大連には日本租借時代に建築されたものを中心とした、近代建築物が集まっているところがある。


近代建築物が一堂に会する中山広場

 この街の歴史を語る上では、どうしても外せない場所がある。
 大連市内の中山広場だ。
Zhongshan_Square,_Dalian
   画像出典:Wikimedia commons 作者:MR+G この画像のライセンス:CC BY 2.0
 中山広場は、10本の道が交わる巨大なラウンドアバウトである。この広場時代は帝政ロシアが統治する時代に建設された。現在では、広場の地下には地下鉄1号線の「中山広場駅」がある。上記の写真はちょっと古いが、いまでも大きくは変わっていない。
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 ちなみに写真を拡大して、下のQRコードを読み込ませると中国語だけど古い写真とか見られるよ(音が出るので注意)。
 この広場に接する建物の多くは日本租借時代に建築された建物が今でも現役で使用されている。10棟の建物の内日本租借時代に建築されたのが8棟、そのうち日本人が設計したのが7棟である。2001年に中国の全国重点文物保護単位に指定されており、近現代重要史跡及代表建築に分類された。


旧・朝鮮銀行大連支店

 それでは西側から一つずつ紹介していこう。
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 道路標識と車がクソ邪魔。
 まずは旧・朝鮮銀行大連支店。1920年建築で柱がドーンドーンドーンとある(コリント式オーダー)ルネサンス様式の建物。
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 柱がかなり凝った作りになっている。
 朝鮮銀行は日本統治時代の朝鮮における中央銀行だった。中央銀行でありながら、民間の普通銀行の業務も扱っているという、今から考えれば謎の銀行。この銀行の日本国内にあった資産を元に日本不動産銀行が設立されて、これが今のあおぞら銀行につながる。
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 夜は結構いい感じにライトアップされるよ。
 戦後は一貫して銀行として使用されて、現在は中国工商銀行の大連中山広場支行(支店?)となっている。 


旧・大連民政署→大連警察署

 隣にある赤い建物は、元々関東都督府民生部の行政機関である大連民政署の庁舎として建てられた。
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 この中山広場の建物の中で最も古い、1908年建築。
 時計塔があって、レンガ造りでゴシック様式の建物となっている。日本租借時代の大連で最初に建てられた官庁建築物。当時の空気がわからないけれど、なかなか意欲的な建物に見える。
 1922年からは大連警察署として使用された。
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 ライトアップすると、右側のLEDがうるせぇ。
 戦後も警察署や軍施設として使用されたが、現在は遼陽銀行大連支店となっている。


旧・英国領事館(現存せず)

 1995年にぶっ壊したので、現存せず。
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 まぁ、一応、景観に配慮した感じで落ち着いた建物が新しく2000年に建った。
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 が、古い建築物でないことをいいことにライトアップは中国オーラ全開。いや、マジでホントこれはひどい。ちなみに青くなったり赤くなったりする。実はこの広場にもう一つもっとひどい建物があるんだけどね(後述)。


旧・大連ヤマトホテル

 大連ヤマトホテルは南満州鉄道が経営していたホテルである。
 当時、欧亜連絡鉄道と上海航路の接続地であり、日本と満州を結ぶ拠点でもあった大連には、欧米の一流ホテル並みの西洋式ホテルの整備は必要であった。
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 この広場の中の建物でも一際風格がある。
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 なので、写真いっぱい撮っちゃった。
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 着工から建築まで5年を要し、1914年にオープン。
 内部を見学するツアーがあるとかないとか。
 イオニア式オーダーが並ぶルネサンス様式。
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 夜はかなり抑えめにライトアップされている。
 現在も大連賓館というホテルとして営業中のはず……なんだけど、空室情報がでてこないな。
 値段的にはそれほど高くないので、泊まってみるのもいいかも。


旧・大連市役所

 お次は元大連市役所。1919年建築。
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 なんだろうね。
 うまく言えないんだけどそこはかとなく市役所なんだよ。
 旧高雄市役所とか名古屋市役所となんか似てるんだよ。
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 写真を見比べてみるとあんまり似てなかったりするんだけど。
 でも、そこはかとない市役所風味がある。
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 こいつはライトアップされてないね。
 戦後は市政府関係施設だった。現在は中国工商銀行大連市分行(支社?)になっている。あれ?旧朝鮮銀行も中国工商銀行だったけど、ここも中国工商銀行なのか。まぁ、分行と支行で違うので営業部と支店ぐらい役割が違うんだろうけど。


旧・東洋拓殖株式会社大連支店

 やっと半分すぎた。
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 東洋拓殖株式会社大連支店のビルだったもの。
 東洋拓殖株式会社とは日露戦争後に設立され、日本の植民地投資に大きな役割を果たした会社である。朝鮮半島の農地の買収を進め、地主として朝鮮人小作人を雇って農地経営をするところからスタートしている。最終的には南洋諸島も含む日本の植民地において開発投資をガンガンやる会社として存在していた。南満州鉄道とこの東洋拓殖は戦前の日本において二大国策会社と呼ばれている。
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 これもライトアップしてないね。
 低層階のアーチ型の窓が特徴的。
 戦後は中国共産党の施設、その後市政府庁舎となった。現在は交通銀行大連市分行となっている。


旧・中国銀行大連支店

 次は旧・中国銀行大連支店。
 1910年建築。この広場の建物で唯一中国人による設計である。
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 清の時代に大清銀行大連支店として建てられて、その後名称や国が変わって国有化されたりしたけれど、一応現在の中国銀行につながっている。読者の界隈だと「中国銀行(香港)」の方が有名か。
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 ライトアップの仕方は、まぁいいんじゃないかな。できれば建物上部にも当てて欲しいね。
 戦後は大連市教育局庁舎として使われたというので、中国銀行でも資産は没収されたのだろうか。現在は中信銀行中山支行となっている。
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 ちなみにこの旧・中国銀行の右奥にもう一つ建物がある。
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 こちらは旧・台湾銀行大連支店の建物。1910年建築。
 なんか角が丸いのが特徴。
 現在は大連銀行中山支店として使われている。


大連人民文化倶楽部

 大連人民文化倶楽部は中山広場の建物で数少ない戦後に建てられたものである。
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 戦後の1950年に当時駐留していたソ連によって設計・建設された。
 現在も当初の目的のまま、大連人民文化倶楽部という劇場として現役である。
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 ちらっと中を見学。うむ。洋風だ。
 日本が大連を租借している間にはこのような大規模な劇場は作られておらず、これが大連における初めての大規模劇場となる。
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 夜のライトアップも美しい。


旧・横浜正金銀行大連支店

 横浜正金銀行とは、当時日本唯一の外国為替管理銀行である。貿易金融・外国為替に特化した業務内容であり、日本を国際金融で面で支え、香港上海銀行などと並ぶ外国為替銀行だった。戦後はGHQにより解散させられ、東京銀行に事業を継承、現在の三菱UFJ銀行にあたる。
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 この広場ではあまり車や木などに邪魔をされずに見ることができる数少ない建物。
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 3連のバロックドームを持つタイル張りの建物で1909年建築。
 東京駅とかにも通じるようなデザイン(あっちはレンガだけど)。
 建物としての美しさはこの広場で一等賞だと思う。
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 夜になると背後に建つ中国銀行が電飾全開。
 戦後はソ連の極東銀行として使用されて、現在は中国銀行遼寧省分行となってるとはいえ、この取扱は中国銀行ひでぇ。
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 ちなみに後ろのビルはスローガンが流れたりもする。
 いや、本当にひどいよ、これ。このぶち壊し感が半端ねぇ。


旧・関東逓信局

 そして最後は関東逓信局だった建物。1917年建築。
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 関東逓信局は所謂今の郵便局(郵便・為替・貯金)に関することや、電信電話、電気ガスなどの業務監督を行っていたところである。
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 まぁ、他の建物に比べれば華がないっちゃーないかな。設計者は大連市役所と同じ。
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 華がないと言ったけど、ライトアップは落ち着いた感じでなされていて、これはこれでいいと思う。
 戦後はソ連軍の司令部になった後、大連市郵政局になった。あの結局、戦前の建物が終戦によって用途がなくなった後、結局同じ用途で使われるのってなんでなんだろ?結局、居抜きで使いやすいから?


というわけで

 大連中山広場は古い建物好きは行くの必須!
 意外と広場を一周するだけで(広場が巨大なので)、結構歩くよ!
 地下鉄駅の真上でアクセスがいいので行くといいと思うよ!