに 置かれてる。
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 そのまま奥に進むと、家の基礎だけが残っているゾーンに入る。広々とした園内から想像できないけれど、ここには家々があった。
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 今では、基礎だけになっている家が悲しさを増幅させる。ここに家があった人は、これを見てどう思うか。ひと思いに壊してしまいたい、そんな思いを持つこともあるかもしれない。
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 古い家はトイレが基礎と直結しているせいか、だいたいトイレの便器も残っている。今まで見た震災遺構に共通する特徴。この知識役に立たないけどね。
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 繰り返すけど、確かにここには家があって、集落があって、136世帯417人の人々が暮らしていた。そして、東日本大震災の津波によって全ての家が被害に遭って、今はこの地域一帯が第一種災害危険区域に指定されている。第一種災害危険区域内では一切の住居を建てることができない。つまり、この地域に住んでいた人は皆この土地から離れることを余儀なくされた。こういったことは岩沼市に限らず、東北沿岸のどこの市町村でも発生している。

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相野釜公園の津波避難施設

 相野釜公園の中には津波避難施設となる丘が2つある。
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 岩沼市としては、津波多重防御として、防潮堤・千年希望の丘・貞山堀の護岸・かさ上げ道路(玉浦希望ライン)の4種類を整備し、津波から防御あるいは威力を弱めることにより、避難する時間を作るという津波対策をしている。海岸から山が近くにないということもあって、そのような対策になっているようだ。リアス式海岸では山が近くにあるけれど、その分津波の遡上高が上がり威力も増す一方で、平野部であれば遡上高はそれほどでもないけれど避難する場所がないということなので、避難施設を作ることが有効となる。
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 2号丘からは仙台空港がよく見える。ちなみに仙台空港至近には名取市北釜防災公園という同じコンセプトで作られた津波避難施設があり、そちらの方が飛行機の離発着はよく見える。
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 名取市側には一軒だけ残っている家があった。 
 この家はどうするのだろうか。


石蔵が残る二野倉公園

 回りがソーラー発電所だらけの二野倉公園。
 そこに一軒の石蔵が残っている。当然、ここにも集落はあったのだ。
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 このあたりの津波浸水深は5.1m。住宅の2階まで達するような高さまで津波が来ているにもかかわらず、この石蔵はなんとか耐え抜いた。回りの木造の家は流れるか、壁が破壊されて柱だけの状況になっているにもかかわらずである。
 さすが、石蔵と言わざるえない。さすがに、この頑丈さで全ての建物を作るのは無理だけれど。


生き残った大銀杏がある長谷釜公園

 さらに南下をしていく。
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 長谷釜公園の中には神社が残っている。正確にはここは公園内ではないかもしれないけれど。
 その中でひときわ目に付くのが大銀杏だ。高さ18m、樹齢約300年以上。この大銀杏は津波に耐えた。おそらく、何回もの津波を経験して耐えてきた。
 この銀杏は今でも生きている。写真は冬の写真なのでわかりにくいが、春には新芽が芽吹き、秋には黄色く葉を染める。幾度となく、襲われた津波に耐えたのだ。そして、これからも耐えるのだろう。

 大規模な地すべりにより、橋は土台から崩れた。
 今回は橋が保存されている場所を紹介する。


宮城・岩手内陸地震

 2008年6月14日8時43分。
 岩手県内陸南部を震源としてM7.2の地震が発生した。
 岩手県奥州市や宮城県栗原市では最大震度6強を観測した地震である。
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 この地震による建物被害は軽微だった一方で、山間部における山体崩壊、土砂崩れ、河道閉塞が多く発生した。

旧祭畤大橋

 岩手県南部の代表的な景勝地である厳美渓から、秋田県境に向かっていく国道342号線。
 その国道の途中左手に異様な姿をした橋を見ることができる。今回紹介する旧・祭畤大橋だ。
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 ちょっと国道からは離れているので漫然と走っていると通り過ぎてしまうかもしれない。
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 橋桁が水海に落ちているのがわかるだろうか。
 離れたところにあるが、元々の国道342号線はそこを走っていた。
 宮城・岩手内陸地震によって、大規模な地すべりが発生し、秋田側(写真右側)の橋台、橋桁どころか地盤自体が宮城側(写真左側)に10m移動したことによってこの橋は崩壊した。
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 この橋は耐震設計なされていたにも関わらず崩壊した。当時はあり得ないこととして、手抜き工事や設計ミスなども視野に入れて調査が行われた。その調査結果によると、橋梁を支える橋台や橋脚が地盤と共に10mほど地すべり性の移動したことにより崩壊したことが判明した。
 震央からわずか1km程度しか離れていない場所であったためか、地盤自体が動いてしまっては、耐震設計をいくら行っていても崩壊してしまう。
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 ちなみに今使用されているのが二代目祭畤大橋、地震で崩壊したのは初代祭畤大橋。二代目祭畤大橋の下を覗くと、橋が見える。これは地震には関係なく、初代祭畤大橋が開通するまで使用されていた祭畤橋である。
 こちらはそれほど大きくないせいか、使用されなくなり放置されているにもかかわらず、落橋することはなかった。使用されなくなって40年以上経過し、もうこの橋へ行く取り付け道路自体が存在しない。

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祭畤被災地展望の丘

 この旧・祭畤大橋を見学するための施設として祭畤被災地展望の丘が整備されている。
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 ここには旧祭畤大橋の破壊された橋桁の一部が保存されている。
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 ここには地震の概要や、土砂災害の発生状況、復旧状況などの説明看板があるので、ここで地震についての知識を自転車操業で仕入れておきたいところ。


祭畤災害遺構見学通路

 祭畤被災地展望の丘から秋田側へ進み、祭畤大橋を渡り終わったところを左折したところに、祭畤災害遺構見学通路がある。ここを見学できるのは9時~16時。
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 旧・国道342号線に歩道が設置されていて、歩くことができる。
 当然地すべりで、国道は崩壊している。
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 ここまで道が波打っているのは、地滑りを起こしたからだ。大量の土砂がそのまま移動したのである。
 歩道の階段に注目して欲しい。道路にもともと傾斜があったとしてもここまで階段が必要になるようなことにはならないし、傾斜が急だったとしたら均等に階段が必要になるはずである。ここでは、平らの部分と階段の部分が分かれている。それだけ不均等に沈下したことを示す。
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 最後は展望台のようになっているところが終点。
 ここで道はぶっつりと途切れている。その姿はまるでジャンプ台のようだ。


河道閉塞の現場もある

 この現場から国道342号線を一関方向に行くと河道閉塞の現場がある。
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 河道閉塞とは土砂崩れによって河川が埋まり、水の流れをせき止めることによって天然のダムができることである。これを放置すると、人工で造ったダムと違って堤体が脆弱なので崩壊し、一気にたまっていた水が下流を襲うことになる。当然、急激に水量が増えるわけで下流では洪水、氾濫、橋の損傷などの被害が考えられる。
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 そんな天然ダムが発生した場所。地震後に排水ポンプを設置して下流へ水を流そうとするが、限界があるので地震発生後4日間で一次仮排水路を設置。これによって天然ダムの水位上昇を抑制した。とはいえ抑制なので次に二次仮排水路を地震後22日目に完成し10年に1度の洪水は排水できるようになった。その後、本設の河道を掘削し、現在は100年に1度の洪水まで耐えられるようになっている。
 特に一次仮排水路や二次仮排水路を作るところまでは特に時間との勝負であったと思われる。今でこそ、この場所は平和そうであるけれど、一関市民の命がかかった工事が行われていたのである。

 東日本大震災で多くの駅が被災し、跡形もなくなった。
 けれど、わずかながらも被災した姿を残している駅がある。
 今回は、その駅を紹介する。


JR仙石線野蒜駅

 海沿いを走るJR仙石線の松島海岸と石巻のほぼ中間に、野蒜(のびる)という駅がある。
 震災前この駅では日中必ず列車同士の行き違いが行われていた。震災当時もこの駅で上り下り双方の電車が発車した後、地震が起こった。下り快速電車の3353Sは野蒜駅発車直後、たまたま高台に停車したため無事だった。この場所で停車し避難しなかったことで、犠牲者はでなかった。一方、上り普通電車の1426Sは平地に停車したため、津波によって流された。流された仙石線の映像を見た人も多いと思う。上り電車の乗客は津波が来る前に近くの小学校に避難していたが、そこも津波に襲われた。
 JR仙石線はこの震災で大きな被害を受けた地域について、別線での復旧を行った。そのため、新しくできた高台の住宅地に線路も駅も移ることになったため、元々の野蒜駅は廃止された。
 そんな命運を分ける上下行き違いが行われた旧・野蒜駅は現在東松島市震災復興祈念公園として整備され、公開されている。


野蒜駅2013

 そんな野蒜駅に震災から2年7ヶ月後に訪問した。
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 この時、駅前では近所の方々がお茶会を開いていた。
 話を聞くと仙石線の移設反対運動をしているという。
 この時野蒜周辺では高台に街自体を移転し、線路も移設するという計画が持ち上がっていた。仙石線の復旧は街の移設とセットである。仙石線が高台に移設されるということは、造成工事を行う時間の分、再建が年単位で遅れることになることを意味する。その場で復旧するならば、住民もその場で今すぐにでも自宅を再建することができるのに。
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 駅舎から裏手に回り、ホームを見る。
 細かい砂に覆われているのがわかる。津波で流されてきた砂だ。
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 当然、津波の勢いは強かったものの、ホームや上屋、駅舎自体も被害はあるもののその場にとどまることができた。
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 しかし、すでに移設が決定していたため、ここに電車が来ることはもうない。
 復旧することはないので、何も手が付けられていない状態だった。

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野蒜駅2018

 あの時から5年が過ぎた。
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 この5年間の間に、仙石線は内陸部に移転し、新しい野蒜駅ができた。
 仙石線の運行形態も大きく変わった。仙石東北ラインの開通に伴い高城町から仙台間は東北本線でショートカットする列車の運転も始まった。
 それでも、5年前に見た駅舎はその場所に残っていた。
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 各自治体1カ所のみ震災遺構を保存整備する費用が国から援助されるため、東松島市はこの旧・野蒜駅を保存することに決め、震災復興メモリアルパークとして整備された。
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 裏手に回るとホームと線路が残っていた。
 以前の写真と比べると、きれいに整備されている。
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 反対側に移動すると津波で流された線路を残っている。
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 なぎ倒された電柱も見える。
 しかし、ある意味きれいすぎる状態での保存である。
 あまりにもきれいすぎて、津波の威力を実感させる力が減ってしまっている気がしなくもない。


震災伝承館

 野蒜駅の駅舎だった建物は現在、改装されて「震災伝承館」として使われている。
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 震災当日の映像や東松島市の被害状況などの展示があり、津波で破壊された野蒜駅の自動券売機なども展示されている。仙石線の被害についても詳しくまとめられていた。報道写真が多用されているため、館内の写真がないのはご容赦願いたい。
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 駅周辺にはまだいくつか家が残っている。
 高台への移転に反対した人々なのだろうか。
 復興への考え方の違いは、地域を分断し住むところすらバラバラになってしまったのだった。

 災害遺構紹介第二弾は東日本大震災の災害遺構です。
 岩手県宮古市にあるメモリアルパーク中の浜を紹介します。


元々は静かな海辺のキャンプ場

 岩手県宮古から田老に向けて国道45号線を北上する途中で右折すると、中の浜という所に出ます。ここには震災前、緑豊かなキャンプ場がありました。
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 平成23年3月11日。ここを東日本大震災では約15mの津波が襲い、最大遡上高は21mにも及びました。その被害を受けた状態のまま、キャンプ場の施設が保存されています。
 幸いにも、冬の閑散期に発生したため利用者はいませんでしたが、建物や樹木に大きな被害が出ました。もし、夏の季節に起きていたらどうなったことかと思います。


津波に耐えたトイレ

 中へ進んでいくと左側に一つのかろうじて建っている建物が目に入ります。
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 鉄筋コンクリート造りのおかげか、なんとか津波に持ちこたえたキャンプ場のトイレです。
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 なんとか建物自体は耐えられても、中はボロボロに崩壊しています。
 個室の壁などは全て流れてしまい、便器だけが残っています。
 今後紹介していく震災遺構ではトイレの便器だけ残ったというものが多数あります。地面に作り付けているからか壁は破壊されても便器は残るようです。

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屋根が引きちぎられた炊事場

 さらに奥へ目をやると、もう一つ津波によって破壊されたものが目に入りました。
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 所謂キャンプ場の炊事場です。
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 被災前の写真を見てもらうとわかるとおり、ここには屋根がついていましたが、津波によって流れていってしまいました。残された鉄筋が、ものすごい力で屋根が引きちぎられたことを示します。


震災がれきで作られた丘

 さらに後ろには小高い丘があります。
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 丘に登ると海が見えます。
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 海に向かって右手の森の中に何やら看板があります。
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 拡大すると17mの標識。
 津波はあの森の看板の高さまで上がってきたのでした。
 津波の恐ろしいところは、あの高さまで波がかぶったということではないことです。一般的に波は、海面の上下を繰り返す形で押し寄せては引くというイメージですが、津波は大量の海水がひたすら押し寄せてきます。引くことはなく(もちろん大きな周期では押し寄せて引くの繰り返しですけど)、海面が上昇し続けるイメージです。
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 左の四角い三連枠の中に線が引かれているのがわかるかと思います。
 これは、津波がその線まで到達したことを示します。この丘はその高さが丁度目線の位置になるように作られています。わかりますでしょうか、大量の水が押し寄せ、海面がこの高さまで上昇するのです。
 どれだけの莫大な量の水が押し寄せてきているか、実感することになります。
 決して派手な施設というわけではありませんが、静かに津波の恐ろしさを訴えてくる施設です。

 現代美術ってなんかいいよね、とか書いちゃうと誰かの腰巾着だからそーゆーこと言う!とか文句出ちゃうね。でも、面白いとホントに思ってる。最初のきっかけは越後妻有トリエンナーレに行ったとき感じた。


現美新幹線に乗る

 上越新幹線の越後湯沢~新潟間は運行本数に余裕があって、おおよそ1時間に1本ぐらいしか走っていない。これって東北新幹線の本数や、北陸新幹線の本数に比べると、東京からの距離の割には少ない。そんな区間の活性化を図るために、現美新幹線なるものが2016年に登場した。
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 おそらく越後妻有トリエンナーレや十日町の現代美術館とかがある関係もあるのか、テーマは現代美術。現代美術の美術館を新幹線の中に作っちゃったという代物。
 まぁ、鉄オタからは非難囂々なのかもしれないけど、こういうの大好きです。


普通の新幹線の列車として運転

 土休日を中心に越後湯沢~新潟間を各駅停車で一日3往復運転。所要時間はおおよそ50分程度。ちょっとせわしない感じがしなくもない。
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 普通にとき453号としてやってきた。6両編成が現美新幹線の証。
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 使っている車両はE3系。元々は秋田新幹線の車両だった。
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 ちなみにこの列車のために「秋」と書かれた停止位置目標がちゃんと新設されてた。
 現美新幹線になっても秋田新幹線は秋田新幹線なのね。
 おら、わくわくしてきたゾ!

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車内

 まぁ、全部を紹介してしまうとネタバレになりかねないので軽くね。
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 写真が展示されている車両があったり。
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 映像が流れている車両があったり。
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 カフェが設置されている車両では絵画が展示されていたり。
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 キッズスペースはプラレールがモチーフ。
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 ちなみにプラレールで遊べる。電車の中で電車を走らすことができる。
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 一番面白かったのはコレ。
 ちょうどトンネルの中で写真撮ったのでなにも写ってないけど、窓からの光によって見え方がちょっと変わる。緑の中を走るときや、越後平野を走るときで表情が変わった(大きくではないけど)。もしかしたら、雪の中だとまた違う感じになるかもしれない。


ぷしゅー

 一通り見終わった後で、ぷしゅー。
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 カフェのメニュー。
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 ビールとアイスいただいちゃう。
 この列車の難しいところは、ただ越後湯沢~新潟間を移動するために乗る人もいるので、楽しもうとする人とそうじゃない人が混じるところかなって思う。美術館であればそれを目的とする人だけが集まるけれど、ここはそうじゃないところ。それが、鑑賞していて萎えるところちょっとある。
 本来ならば、そうじゃない人々用の車両と分けるといいのかもしれないけれど、車両が限られている以上仕方がないのかもしれない。


そばを食べる

 名物の新潟駅のそばを食べる。
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 旧ホームに残ってた。
 そばの色が黒い気がする。
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 低いセブンイレブンを見学。
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 新潟駅の地上ホームは絶賛撤去中。
 さぁ、帰るか。

 今回の旅行は鉄三昧。
 まぁ、やることないからね。


キハ47に乗る

 新津鉄道資料館から帰って、とりあえずすることもないのでまずは磐越西線に乗ることにする。
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 いいねぇキハ47。
 両開き2ドアの謎車両。ラッシュ対応の近郊型ってことだったけど、それが必要な線区があったのかどうか。よくわからんなー。結局、JR化後は持て余してドアから遠いワンマン設備とか取り付けられちゃったりしてる。
 とりあえず猿和田駅まで行って折返し。
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 帰りは原色と国鉄急行色だった。


新井快速115系

 お次は新井行の快速。急行赤倉のなれの果てになるのかな。
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 キムワイプ電車が来た。
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 やっぱそこはかとない懐かしさ。
 小さい頃から結構大きくなるまで113系に乗ってたから懐かしさ100倍。もっともこれは115系だけど。
 越後平野をうなりを上げて爆走してた。写真はモーターがないクハだけどね。

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弥彦線115系

 さて、柏崎で降りて越後線をE129で走った後、吉田から弥彦線。
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 懐かしの新潟色。70系時代の塗装だよね。雪の中でもよく目立ちそうだ。
 まぁ、115系でこの色っていうのも違和感しか感じないんだけど。
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 この半自動の感じが懐かしい。
 任意に開け閉めするときは手動。しかもちょっと重い。
 高崎あたりで良く出没したなぁ。


超快速スノーラビット

 長岡で宿泊して、十日町へ。
 キハ110の直通列車に乗ったけど、長岡~越後川口間って長岡運輸区が担当なのね。
 長岡運輸区ってディーゼル乗れる運転士いるんだ!って思ったけど、よく考えたら只見線も乗務してるからいるんだね。飯山線直通は長野総合運輸区が担当していると思っていただけに意外。
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 十日町からは料金不要列車で一番速いと言われる超快速で。
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 「"Cho" rapid train」やで。
 これがなかなかの走りっぷり。十日町~直江津間ノンストップ。
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 通過駅が多すぎてディスプレイに表示できないので、紙の時刻表を運転士は使ってる。
 最高速度は110km/hではあるけれど、ほぼずっと110km/hで走行。
 もうね、車両に負荷がかかりまくりで大丈夫?って聞きたくなるような走りっぷり。上り勾配とか連続力行しちゃってるんじゃないかな。


ゆめぞら

 さて、直江津。
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 ちょびっとだけえちごトキめきに乗っちゃう。
 JR西日本の影響が大きい感じね。乗務員は両方から出向してるのかな。
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 本題のゆめぞらに乗る。
 北越急行のトンネルの多さを利用して、天井に色々映像を映し出しちゃう。
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 まぁ、一回乗れば充分かな。
 試みとしては面白いと思うし、実際にこれのために団体客も乗ったりしているので、収益に貢献しているのは間違い無いね。

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