FLY! FLY HIGH!!










飛行機と食事とホテルとたまに観光地を淡々とアップするブログにおこしいただきありがとうございます。
当ブログの写真・文章の転載はご遠慮ください(法的に認められた引用を除く)。

2021/03

 つい、魔が差して。
 作ってみた。

 「あなたはどこに国内旅行しましたか。
 新たな発見はありましたか。
 旅行して良かったところ、楽しかったところを教えてください♪」
 https://youtu.be/If1Gm_sJWMg

次回のテーマは
「初めての海外旅行」
「初めての海外一人旅」

おたよりは
flyflyhigh.kj@gmail.com
Twitter @FlyFlyHigh_KJ
https://peing.net/ja/flyflyhigh_kj まで!

軽部J太郎のSpouter's CLUBまとめ
 


スポンサードリンク

 あれから10年も。
 この先10年も。


10年という区切り

 あの日から10年が経つ。
 10年経って、震災復興は一区切りついたと言ってもいいだろう。
 三陸沿岸を結ぶ三陸自動車道は、仙台~宮古間が今年度(2020年度)に全て開通した。かなり大きな橋を作る必要があった気仙沼市内区間も2021年3月6日に開通した。震災時ほんのわずかな区間しか開通していなかったが、震災によって整備が大きく前進することになった。釜石市内では津波被害者を避難施設に輸送するにあたり、この三陸自動車道が役に立った。高台を通る道路は津波からの避難場所にもなった。まさに、命を守る道路だ。
 海辺には大きな大きな防潮堤が出来上がった。人々が住むところからは海が見えないほど、高い高い堤防が出来上がった。住民達の住居も造成を行い、かさ上げをしたり山を切り開いたりして、高い位置に移転した。震災によって受けた大きな傷跡は新しい街の形に生まれ変わった。
 もちろん、個人個人では復興は終わっていないという人もいるだろう。復興が思い描いた形にはならなかったという人もいるだろう。様々な事情があるので、そう思う人がいてもおかしくない。
 それでも、どこかで区切りをつけなくてはいけない。
 それが今だと私は思う。

(当然、福島第一原発周辺についてはまた震災とは異なることを補足しておく)


最大級の震災遺構

 東日本大震災の災害遺構で、おそらく最もインパクトのある場所を10年目のこの日に紹介する。
 「震災遺構を1カ所だけ見るならどこがいいか?」と聞かれたときに、私はこの場所を迷わず選ぶ。
 「最も津波の威力を実感できる場所はどこか?」と聞かれたときに、私はこの場所を迷わず選ぶ。
 「最も心が揺さぶられる震災遺構はどこか?」と聞かれたときに、私はこの場所を迷わず選ぶ。
DSC03444
 私が選んだ場所は「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(旧気仙沼向洋高校)」である。

スポンサードリンク

2018年5月気仙沼向洋高校跡地

 2018年5月に私はこの気仙沼向洋高校を訪れている。
DSC06073
 まだ震災遺構保存に向けた工事は始まっていなかった。
DSC06072
 変わらず建っているように見えるが、よく見ると校舎に窓がない。
DSC06078
 校舎の裏側に回ってみる。やはり下の階の窓は無くなってるし、壁も破壊されている。
DSC06079
 なにやら大きい物が倒れている。これは元々あったものか、それとも流れてきたのか。
DSC06081
 校舎内にはめちゃくちゃになった車が放置されていた。
DSC06086
 また、何台もの車が押しつぶされているのもそのままになっていた。
 この時点で震災から7年経過している。おそらく意図的に残しているのだろう。
DSC06088
 まだ中が見学できない状態とはいえ、なかなかインパクトに残る震災遺構であった。


2019年3月の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

 2019年3月に気仙沼市の震災遺構施設として気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館がオープンした。
DSC03335
 というわけで早速初日に行ってみた。
 大きく見える二つの校舎の前には新しい建物が建っていた。
DSC03334
 駐車場には津波の被害に遭った国土交通省の作業車が展示されている。
DSC03333
 めちゃくちゃとしか形容できない。
 後部の被害はそれほどでも内容に見えるが運転席側の被害が大きい。
DSC03331
 もう1台は運転席部分がそもそもなくなっていた。
DSC03336
 3階までの窓は全て無くなっている。
 このあたりまで津波が来たということ。
DSC03337
 それでは内部に入っていこう。


南校舎1階

 入場料を払って入場すると、まずはシアターに入り映像を見る。
 この映像は津波の映像が使われており、そもそも見ないという選択肢もある。ただ、なるべく見ておいた方がいいだろう。その後、写真展示があり、いよいよ建物内部の見学になる。なお、この伝承館内の写真撮影は禁止なので注意してもらいたい。
DSC03338
 まずは南校舎の見学。
 1階部分は天井が剥がれて全てが破壊し尽くされている。
DSC03339
 階段部分にも瓦礫が残っている。
 これが震災直後と同様なのかはわからないが、おそらくそうなのだろう。
DSC03345
 給湯器があったり、車椅子があったりするところを見るとここは保健室だろうか。
DSC03356
 砂の残り方が生々しいなって思う。

スポンサードリンク

南校舎3階・4階

 階段またはエレベーターで3階に上がる。
DSC03366
 この階のメインは流された車である。
 津波によって車が3階まで来たのだ。
 3階なので地上から8mある。しかもこの車は南三陸町の人に代車として貸し出されていたものということで、当時どこで被害に遭ったのかわからないが、もしかしたら何kmも離れたところから流された可能性がある。
DSC03373
 4階に上がると錆びたレターケースがある。
 この錆こそが津波の痕跡であり、4階床上まで津波が来たことを示す。
 この高さはおおよそ12m。12mもの津波がこの高校を襲ったのだ。
DSC03377
 昔ながらのパソコンも水に浸かった。
 このスポンジ状のものは後述する冷凍倉庫の壁材である。
DSC03382
 4階は比較的被害が少なかったがそれでも泥がたくさんついていた。


南校舎屋上

 屋上に上がる。
 4階建てなので、もう屋上しかない。
DSC03392
 北校舎が見える。
 北校舎は窓枠が3階以上は残っているので、津波の流れは南側から校舎を襲い、南校舎によって威力が減じたというところだろうか。
DSC03389
 屋上から見ると旭崎と呼ばれる高台が見える。
 ここは膝上まで津波が来たそうで、ここに避難した8名は松の木につかまり波に耐えたとのこと。人間膝まで浸かると立っていられないのでよく耐えた。その後偶然流れ着いたアルミのはしごでケヤキの木に移り、その後流れ着いた2名を含め合計10名が助かった。このケヤキの木は明治三陸大津波の後、「樹木は命を救う」ということで植樹されたもので、東日本大震災でも10名の命を救った。
DSC03395
 この高校では当時校舎にいた生徒達は他の高台への避難誘導が成功し、被害は出なかった。重要書類の待避なので残っていた教師や校舎の工事関係者の合わせて約50名が最終的にこの南校舎の屋上に避難することになる。結果的に4階の床上25cm程度で津波は収まったが、当時この場所に避難した人々は気が気でなかったであろうと思われる。少しでも高いところへってことで机を積んだりしたようだ。おそらく、階段室の屋根への避難を考えていたのだろう。
DSC03398
 こちらは南校舎屋上から見る体育館跡地。
 実際にはこれには大きなかまぼこ形の屋根があった。
 津波によってその屋根部分が流れてしまい、コンクリート部分だけが残ったものである。
 こう見るとやはり、コンクリートは強いと思う。もっともコンクリートの建物でも他の場所ではなぎ倒されたりもしているのだが。


外部見学

 それでは南校舎から外に出る。
DSC03413
 さきほどの体育館は近くで見るとより無残な状態であることがわかる。
DSC03410
 振り返ると南校舎4階部分が大きくえぐれているのがわかる。
 これは冷凍倉庫が激突した跡だ。
DSC03380
 内部から見るとこんな感じだ。
 冷凍倉庫が激突とはまったく意味がわからないが、とにかく鉄筋の冷凍倉庫がぶつかったのだ。どれだけの大きさの倉庫がぶつかったのだろうか。前項でも簡単に述べたが、室内にはスポンジ状のものが残されており、冷凍倉庫の壁材は室内に流れていった。これが正面から衝突しなかったことで、この校舎が持ちこたえられたのではとも言われている。
DSC03420
 北校舎とさらに北側にある総合実習棟の間にはたくさんの瓦礫や車が積み重なったまま残っている。
 破壊の大きな大きな威力に驚く。
DSC03434
 その後北校舎内を通って、元の伝承館に戻る。
 被災後の生活に関しての展示やミニシアターで教訓などの映像を見て一通りの見学が終わった。所要時間はゆっくり見て90分ぐらいだろうか。映像上映のタイミングが良くて早足で回れば60分程度かかるだろう。

スポンサードリンク

最も心を揺さぶられる震災遺構

 東日本大震災の震災遺構の多くを見てきたけれど、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館が一番心を揺さぶられる。もしかしたら、思考停止してしまう人がいるかもしれない。でも、そこで終わってはいけない。
 復興が進み、防潮堤が整備され、住居は高台に移転し、安全になったように思える。
 それ自体の整備は命を守る、財産を守るという意味で無駄ではないが、それでも大きな地震が来たときに避難することを忘れてはいけない。震災では色々な理由で亡くなられた方がいるけれど、一番多いのは避難しなかったことによって亡くなったと思われる。避難していれば助かった命はたくさんある。死者数は何分の一にも減ったかもしれない。
 大地震はいつか必ず起こる。大津波はかなりの確率で来る。そのとき、適切な行動ができれば生き延びることができるのだ。この施設を見学すると、そのことをイヤというぐらい実感させられる。


スポンサードリンク

 福島から大阪に飛んじゃう。


郡山駅から空港へ

 さて、暑い郡山からバスに乗る。
DSC03750
 クレジットカードが使えてビックリしたぜ!
DSC03751
 福島空港は郡山の南東、須賀川市と玉川村にまたがって設置されている。
 白河からも郡山からもあまり距離は変わらない。
DSC03757
 なんかのどかな風景を見ながら空港まで行く。
 北関東に住んでないと福島空港使う機会はあまりないよねぇ。
 一応、日光とか那須を目指す場合最寄りの空港は福島空港になる。
DSC03762
 というわけで、到着!


福島空港にはウルトラマンがいた

 さて。
 福島空港を利用するのは初めて。これも日本行ったこと無い空港に行ってみるというコンセプトの旅なので、わざわざ利用するのだよ。
DSC03763
 福島空港はANAとANAの忠実な僕であるIBEXが就航している。
DSC03764
 突然ウルトラマンがいる。
 なんでかと思ったら、ウルトラマン生みの親の円谷英二氏の出身が須賀川市なのね。
DSC03765
 福島空港にも放射線量測定器がある。太陽光パネルの角度を変えられるようになっていて芸が細かい。
DSC03767
 空港内は閑散としているね。
 一応、通常であれば伊丹便が4便、新千歳便が1便飛んでいるので、意外と便数は多い。
DSC03769
 空港の売店はYショップだぜ!
DSC03781
 上の階に上がるとウルトラマンが戦ってた。
DSC03773
 屋上に上がって、これから乗る便の着陸を見る。
 お久しぶりのCRJ!

スポンサードリンク

搭乗

 もちろん、ラウンジなんて洒落た物は無いのですぐに搭乗。
DSC03778
 あ、福島空港は搭乗待合室に喫煙所ないから気をつけて!
DSC03782
 それではいよいよ搭乗~。
DSC03786
 ボーディングブリッジはあるけれど、階段を降りる。
DSC03792
 飛行機までてくてく歩く。
 いやー、田舎の空港だわ。


離陸

 歩いて搭乗するのは久しぶりだな。
DSC03796
 座席はこんな感じ。
 うんCRJだからこんな感じのイスだよね。ボンQも似たような感じ。
DSC03797
 IBEX乗るのは久しぶりだなー。調べてみたら3年ぶり。
DSC03799
 なんかものすごく低いボーディングブリッジがあったけど、何に使うの?
 CRJでは使ってないみたいだけど、この設備いるのかしら。
DSC03800
 特に必要とは思えないけど、必要らしい階段を取り外して出発。
 (機体にもタラップついてるけど必要なのか?)
DSC03806
 それではバイバイ、福島空港!


伊丹の着陸は楽しい

 機内サービスではドリンクが配られた。
DSC03814
 何を飲んだんだっけな。
 お茶かな。親会社の会計ソフトの広告付き。なんで会計ソフトの会社が飛行機飛ばしているのかは謎。
DSC03824
 さてさて、伊丹への着陸。
 八尾空港が見えた。
 定期便もないような空港なのに国が管理する空港という謎の空港。
DSC03828
 大阪城~……よりも森ノ宮電車区(正確には吹田総合車両所森ノ宮支所)に目が行ってしまうオタク。
DSC03830
 あら、ラバーダックがいたわ。
DSC03832
 大阪の中心部……というか西より。
DSC03834
 お!宮原操車場(正確には網干総合車両所宮原支所)だね!
DSC03835
 伊丹空港に着陸~。
 伊丹の着陸は楽しいよねー。羽田新ルートなみに、大阪の大阪らしいところを見られる気がする。
DSC03840
 CRJなので端っこの駐機場へ。
 あのちょっとした階段がお出迎え。
 よく考えたらドアについている階段に登る人の数を減らす(体重かかる人の数を減らす)ためなのかなって思った。
DSC03841
 地面を踏みしめ……
DSC03842
 バスで護送されましたよっと。


スポンサードリンク

↑このページのトップヘ