あれから9年目の3月11日を迎える。
 津波に流されても助かった人がいた一方で、津波に流されて亡くなった人もたくさんいる。
 津波から逃れた奇跡がある一方で、津波にのまれた悲劇もたくさんある。
 今回は一番有名で、一番悲しい話。


消えた集落

 岩手県北部の岩手町から盛岡、花巻、北上、一関と通っていく、東北地方最大の河川である北上川は宮城県石巻市に河口がある。その河口の近くには釜谷という集落がある……いや、あった。

 ↓震災前2008年10月
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 ↓震災直後2011年3月19日
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 ↓震災後2015年5月
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 出典:国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)
 ※なお、掲載にあたり写真の回転、トリミング、縮尺変更、赤線追加を行った。

 この北上川の河口に位置する釜谷集落には108世帯の人々の住居があった。一番上の震災前の写真を見ると、それなりに家が建っているのがわかる。そして、真ん中の震災直後の写真では、その集落が跡形もなくなっているのがわかるだろうか。そして、下の写真では震災から4年経過したにもかかわらず、建物はなくなったままである。
 比較するとわかるが、震災によって新北上大橋の橋桁が一部流されて、下の写真では仮設の橋になっている。この橋は2016年6月10日に開通している。その他にも堤防の復旧や、集落内の道路の復旧が行われた。
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 その一方で、集落の復旧工事が行われているような気配はない。なぜなら、この集落全域が災害危険区域に指定されたからである。
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 出典:石巻市 災害危険区域の指定区域図(北上地域)
 ※なお、掲載にあたり図面のトリミングを行った。

 災害危険区域に指定されると、石巻市の場合、住宅や宿泊施設、病院、保育園などを建てることができなくなる(※市町村によって異なる)。つまり、上記の指定区域図によれば、平地の部分のほぼ全てにおいて住宅の建築ができないので、集落としては成立できず、復旧・復興はなされないということである。

 そんな元集落に唯一の建物がある。

 石巻市立大川小学校。

 多くの人々の記憶に刻まれた、小学校の名前。


津波の爪痕

 前項の空中写真に赤枠で囲ったところが、石巻市立大川小学校の敷地である。
 昔も今もそこに小学校の建物はある。すでに、小学校ではなくなったが。
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 この小学校の跡地は不思議な静寂に包まれていた。前項で書いたとおり、周りに人家はなく、津波の被害に遭った小学校だけが残っている状態だが、それだけでは説明できない静かさである。まるで、ここだけ周囲から切り取られたような、そんな静かさ。
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 立派な校門が切り取られ、ここに置かれている。
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 敷地に入ると、慰霊碑が目に入る。ここは津波避難の遅れにより、全校児童108名中74名(当時校内にいたのは78名)、教職員13名中10名(校内にいたのは11名)、その他地域住民や保護者、スクールバス運転手など多くの人々が命を落とした。
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 慰霊碑から見える教室の中を見るとたくさんの仏像や千羽鶴があった。
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 体育館であっただろうと思われる施設。
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 校舎と結ぶ橋は津波の威力によってひねるように破壊されていた。
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 柱やコンクリートの壁は残存しているが、大多数の壁はおそらく材質の違いなどによって破壊されている。黒板などは残存しているのに、壁がなくなっているのが不思議である。力のかかり具合などがちょっと違うだけでも、結果は大きく違うのかもしれない。
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 校舎は2階建て。屋上には上がれない構造になっていた。北上川河口付近とはいえ、河口から5km程離れており、ハザードマップでも河口から3km程までしか津波が来ないとされていたため、そのような配慮はされていなかった。
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 2階部分の室内を望遠で撮ってみる。こう見ると天井近くまで津波が来ていたことがわかる。つまり、屋上に出られない構造上、どうしたとしても助からなかったということになる。しかし、児童と教職員は当時校内に長いこととどまっていた。

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ここでなにがあったのか

 全校児童108名中74名(当時校内にいたのは78名)、教職員13名中10名(校内にいたのは11名)、その他地域住民や保護者、スクールバス運転手など多くの人々がこの場所で命を落とした。学校における事件事故で児童が犠牲になった人数としては戦後最悪のものである。
 地震直後、児童は教員の指示に従い、校庭で整列していた。市の広報車が避難を呼びかけていたという。校長が不在で指揮系統が定まらぬまま、避難するかしないか、どこへ避難するか議論が行われたという。裏山に逃げるのか、別の場所に逃げるのか。結果的に、堤防より高台になっているところへ逃げようとしているときに、津波が人々を襲った。
 地震発生から約50分後のことであった。
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 逃げようとしていたのはこの正面の木の左側のあたりである。
 横には新北上大橋が見える。北上川の堤防の高さに橋は架かっていることからわかるとおり、堤防よりもそれほど高い場所ではない。もし、ここまで逃げられたとしても、津波を避けることはできなかった。ここに津波が来ないと言うことであれば、そもそも北上川の堤防は越えてないわけで、避難する意味が一切なかったと言える。
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 出典:大川小学校事故検証委員会 大川小学校事故検証報告書
 原出典:防災ガイド・ハザードマップ 石巻市 平成21年3月

 震災前に作られていた津波のハザードマップによれば、この区域は津波浸水想定区域にはなっていなかった。他にも河口からは約5km離れており、北上川の堤防は6m、津波の到達予測も当初6m、また地元住民からのここには津波が来たことないから大丈夫だという発言が、そもそもここは避難しなくてはいけない場所なのかという考えに至る可能性があっただろう。


どうすればよかったのか

 どうすれば良かったのか。それは簡単と言えば簡単である。とにかく逃げること。ただ、逃げればいいということではない。どこに逃げるかが重要。
 大川小学校の人々は三角地帯と呼ばれる堤防際の高台へ逃げることを最終的に選択した。しかし、その判断は遅く、避難している途中で津波に襲われることになる。また、前項でも書いたとおり、避難できたとしてもそこも津波に襲われており、同様の結果となったと思われる。
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 学校の近くには、もっと高い場所があった。
 いわゆる、裏山である。
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 一つは、体育館裏手の斜面で、過去(平成21年頃まで)にはこの場所でしいたけ栽培の授業が行われていたとのことである。写真で見ると道状のものがあるが、これは昔からあったという人もいれば、震災後斜面に入る人が増えたためという人もいるため、以前からあったものと断定することができない。とはいえ、比較的なだらかな斜面であり、とにかく高い場所へ避難すると言うことであれば一つの選択肢であったことは間違い無い。
 しかしながら、木が生えているため中の状況がどのようになっているか不透明である。見えないところでの斜面の崩落など発生している可能性もあった。
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 もう一つは急傾斜ではあるが、崖崩れ防止工事が行われた斜面である。
 平成15年に崖崩れがあったときに工事が行われた。ここでは当時不在だった校長が斜面に登った経験があったり、震災前年には3年生児童が先生に引率されて一番下の部分に登った経験があるようだ。ここであれば目視した範囲で崩れていないか確認できるので、先ほどの場所よりも避難する決意がしやすいものと思われる。しかし、斜面はかなり急である。
 さらにこの右手の斜面も「大川小学校事故検証報告書」によれば学校の周辺状況の裏山の項にに記載されている。自身で撮影した写真がないため、詳細は記載しないが、最初の斜面とほぼ同様の条件のように思える。
 このように、避難できる場所は近くにあった。校庭で長いこととどまっていて避難するよりも、すぐさま裏山の斜面に逃げることが先であった。どうすべきであったかと言われればそれが正解だったということになるだろう。「Second Best, Tomorrow(最善でなくても今できることをやれ)」という言葉がある。最善の選択肢を選ぶのに時間をかけるよりもまず行動すべき、この時必要だったのはこれだった。


なぜそうしなかったのか

 そのように避難候補地があったにも関わらず、そこになぜ逃げなかったのか。
 林の中でその中の状況がよくわからず崩落などが発生している可能性がある斜面と、開けているが急な斜面の裏山に逃げるのかどうか判断にせまられることになる。「なぜあそこに逃げなかったのか」というのは簡単だが、現地を自身の目で見てその判断を自分ができるかというと難しいと感じた。地域住民も少なからず避難していたとのことなので、お年寄りから小学校低学年までの行動力に難がある人々の運命を抱えた中で、学校の教員がそこに避難するのを諦めたのは理解できなくもない。ましてや当日の天候は雪であり、滑る可能性があるなどなおさら判断が慎重になった可能性がある。
 誰が悪かったのか。
 過去全く経験も記録もないような大津波なのだ。それに対しきちんと対応できなかったことを行政や教員に求めるのは酷であると思う。しかしながら、裁判では学校と市教委に過失があったと認定された。その中で、「市の広報車が避難呼びかけた中で津波が来ることを予見できた(仙台地裁)」「校長らは、地域住民よりもはるかに高いレベルの知識に基づいてハザードマップの信頼性を検討すべきだった(仙台高裁)」と判決に記された。もちろん、避難計画の不備などはあったと思う。その一方で「(市が正しいと示した)ハザードマップの信頼性を検討」とは教員達に対し、非常な酷な要求ではないだろうか。
 誰も悪くない、次に同じことが起きた時に同じことにならないように、しっかり準備するべきであると個人的に思うが、そうもいかないようだ。一体、どこまでのことを想定すれば良いのだろうか。きりがないように思える。
 亡くなった人々に、合掌。


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