名古屋のキャラが濃い飛行機好きな人々とイタリアンの食事を楽しんで、次の日は鉄活動。
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 まずはガイドウェイバスを見に行った。
 いつも思うのだけれど、ガイドウェイバスのメリットってあんまり分からないのよねー。
 強いて言えば運転がラクっていうのと、タイヤの接地面が限定されるからそこの部分だけ舗装すれば良いってところかな。でもそのために、色々と申請があったり、特殊車両を投入する必要があったり、運転士も無軌条電車の免許の申請が必要だったり。これぐらいの幅合ったらただのバス専用高架道路でもいいんじゃないかって思うんだよね。
 基本的には設備が大きい割にメリットが少ないような印象。無人運転ができればまた別なんだろうけど。動力が高架区間は電気で走るとか。
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 その後はあおなみ線に乗ってリニア鉄道館へ。あおなみ線って貨物列車も走るんだねー。そりゃそうか、貨物線を転換したんだし。
 JR貨物が第3セクター鉄道走るのって新幹線転換系を除くとここぐらい?愛知環状鉄道とか今は走ってないよね?
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 というわけでやってきました、リニア鉄道館。
 まずはC62がお出迎え。
 かっこいいよねぇ。
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 O系新幹線もいた。
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 特別に運転席も見学できた。
 昭和30年代にこれを作って走ったっていうのは本当にすごいよね。
 でも、新幹線はあんまり好きじゃないので、退散。
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 これこれ!こういうのがキュンとくる。
 関西急電(新快速の前身)のこの車両。モハ52。流線型デザインで、この当時としては画期的なデザインの車両。戦前は京都大阪神戸を爆走し、戦後は阪和線で爆走、その後飯田線で長いこと余生を送っていた。
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 モハ63。戦時形の超節約設計。節約しすぎた結果、安全性が犠牲となって、桜木町事故でかなりの人々を蒸し焼きにしてしまった車両。今の20m4ドアという通勤形車両はこの形式からスタート。いいねぇ。三鷹というサボ(行先板)がシブイ。モハ63はこれが名古屋とかになってたら幻滅してた。中京圏走ってないし。
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 ちょっと世代が新しくなって165系。うん、やっぱり急行東海だよね。私の世代では大垣夜行と早朝夜間の静岡行き普通電車が思い出。廃止になる前は静岡までグリーン車に乗ったなぁ。
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 顔としてのパーツはほとんど同じなのに塗り分けでイメージががらっと変わる。こちらは111系。東海道線でおなじみだったよね(最終的にほぼ同じデザインの113系だったけど)。貫通状態の時の運転席の処理が後期形と違って、たまに東海道線東京口8号車に封じ込められているやつがこの形だったなぁと懐かしい。
 行き先表示が東京になっているのがいいね。
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 モハ12。こいつも飯田線でずっと走ってたね。最後の方は畳を敷いてお座敷列車になっていたので、昔パソコン通信の仲間で貸し切って中で宴会した覚えがあるなぁ。
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 この日は旧型客車内部が人数限定で特別に見学できるというので参加してみた。
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 味があるねぇ。旧型客車は物心ついた頃にはもう和田岬線でしか走ってなかったなぁ。
 大阪に行けるようになった頃にはもう和田岬線でも走ってなかった。
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 こちらも見学できた。ブルートレインになる前の寝台車。
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 今、開放式の寝台列車ってなくなってしまったよねぇ。最後に開放式の寝台車に乗ったのは臨時寝台のエルムだったかな。その後は個室ばっかり乗ってたから。
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 他にも数多くの車両がいっぱい。
 なかなか楽しかったよ。

 次は京都鉄道博物館に行かなきゃ。